04
歴史古文書局長の授業は終わる気配がない。俺も飽きてきてもよさそうなものだが、異世界へ来て興奮状態にあるのか、集中力が衰えない。
おかけでこの世界の姿はあらまし頭に入った。ローラム大陸は広大で、人類が分かっている範囲でいうなら大きく二分される。北と南の両方からくさびを打ち込むように海が大陸に浸食し、西と東に分かれていくのを縫うかのように山脈が繋ぐ。
山脈はヘルナデス山脈と呼ばれる。その尾根を境に、西がローラムの竜王の支配地域、東が人間の支配地域と別れていた。
大陸の西の奥はどうなっているのか分からない。そこまで行った人間がいないからだ。そういった意味でいうならローラム大陸はまだ謎に満ちている。
謎と言えば、ドラゴンの領域、竜王の支配地にガレム湾というところがある。その湾を望むどこかに魔法のダンジョンがあり、魔具とか秘宝が眠っていると言い伝えられている。
付け加えるなら、そういったものに対してカールの熱の上げようは半端ない。古代遺跡発掘を資金面から人材に至るまで全面的に支援している。王都センターパレスの近郊で古代遺跡が発見された時には大変な喜びようだったという。場所が近いからではない。“罪なき兵団”と思わせる像が無数に見つかったからだ。
今はそれにご執心で王宮にはほとんど姿を現さない。政治に係わる学匠やら、宮中行事に係わる役人らは困り果てているという。多くの者が歴史古文書局長に、カールの行動を諫めるよう話してくれと頼みに来るのだが、カールの肩を持つ局長としては返事はするが、諫言申し上げることはない。
歴史古文書局長自らが俺に、自慢げにそう宣わっていた。学問を軽んじられないカール王太子は真の帝王だとも言った。うがった見方かもしれないが、次期王と局長はどうやら特別な関係なようだ。当然、役人としてはそのアドバンテージを手離すわけがない。カールの好きにさせておくことこそが彼の高評価に繋がるのだ。
話を戻そう。ヘルナデス山脈の東は人が住まう地域である。そこは大まかに五つの王族と五つの国に別れ、各国が幾つかの自治区を持っていた。
ローラム大陸の人が住まう部分。そこは東にとんがった矢尻のような形であった。そこから大海を挟んで北東にザザム大陸があり、南東にガリオン大陸がある。さらに言うと、ザザムの東にムーランと呼ばれる大陸があり、ガリオンの東にはリオーム大陸がある。
それら総称して人々は、この世界を“矢尻とクローバー”と呼んでいた。
「王太子殿下には礼を申し上げておく。局長にはわざわざ時間をとって頂き感謝する」
そう礼を言って俺は、歴史古文書局長の部屋を辞した。部屋の外には侍従と侍従武官が待っていた。そういやぁ、俺は要人だった。
「おい、君たち。頼みたいことがあるのだが」
侍従武官のカリム・サンが露骨に嫌な顔を見せた。良からぬことを考えているのだろうと不審に思っている。まぁ、外れではないわな。俺は今夜、ご招待に与かっているんだ。行かないわけにはいかない。
「いや、なぁに、悪さをしようって訳でない。俺の記憶を戻すのに協力してくれと言っているんだ」
俺はそう言うと手にある魔法書を侍従のフィル・ロギンズに手渡し、歩きだした。有無を言わさないという態度である。
あたりはとっぷりと暮れ、学生たちもほどんどいない。カリム・サンが俺の後ろから食い下がって来た。日が暮れて危ないから明日にしようと言うのだ。
「俺が落馬したところに連れてってくれ」
真っ当な理由だと思う。こう言って断れる者はいない。馬車に乗るとその目的地に向かった。
しばらくして、繁華街の大きな十字路で馬車は止まった。
ここか? という俺の問いに二人は同時に頷いた。
でも、まぁ、見ても思い出すわけないがな、と俺は馬車を降りた。そして二人を待って、俺は尋ねた。
「俺はなぜ落馬したんだ」
二人は答えようとはしなかった。落馬したこの場所に、キースのことだ。王族にあるまじき行為をしていたに違いない。
「繁華街かぁ。俺はてっきり乗馬の訓練中に馬から落ちたかと思ったが」
だだっ広い草原。暗闇に紛れ、逃走しようと思っていた。が、当てが外れた。
あたりは酒場ばかりで街は煌々としていた。音楽が店から漏れ聞こえることから考えて、いい金を取る、上流階級が入りびたる酒場なのであろう。色鮮やかな生地で身をくるんだ女が男の腕に絡みつき通りを歩いている。歌を歌っている者もいるし、立ち話をしている者もいた。そして、その誰もがほろ酔い程度に酔っていた。
この人混みに紛れて逃走するってのも手か。
「殿下、もうそろそろ。人目に付きます」
フィル・ロギンズが耳打ちをして来た。確かに俺は目立っているようだ。遠目だが、通行人の何人かは立ち止まってこっちの方を見ている。
豪華な馬車に、プールポワンの服装。この場所で俺が落馬したなら、町の人間はその騒ぎを知らないはずはない。あるいは、キースが記憶を失ってしまったのも知っているかもしれない。
俺と目が合って、止まっていた者たちは普通に動き出した。明らかに、彼らは俺に慣れている。しかも、その雰囲気から腫物に触るような扱いであるのが分かる。彼らにとって俺は疫病神なのかもしれない。
「カリム・サン。俺は酔って落馬したのだな」
まいったなぁという表情を見せた。もう隠せないって顔だ。
「俺は何歳だ?」
「もうじき十八歳になります」
「こんなガキが毎晩飲んでいたのか? 行きつけの酒場はあったのか?」
継承権を持つ王子であろうとも、自分で自分を罵っているのだから誰も咎めやしまい。
「一人で城を抜け出して、それが毎晩です。我々もそれで心を砕いていました。行きつけの店は幾つかあったと思います。この先には遊女屋が多く集まる遊郭があります。そこにも行っていたようです」
遊郭? 聞きもしないことまで。カリム・サンは胸につっかえたうっぷんをこの期に晴らすつもりだ。
「ロギンス。お前の服を貸せ」
フィル・ロギンズは察したようだ。だが、堅実なフィルはそれを容認しようとはしない。
「記憶を戻すためだ。俺はカリム・サンと行く。一人では行動しない。それならいいだろ? ロギンズ」