七十三話 ロッカクと言う名の男
翌日から仕事が始まった。
やることは主に本棚の整理と掃除。今まで農作業と家畜の世話しかやってこなかった僕にとって、それはずいぶんと簡単で楽な様に感じられた。
だが数時間もしてそれが誤りだったと言うことを思い知る。
バッカス書店はかなり広い。置かれている本も軽く千冊を超え、毎月新しい本が追加されているそうだ。僕はその店内をくまなく掃除し、さりげなく立ち読み客を追い出し、売れないだろう古い本を抜き取って入荷した新しい本を追加する。
それに加えてどこにどの本があるのかも暗記しておかなければならない。客の要望に応えてお勧めできる本も覚える必要がある。僕は早くも混乱状態に陥った。
「掃除に関しては及第点だな。課題は棚の整理か」
「すいません……」
「気にするな。初日で充分良くやってる。とは言っても読めない文字があるってのは、ちと問題だな」
バッカスさんは棚から本を一冊抜き取る。
「こいつを読んで勉強しろ」
「また一つ増えた」
「なんだ文句あるのか」
「いえ、勉強します」
まだ遺跡に関する本もほとんど読めていないのに、読まなければならない本が増えてしまった。しかも仕事をする上でこっちの方が優先度が高い。遺跡関連の本は一度後回しにして、まずは未習得の語学を身につけるべきか。
はぁ、いつになったら家に帰れるんだろう。
ルナ、テト、お兄ちゃんは会えなくて寂しいよ。
「おい、お前飯は作れるか?」
「少しくらいなら」
「じゃあ俺の家で昼飯を用意しろ。材料はあるものを適当に使え」
「あの、バッカスさんの家ってどこにあるんですか」
「隣だ。表は鍵を閉めているから通用口から入れ」
どうやら店には家と繋がる通路があるらしい。
僕は扉を抜けて彼の家に入った。
「うわっ、なんだここ!」
廊下に置かれた大量の本。積み重なり塔のようになっていた。そこを抜けて部屋に出ても同様に本の山に埋め尽くされている。
本好きとか言ってたけどこれを見ると本当のことを語っていたのだと実感する。
それにしても魔界は安価に本を作る技術が発達しているようだ。人間界では村人でもなんとか手が出せる値段にはなってきたものの、まだまだ流通数も少なく高いと言うのに。悪魔は力だけでなく多くの面で人の何倍も先を行っている気がする。
台所へ行き材料を探す。
「ないなぁ。食材とかどこにあるんだろう」
棚の扉などを開いて確認する。
一通り探してはみたがそれらしい物は見つけられなかった。
ふと、僕はまだ見ていないものを見つける。
金属製の長方形の箱だ。
取っ手が付いていて中に物を入れることだけは分かった。
恐る恐る取っ手を掴んで開けてみる。
「ひんやりしてる!?」
扉を開けると中から冷たい空気が流れ出る。
僕は度肝を抜かれて尻餅をついた。
しかもその箱の中には肉などの食材がみっちり押し込まれている。
なるほど……これは保存用の魔道具なのか。
風の噂でそんな物があると聞いたことがあった。非常に高価で王族や貴族しかまだ所有していないとか言っていたように思う。まさかこの目で見られる日が来るとは。
とりあえず肉と野菜を適当にチョイスして扉を閉める。
「そう言えばバッカスさんの好みの味付けって知らないや……ま、いっか。濃いめにしておけばなんとかなるよね」
僕はジャガイモをふかしてそれからスープを作る。
店の経営はあまり良い方じゃないみたいだし控えめにしておくべきかな。その代わり量は多めに作っておく。
台所からはリビングを見ることができる。
そこで僕はふとある物で目にとまる。
小さな木の枠に収められた絵のようなものだ。
そこにはバッカスさんと綺麗な女性、それと僕ぐらいの年齢の子供が写されていた。もしかして家族の肖像画だろうか。しかしこの家に誰かが住んでいる雰囲気はない。
事情があるのだろう。僕は見なかったことにした。
料理ができると僕は店に戻る。
「できました」
「おう、そんじゃあお前は番をしろ」
彼は自宅に戻り食事をする。
その間、僕はじっとカウンターで店番をさせられていた。
することがないので本を読んで時間を潰す。
チリン。入り口が開いて客が入る。
短めの金髪に派手なシャツを着た男性。
垂れ目気味の目元とうっすらと浮かべる笑みが軽薄そうな印象を受ける。
男性は本を探す様子もなくまっすぐ僕の方へと来た。
