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ロシューは、静かに真竜アラドの角に手を伸ばす。
まずは全体の重量を確かめ、次に俺が折った断面を確認し、撫でるように真竜の角に触れて、深い溜息を吐き出す。
「儂なんぞが扱える代物ではないわい」
「やっぱり、凄い物なんですか?」
レスカは、購入する包丁を選び取り、暇になってレスカに構ってもらおうとするチェルナを抱きかかえて、俺たちの方に来る。
「真竜の角とは言うが、これは正確には、頭蓋骨の一部じゃよ」
「頭蓋骨?」
「そうじゃ、頭蓋骨の一部が成長と共に伸び、皮膚を突き破って体外に露出したものに等しい。分類上は、鹿の角に近いの。まぁ、素材としての価値は雲泥の差じゃわい」
そう言って、レスカは納得するが、俺は首を傾げる。
「鹿の角に近いってのは、どういうことだ?」
「そこからか。まぁよい。鹿の角は、毎年生え替わったりする。春先に柔らかな角が皮膚の下に出来て、秋に大きくなった角が骨のように硬くなる。真竜の場合は、そのスパンが極端に長いのだろうな」
「ああ、生え替わるから折れやすかったのか?」
「出なければ、真竜の角など折れんわ」
「それに、殴られて折れなかった場合は、生物としては致命的な弱点になりますよ」
俺の疑問の呟きに、呆れたようなロシューと苦笑いを浮かべるレスカが順番に答える。
それほどまでに俺の一撃は弱く、真竜の体は強靱なのだと思い知る。
そして、レスカのいう生物としての致命的な弱点。それは、もし角が折れずに振動を伝えたなら、それが角を伝い、頭蓋骨、そして直接脳を揺さぶる結果になるだろう。
どんな生き物でも脳は鍛えられず、最優先で守るべき場所だ。
そのために、角は折れやすく、生え替わるから易々と俺に渡したのかも知れない。
「真竜の素材で作られた剣など、お伽噺や伝説などで出てくる武器じゃ。それこそ、武器にすれば、国宝級の価値。場合によってはそれで留まらんじゃろうな」
「そこまで凄い素材なんだな」
「凄いというより値段など付けられんわい。個人で活用することも困難であるし、下手に貴族や国が持てば、これを狙って国家間の戦争も起きかねん」
それ以外は、厄介事しか起きんわい、と疲れたような溜息を吐き出すロシュー。
そんな危険物を何故、アラドは渡してきた。自分の巣にでも持ち帰るか、火山の火口から投げ捨ててくれればよかったのに、とその価値を知って若干恨めしく思う。
「しかし、惜しいのぅ。ほんの僅かでも欠片を砕いた粉末を金属に混ぜるだけでも劇的な変化が起せる素材があるのに、農具に使いたいの~」
チラッチラッと横目で白々しい言葉を投げかけてくるロシューに隣のレスカは苦笑いを浮かべる。
そして俺は、そんなロシューを無視して、真竜の角を布で包み直す。
「なんじゃ、つまらん。まぁ、儂もいい勉強になったわい。レスカ嬢ちゃんの包丁はタダででええわい」
そう言って、ひらひらと手を振って、再び蒸留酒を口に含み、酔い直そうとするロシュー。
とりあえず、俺のやるべきことも終わった。
ロシューの鍛冶屋を出た後は、適当に牧場町を歩き、取り留めの無い話をしながら、買い食いを楽しみ、いつの間にかレスカの荷物には、食べ物が増えていた。
途中、ポケットに詰め込んでいた袋を取り出し、その袋の中に荷物を入れていき、最後は帰りにランドバードの卵プリンを買ってレスカの牧場に帰る。
「コータスさん、次の休みは、どこに行きましょうか?」
「そうだな……レスカに任せる」
「私も行きたいところは行きましたし、どうしましょうか?」
「まぁ、適当に歩くだけでも良いかもな」
俺とレスカは、穏やかな雰囲気のまま、次の休みについて相談しあう。
久々の平穏を噛み締めながらレスカの牧場の近くまで来ると、ふと周囲の空間に影が落ちる。
「っ!? レスカ。俺の後に!」
「は、はい!」
『キュイ!』
昼間だというのに、周囲の明度が一段階下がり、空気の流れが止まる。
