02
ここに来たばっかりの俺は当然、キースという男のことはよく知らない。もし、キースの復活を喜んでくれる友がいたら、王に嫌われた原因とか、キースのことを俺はそれとなく聞くことも出来た。
王宮で、ちぃったぁ話題になってもいいはずなのだ。だが、キースが目を覚ましたことなんてその夜にはもう、まるでなかったことになっていた。
でなけりゃぁ、噂でも何でも回り回って俺の耳に入って来てもいいようなもんだ。悪事千里を走る、ということわざもある。
まぁ実際のところ、悪いことは言えないわなぁ。仮にもキースは王族なのだ。だが、闇夜に目あり、ということわざもある。
部屋付侍女にシルヴィア・ロザンという少女がいる。彼女に会ったのは大聖堂の騒ぎから解放されたその夜のことだ。
街の様子が落ち着いたのを見計らって俺は大聖堂から王宮に連れてこられたのだが、その時は日が暮れ、しかも、大勢の護衛が付いた馬車での移動だった。仰々しいというか、俺風情に何たる騒ぎかと恐縮してしまって街の様子や城の風体など眺める心の余裕はなかった。
城に入っても状況は同じで、金色の全身鎧と赤いマントに統一された大勢の兵士に囲まれ、しかも担架に寝かされて城内を進んだのもあって、どこをどう来たかも分からない。
部屋に入ったのは、大勢来たその半分だけだった。それでも広いキースの部屋は人でいっぱいになっていた。
ほとんどが真っ黒いローブを着た連中だった。首元のブローチは一様に、杖に巻き付いている蛇のデザインだった。それから想像するに医者なのであろう。カールと彼らのやり取りから彼らが学匠という存在であるのが分かる。
赤マントの、金色の兵士は近衛兵であろう。派手派手な感じと王宮に入ってからからウヨウヨ集まって来たことからして王直属の兵士であることは間違いない。おそらくは、彼らは部屋の外で待機している。近衛兵長らしき男がカールの横に従っていた。
俺は徹底的に検査された。大勢の学匠が代わる代わる俺を診ていったが、結論から言えば、いたって健康、何ら問題がないらしい。それはそれで良かった。カールも安心したのか、ゆっくり休めと俺に一声かけて去って行った。
カールを追う様にして多くの人が部屋から消えて行った。キースの部屋がどれだけ大きいかよく分かった。天井が高く、三人が同時にゴルフスイングしてもどこにも当たらなそうな、そんな大きさだった。
その広い部屋に男が二人、ポツンと立っていた。侍従のフィル・ロギンズと侍従武官のカリム・サンである。フィル・ロギンズは節度のある男で面白みも何にもない。カリム・サンはというと、俺が嫌いなようだ。前の世界での職業柄か、危険な臭いは経験を積んでいるから分かる。物言わず、戦士らしい佇まいであるがそれは俺への反感を隠すため。腹には一物あるのだろう、目の奥に不穏な何が感じ取れる
もう一人、部屋にいた。部屋のずっと奥の角、彫刻の陰に隠れるように立つ少女。彼女は俺と目を合わせなかった。うつむき加減に視線を下にして、息をひそめるように肩を縮こませている。
何が彼女をそうさせているのかは、大体は想像がつく。俺は少女の前に来て、名前を問うた。彼女は答えようと一言発し、だが、口ごもってしまった。そして、上目遣いに俺を見た。今更名前なんてと思ったのだろう。彼女は戸惑っている。
何にも覚えていないんだ、と俺は言った。実際、キースのことはこれっぽっちも知らないのだ。知らないから覚えていないは間違ってない。それにこの世界のことを聞くには、この少女はちょうどいい、と俺は思えた。カリム・サンのこともある。王宮の男たちからはフェイクニュースを掴まされそうでちょっと怖い。だから俺は少女に、これから何でも教えてくれと丁寧に頼んだ。
それが少女にとってはことのほか驚きだったようだ。目を丸くして俺を見つめた。が、またうつむいて口を堅く結んだ。
少女は髪で顔半分を隠していた。光沢のある栗毛色の、柔らかそうな髪質であった。俺はその髪をそっと横にして、上げた。
髪に隠されていた目に青あざがあった。誰がやったのかと彼女には聞けなかった。俺はキースの姿をしている。面と向かって言わせるのは酷ってもんだろう。
忘れてしまいそうだったが、この部屋にはだだ突っ立っている男が二人いた。言うまでもなく彼らは俺の侍従である。俺の質問に答えないはずはない。
「ここの侍女はこの子一人か? この子は何年俺に仕えた? もし一人だとして、この若さだ。何年もここにはいまい。他に何人俺に仕えた? 辞めた者が居たら理由を教えろ」
矢継ぎ早に質問をぶつけるとフィル・ロギンズが答えた。
「彼女はシルヴィア・ロザン。彼女一人で殿下に仕えています。殿下に仕えたのは彼女を含めここ五年で五人です。二人は自殺。二人は逃亡して行方不明となっております」
つまりは、そういうこと。キースは夜な夜な少女らを虐待していたのだ。
驚きはしない。だだ、愕然とした。俺がやったことではないにしろ、少女にとってはこの俺が恐怖の対象でしかないのだ。それだけでない。俺の説が正しければ、キースは今頃、俺の妻と娘と一緒にいる。娘はこの少女とさほど歳が変わらない。俺は一刻も早くこの状況から脱しなければならないんだ。
そうは分かっていても、今の俺は何もできない。
だだ、シルヴィア・ロザンを逃がしてあげれば、焦る気持ちや恐怖感を少しは和らげられるかもしれない。それにキースへのちょっとした仕返しにもなる。
俺は邪魔な侍従ら二人を帰した。
「君はもう自由だ。好きなところへ行きなさい」
少女は首を縦に振らなかった。
あ、そういうことか。俺は机の上にあった宝石箱を中身も見ずに、生活の足しにしなさいとシルヴィア・ロザンに手渡した。
シルヴィア・ロザンは震える手で宝石箱を机の上に戻した。
まだ、俺を恐れている? そうか、なるほど俺は記憶喪失という設定だった。キースが心を入れ替えて真っ当な人間になったわけではない。記憶はいつ戻るか分からないんだ。
キースに記憶が戻って、自分が逃げたのだとキースに知れたら。しかも、宝石を奪って。
シルヴィア・ロザンはそう考えている。どうしたものか。実際、キースと俺の入れ替わりが今回の一回こっきりだという確証もない。