「うぃーす、君が新しく入った店員かぁ」
「常連さんですか?」
「そうそう、ここにはよく来るんだよ。他では見ないマイナーな本とか置いてあるしさ。俺はロッカク。よろしくな」
「僕はロイ・マグリスです」
ロッカクさんは「ロイ・マグリスねぇ」と意味深に呟いた。
ちょうどそこへバッカスさんが戻ってくる。
「ロイ、お前なかなかいい味付けするじゃねぇか。俺好みでついつい食い過ぎた」
「それなら良かったです。じゃあ今後もあんな感じでいいですかね」
「おうよ。ん? おお、ってロッカクじゃねぇか。最近顔を出さねぇと思っていたら今頃のこのこ面を出しに来たのか」
「うぃーす。のこのこってのはひでぇなおっさん。俺も仕事してて忙しいんだよ」
ぴっ、と二本指を軽く立てて挨拶する。
この人軽いなぁ。すんごくふわふわした感じだ。
村では見かけなかった人種かな。
ロッカクさんはカウンターに腰掛けて本格的に雑談モードに入った様子だった。
「新しい店員が入ったって聞いてよ。こりゃあ見に行かねぇとと思って」
「どこから聞きつけた。まだ入って初日だぞ」
「おいおい、この辺りじゃもう噂になってるぜ。あのケチで有名なバッカスのおっさんがようやく雇えたって。どこの奇特な奴が安月給で働かされているのか気になるだろ」
「俺はケチじゃねぇ。単に金がねぇんだ」
バッカスさんは僕に「飯を食ってこい」と席を立たせた。
代わりに彼が椅子に座りロッカクさんの相手をする。
僕は家に入ってさっさと食事を始めた。
うん、濃いめだけど悪くない。
それにしても魔界の食材ってどれも甘味があって美味しいな。特にジャガイモなんかは舌触りが良くて濃厚だ。
そこでハッとする。
あれ、普通に美味しく食事ができてる。
ぜんぜんこれだけで満足できそうだ。
あれほど欲しい欲しいと思っていた魂の味が僕の中で薄れていた。
どうやらあの状態は長くは続かないようだ。考えてみればどんな素晴らしい味だって人は次第に忘れていくんだ。魂の味だって食べ続けなければいつかは忘れてしまう。
僕は心の底からほっとした。
毎食あんな状態だと先行きに不安を抱かざるを得なかったからだ。
僕はグルメな方ではないけど、食事は美味しい方がいいに決まっている。
食事を終えた僕はバッカスさんの食器も合わせて洗い始めた。
◇
夕方。バッカスさんは早めに店を閉めて裏庭に僕を呼び出す。
「俺はこう見えて格闘が得意だ。それをお前に指導してやる」
「……こう見えて?」
「何だその目は。知的な俺が武術をたしなんでいるのは充分に意外だろ」
「そうですね」
あえては言わないが、見た目通り強い人なんだと思った。
筋肉ムキムキの四本腕でどこの誰が知性的な平和主義者だって考えるだろうか。人相も相まって何をしていなくとも犯罪者に見える。
「つってもお前は完全な初心者のようだからまずは基本を覚えてそれの反復だ」
「基本って何をするんですか」
「攻撃と防御だ。最初に言っておくが基本は文字通り戦いを行う為の基礎だ。きちんと身につけていなければこれから覚える技も応用も中途半端になる」
「はい」
「よし、では突きだからだ」
僕はこと細かにアドバイスを受けながら突きをひたすら練習した。
「はぁ、はぁ、疲れました」
「初日にしては悪くなかったぞ。この調子なら数ヶ月でものになるかもな」
地面に大の字になって呼吸を整える。
神経を使って慣れない動きを行うのは疲れる。
実感するよ。武術は日常で行う運動とは全く別物だと。
普段使わない筋肉が突然使われて悲鳴をあげている。
「今夜の飯は肉だ。しっかり動いた後はしっかり食うに限る」
「はい」
裏口から家に戻ろうとするバッカスさんを呼び止めた。
「あの、どうして僕を鍛えようと考えたんですか?」
「素直にもったいねぇって思ったからだな。それだけの身体能力を持ってるわりに動きが完全に素人だ。こりゃあ逸材かしれねぇってピンときた。あとは……ウチの夜番にできればラッキーとか考えてたな」
「だから店で寝泊まりしてもいいって言ってくれたんですね」
「そう言うことだ。でも悪い条件じゃなかっただろ」
僕は立ち上がって頷いた。
給料がもらえて勉強ができて戦う力も身につけられる。
おまけに寝る場所も与えてくれて食事もタダ。
これほど好条件な場所はなかなかないだろう。
「言っておくが晩飯を作るのはお前だからな」