これは、水や風などを操り生み出す幻影魔法に近い異変だと感じ取った俺は、真竜の角と俺にしがみつくチェルナをレスカに預け、ミスリルの長剣の柄に手を掛ける。
「周囲の空間から少し切り離させてもらった。あなたに用があったわ」
「お前は……シャルラ」
ふっ、と空気が揺らめき、姿を隠していたシャルラが俺たちの前に現れた。
シャルラの姿は、宿屋の給仕姿のままだが、雰囲気は、一般人のものとは違っていた。
鋭い目付きだが、柔らかな笑みを浮かべていた昨日とは違い、無表情で淡々とした声色で、果物ナイフを逆手に持っていた。
「お前……記憶が戻ったのか?」
「……ええ、まだ少し思い出せないことがあるけど、私が何者か思い出したわ」
それは、自身が密偵であること。また、俺や暗竜の雛のチェルナに接触を図ろうとしたことだろうか。
「私の任務は、真竜の契約者であるコータス・リバティンとの接触と交渉。また、真竜に関連する物品の回収よ」
俺は、シャルラの言葉を聞いて、レスカとレスカの抱えるチェルナ、そして真竜アラドの角が狙いであると判断する。
それと同時に、一つの疑問が出てくる。
第二王子派閥が動いているからエルフの里の交易団に混じることで避難した。
そして、ある程度時間が経ち、王宮のチェルナの扱いに対する勢力図が固定されたために、安全だと思ったが……
「とは言っても、仕事の達成期限を超えてしまった。そんな状況で私がコータス・リバティンに接触したことは、第二王子を糾弾する理由を与えてしまう」
「なら、なぜ接触してきた?」
「仲間を返して貰いに来たわ。せめて、遺留品くらいは持って帰りたい」
「はぁ? 仲間の遺留品?」
「そうよ。あの牧場に住む魔物に襲われたわ」
妙にシャルラの言葉と俺たちの認識に齟齬があるように感じる。
ヒビキの《メモリード》で覗いた記憶には、他に三人の仲間がいたのは確認できた。だが、魔物に襲われた、とはどういう意味だ?
「ちょ、ちょっと待って下さい! 私の牧場の魔物って!?」
レスカ自身が困惑している。
自身の牧場にそのような魔物は存在しないし、何よりエルフの里で不在中に残っていた魔物に戦うだけの力はない。
だが、俺は、魔物の集団進化の推移を見た時から感じた嫌な予感が現実となっていた。
「昨日のキノコの魔物を見て、記憶を思い出したの。あのキノコが私たちを襲った魔物の一部よ」
「えっ、コマタンゴが……」
「私は、あなたの牧場に侵入しようとしたわ。その直後、魔物に襲われ、私の仲間を皆飲み込まれた。どうせ、二週間近く経っているわ、死んだとしても彼らが全うに仕事をしたことを証明するものを持って帰りたいの」
淡々としたシャルラだったが、瞳に涙が滲む。
密偵としては、感情を表すのは失格だろうが、それほどまでに仲間を失ったことは大きいようだ。
「あなたたちは、私が密偵だと気づいて記憶喪失な状態でも保護してくれたのは、感謝しているわ。でも、密偵として未知の魔物の情報は持ち帰らなきゃいけない。それに私の仲間を殺した魔物が憎い。だから、できるならこの手で討伐したい」
静かに涙を流し、貧相な果物ナイフを握りしめるシャルラ。
俺やレスカよりも年上の女性のはずなのに、年下の幼女のようにも見えてしまう。
そして、俺たちの答えは――
「できる協力は、こちらもするつもりだ」
「それに、私の牧場のコマタンゴに異変があったなら、私もそれを確認する義務があります」
コマタンゴの異変の可能性。
例え、レスカの牧場に侵入しようと時点で正当防衛として処理することもできるが、やはり、確認しなければならない。
「ふふっ、ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えるわ」
俺たちの言葉にシャルラは、微笑むを浮かべ――レスカは、頭を押さえるように膝を着き、そのまま地面に倒れ込む。
俺は、慌てて近づき確かめようと一歩踏み出すと、急激な眠気と痺れを感じ、膝を着く。
「ぐっ、なんだ。これは……」
