03
シルヴィア・ロザンは懐から手紙を取り出し、俺に差し出した。
「私は殿下に仕えさせて頂いていますが、雇主はまた別の御方です」
その言葉で、何もかも拒絶する少女に合点がいった。少女はキースを恐れてはいるが、また別の何者かも恐れている。前任である侍女の、逃げた二人は行方不明だと侍従に説明を受けた。恐らくは、死んでいる。
手渡された紙は案内状であった。シルヴィア・ロザンは、その雇主と俺とのつなぎ役でもあった。案内状によると明日の夜、そいつらは祝いのパーティーを開くらしい。俺はその主賓というわけだ。
大聖堂で目覚めて、俺はシルヴィア・ロザンと会った。それがこの世界に来て一日目の一部始終、昨日のことだ。で、手紙にあった“明日の夜”っていうのが、“今日の夜”ってことになる。
俺は今、王立騎士学校で授業を受けている。
何も覚えていない俺への配慮であるが、俺にとっては渡りに船だった。この世界のことを全く知らない。
王立騎士学校は小学校から大学までエスカレーターで行ける私大のようなものであった。教授は学匠と呼ばれ、医術省、法務省、財務省、安全保障省、文部省等政府機関の職員も兼任している。
学校自体は文部省が運営し、学匠がどの職員かを見分けるために、省それぞれのデザインのブローチを付けている。
俺を教育する男はフクロウがデザインされたブローチを付けていた。文部省の職員だ。自己紹介では肩書を歴史古文書局長と名乗っていた。
有史以来今日まで、この国の歴史をざっと聞かされた。話の内容は恐らく小学生レベルであろう。
色々驚いたが、やはり一番は、王族が魔法を使えるということ。ドラゴンの王と契約することによってドラゴン語が話せるようになると同時に魔力を得るという。
二千年以上前、人類は地上に降り立った。地上全土はすでにドラゴンの支配下で、人類は神から与えられた“罪なき兵団”でドラゴンらを蹴散らした。
だが、ドラゴンもひるむことなく戦いは数百年続き、やがて人類は劣勢に陥る。どういう理由か、“罪なき兵団”が眠るように動きを止めたためだ。神は人類を見放したというわけだ。
救いの手を差し伸べたのは、意外なことにローラムの竜王だった。ローラムの竜王はローラム大陸の一部を明け渡す条件で停戦協定を結ぼうと考えたそうだ。
交渉するにあたってローラムの竜王はある一部の人間にドラゴン語を解する力を与えた。人が魔力を得たのはその副産物だという。
ドラゴンはえらく長生きだ。対して人の命は短い。エンドガーデンを貸し与える“契約”を代々引き継がせる必要があった。
それをある一部の人間が既得権益とした。言うまでもなく、そのある一部の人間とはこの国に君臨する王族である。
学匠は分厚い本を俺に手渡した。
「魔法を使えると言っても生身の人間では四つが限界です。この本は魔法のほぼ全て記載されています。殿下はこの中から四つ選ばなければなりません」
俺は本を開き、ペラペラと捲っていった。ざっと見、五百はある。
「この中から四つねぇ」
「はい、殿下。呪文は四つまで唱えられます。五つ目以降は発動しません。人はドラゴンほど魔法に耐性がないのです。その代わりと言ってはなんですが、成功した呪文は何度でも使えます」
「最初に使った四つが大事だということか」
そう言いつつ、ふと、疑問に思った。注意点はそれだけなのだろうかと。
昨日の俺が目覚めた時にカールが放った言葉。『キース王子はまだローラムの竜王と契約を結んでいない』
あの時、大聖堂はパニックに陥っていた。まぁ、死んだ人間が蘇ったという恐怖はある。にしてもだ。あれだけ大勢の兵士がいたんだ。ゾンビ一体現れたぐらいでどおってことはない。
恐らくは“ローラムの竜王と契約”が鍵だ。カールは、契約前だと民衆に訴えていた。後だったらどうなるんだ。それはまさしく、何かリスクを背負ってしまうことを物語っている。
「王太子殿下はもう契約を済まされたのか?」
「はい」
そうか。カールもリスクを負ったということか。そう言えば、王族のみが火葬されると言ってたっけ。そこも何か引っ掛かる。
「昨日の大聖堂でのことを聞きたい。俺が起き上がった時になぜ人々はパニックに陥った」
「はい。実はそのことについて話さなければなりません。話しにくいことでして、言い出すタイミングを見計らっておりました。聡明な殿下であらせられ恐縮する次第でございます」
学匠はそう前置きし、続けた。「実は、不死者となる魔法があります。呪文を口にするとその時は発動しませんが、死後発動いたします。唱えてからは当然、呪文の発動中ですから他に呪文は三つまでしか使えません。発動すると昨夜の殿下のように蘇ります。ここからが問題なのですが、ローラムから海を隔てた向こう、南東側にガリオンという大陸があります。そこを支配するのはガリオンの竜王と呼ばれるドラゴンで、死霊使いです。かの王は不死の魔法を使った何ものをも虜にし、操ります。そもそも不死の呪文は生前唱えられるものであって発動まで時間差があります。かの王は呪文が唱えられるのを察知していて、発動すると手下を派遣します。もちろん、そのドラゴンも不死であります。昨日あんなに人々が恐れたのは殿下がその、不死の呪文を唱えていて不死のドラゴンがやって来ると誤解したからにほかなりなせん」
確かに言い出しにくいよな、そりゃぁ。キースならやりかねん、ってことをキース本人に言っているわけだろ? この状況は。
「貧乏くじをひいたようだが、申し訳なかったな」
「どうか私のことなぞお気になさらずに。たまたま殿下が記憶を失ってしまったのでこうはなりましたが、王家の一員なら誰もがこのことを教えられるのです。なぜならば、過去、多くの王族が不死者となり、今なおガリオンの竜王に操られています」
「王家にとっても気分のいい話ではないな。そのような危険な魔法は他にあるのか?」
「危険ではない魔法はありません。要は、使いようです。本はお納めください」
「すまない。有り難くいただいておく」
「何もかも忘れてしまった殿下には、なおさらこれは伝えなければならないことでした。それにここ、王立騎士学校に殿下をお迎えしたのは王太子殿下のご配慮でもありました」