「……はい」
ふらつく足で僕は一緒に家に入った。
◇
そして、一週間が過ぎた。
僕のキーマでの生活は順調そのもの。
仕事もスムーズに行えるようになったし、夕方の訓練もそれなりに形にはなってきていると評価を貰っている。夜間は魔界に関しての基礎知識を読みあさり、平行して戦いに関する書籍にも目を通していた。
ただ、残念ながら未だ遺跡についての本は読めていない。
次々に優先度の高い本が示されてしまうので今はそれらを消化するのでやっとなのだ。
でも僕はこの選択を間違っているとは思わない。
本来であればこの環境は望んでも得られることは叶わなかったものだ。
村人である僕は大した学びを得ることもなく一生を過ごすはずだった。なのに今は自由に知識を得ることができている。しかも人間界よりも何歩も進んだ魔界の知識をだ。これがどれほど贅沢で貴重で素晴らしいことなのか分かるだろうか。
僕は今、知識の宝庫にいるのだ。知らなかったことや知りたかったことをいくらでも探すことができる。応用して発展させれば、その先にある新たな知識を僕が見つけることだって可能なんだ。
もし可能なら僕はいつか自分だけの新しい何かを見つけてみたい。
チリン。店のドアが鳴る。
「うぃーす、今日も元気か」
「あ、ロッカクさん」
僕は本から目を上げる。
バッカスさんは今は食事中で席を外しているので店内には僕しかいない。
彼はカウンターに肘を置いて前のめりに声をかけてくる。
「どうだい仕事は上手くやれてるかい」
「やっと全体が見えてきたって感じですかね。でもバッカスさんにしかできないこともまだまだ多いですから悩ましいところです」
「なら良かった。ところでロイ君はどこの出身なんだい」
不味い。どうにか誤魔化さないと。
僕が人間だと知られるのはあまり良くない気がする。
「イグシスのピータルって町です」
「ずいぶんと遠い場所から来たんだな。しかし、あそこのビールは美味いよなぁ。俺も一度行ったことがあるんだがトイオックスなんか目じゃないくらい発展してる」
「ええ……」
もちろん嘘だ。直前まで読んでいた本に出てきた地名を言っただけ。
それにイグシスは大国らしいので、僕が本当にそこにいたかどうか調べるのは困難……だと思う。
「そうかそうか、ロイ君はイグシスの出身か。でもそれならなんでその歳で国を出たんだ。あそこなら暮らしやすいし仕事が見つからないってこともないだろう」
「えっとですね……僕の両親は研究者なのですが、とある実験に巻き込まれて飛ばされてしまったというか。今は帰っている途中なんです」
「へぇ、それは災難だったね。で、両親も飛ばされたのかい」
「それは分かりません。気が付けばたった一人でブロウの辺りにいたので」
話をしつつ内心では冷や汗を掻いていた。
かつて実際にあった実験事故の話を僕の身の上に流用しているだけなのだ。イグシスが咄嗟に出てきたのもそこからきている。
ちなみにその子供はなんとか祖国に帰り両親と再会したらしい。というかその本を書いたのがかつて事故に巻き込まれた子供なのだ。なかなか面白く興味深い内容だった。
「てことは本当のマジで一人きりなのか」
「まぁそうなります」
「ふーん、それでどこで寝泊まりしてんだよ」
そこで僕は引っかかる感覚があった。
どうしてこの人はここまで僕のことを知りたがるのだろう。ケチのバッカスさんが珍しく人を雇ったから、というにしてはあまりにも興味を抱きすぎている。質問内容も踏み込みすぎる感じがあって気になった。
だが、もしかしたら僕の思い過ごしかもしれない。彼にとってはこれくらいが普通なのかもしれないし、なんと言っても常連だから邪険にできない。
「夜はバッカスさんのご厚意でここで休ませて貰ってます」
「え、ここで寝てるのか」
「はい。おかげで色々勉強できて充実してます」
「いやまぁ……本好きにはたまらない環境だろうが……さすがに引くわ」
彼は苦笑いで周りを見渡した。
そんなに変だろうか。建物の中だし寝るだけのスペースは十分にある。彼が何に引いているのか僕にはさっぱり分からない。
彼は腕に巻いている小さな物を見た。
「おっともうこんな時間か。そんじゃあ俺は行くよ」
「はい」
店の扉を開けて彼は振り返る。
「またな」
そう言って笑みを浮かべて出て行った。