倒れているレスカとその腕に抱えられたチェルナは、規則正しい寝息を立てて居るのを見て命に別状がないようだ。
俺は、眠気に抗うために、唇を強く噛み締める。
痛みと口の中に広がる血の味になんとか耐えるが次第に手足の痺れも感じて、そのまま地面にしゃがみ込む。
「意外ね。まだ起きているなんて」
「なに、を、した……」
「この周囲には遅効性の眠り薬と痺れ薬を撒いておいたのよ。私は、今までの訓練で薬物に耐性があるけど、あなたにも抵抗があったのね」
義父の仲間である騎士たちから毒や薬物に対する抵抗を上げる訓練を受けたことがある。そのために全く抵抗力のないレスカに比べて、効きが悪いのかも知れない。
どこでそんなものを手に入れた、と考えるが、そんな疑問に対してシャルラがわざわざ答える必要はなかった。
「ごめんなさい。協力を申し出たとしてもこうする予定だったわ」
「なん、だと……」
「あなたたちを牧場の近くで薬で眠らせて、それを囮にあの魔物を呼び出す。ほら、来たみたいね」
シャルラの言葉に地面からポコポコとコマタンゴたちが姿を現す。
『マモル、マモル、マモル……』
あたりに辿々しいコマタンゴたちの念話が木霊し、両手を上げてシャルラのほうに突進していく。
「さぁ、私の仲間の仇よ!」
そのまま、現れたコマタンゴたちを果物ナイフで斬り、風刃の魔法で捨てていく。
体を斬り裂かれ、バラバラになったコマタンゴの体が周囲に散らばる。
次々に地中から湧き出すように現れるコマタンゴを延々と倒すシャルラ。
そんな中、眠気と痺れで動けない俺は、シャルラの奮闘を眺め、周囲からコマタンゴの出現が止まる。
「はぁ、はぁ……倒した?」
コマタンゴたちから聞こえる念話が途切れ、静けさが訪れる。
だが俺は、まだ倒していない、と判断し、それを伝えようとするがいよいよ痺れが本格的に回り始め、言葉が出ない。
コマタンゴの本体は、地中に存在する菌糸の核だ。本当にコマタンゴを討伐しないなら地中の菌糸核を破壊しないとならない。
「やった……仇は取りました」
1人で終わりの余韻に浸っているシャルラだが、異変はすぐに起きた。
周囲に散らばるコマタンゴの破片が地面に沈んでいき、周囲から消える。
そして、直後、二本の白い手が地面を突き上げるように現れる。
「な、なによ! これ! ――きゃっ!?」
巨人の手を思わせる白い手は、気絶するように眠るレスカとチェルナ、そして敵対するシャルラを捕まえ持ち上げる。
「離しなさい、いや、いやよ! 仇も取れないなんて! 助けて……助けて!」
捕まれて果物ナイフを取り落とし、レスカとチェルナ、シャルラを掴んだまま、ずるずると地面に戻っていく巨大な白い手。
シャルラは、悲鳴を上げ、涙を流すが、彼女が張った幻影空間のために救援が来ることはなく、この場にいる俺もシャルラの撒いた薬のせいで助けられない。
『はぁ――《闘破斬》!』
明度の下がった内外を隔絶された幻影空間に赤い輝きが走り、斬り裂かれた。
「どうなってんだ? 突然、町中で風魔法を使われる、って――シャルラ!」
幻影空間の向こう側から現れたのは、愛用のミスリルのスコップに赤い闘気を纏って振り下ろした先任騎士のバルドルだ。
そんなバルドルは、倒れる俺と巨大な手に掴まったシャルラを見て、声を上げる。
既に、腕の三分の一は、沈み込み、地面に消えようとしていた。
「シャルラを、離せぇぇぇぇっ!」
全身に身体強化の魔法を纏い、闘気で強化されたミスリルのスコップを構えて一気に白い手との距離を詰める。
だが、足元を邪魔するように現れるコマタンゴたちがバルドルの動きを阻害する。
「――っ!? シャルラ!」
「――バルドルさん!」
互いに腕を伸ばすが巨大な白い手はレスカとチェルナ、シャルラを連れて地面の中に消えていった。
「……レス、カ」
俺は、連れ攫われた悔しさに唇を噛み、血を流しながらも波のように押し寄せる眠気に意識を落とすのだった。
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