1-7
着替えをする俺を置いて先にご飯の用意に戻っていくレスカ。
そして、渡された着替えに袖を通し、バルドルと共に一階の食堂に顔を出し、料理が出てくるのを待つ。
その間、バルドルが話しかけてくる。
「さっきは悪かったな。無理矢理に【加護】を聞き出すような真似をして」
「ホントだって、それにそのお陰であばら骨は折れるとか、骨に罅が入ってたぞ」
「ありゃ、久々に使ったから力加減間違えたな。お詫びに俺の【加護】を教えてやるよ」
「いや、結構だ」
俺の加護を聞いた代わりに話してフェアな関係になろうとするバルドルは、こちらが拒否しながらも勝手に話し始める。
「俺には、三つの加護がある。【剣術】と【闘気】。そして、お前に使った【重圧の魔眼】だ」
「トリプルって自慢か」
世界中の人種は、【加護】を一つから三つ必ず持っている。
世界的に展開している教会での加護の統計研究では、ダブルは、百人に一人。そして、トリプルというのは、更に希少少なく、一万人に一人の割合だ。
それなりに大きな都市を探せば、トリプルはそれなりに居る計算になる。
だが、こうも戦闘向きの加護が集まるのは珍しい。
バルドルに比べてたった一つだけの加護にやさぐれた思いをしながら、心と空腹の胃を落ち着けるために木のコップに水差しから水を注ぎ、温い水を飲む。
「お待たせしました! 今日のご飯は、キノコのクリームシチューです!」
そう言ってレスカは、テーブルにアツアツの大鍋を乗せ、蓋を開く。
鍋の中から湯気を上げる乳白色の具のたっぷりと入ったスープ。
付け合わせのパン入りのバスケットと共に俺たちのスープ皿に注がれる。
「どうぞ、好きなだけ食べていいですよ」
「いい匂いだ。いただきます」
そう言って、両手を合わせてスプーンを手に取る。
バルドルは、食前の挨拶なしで硬い長パンをナイフで切り、クリームシチューに浸して食べ始める。
俺は、一日ぶりの食事で胃を驚かせないためにまずはスプーンで一口――
「……旨い」
なんて濃厚で甘いクリームシチューなんだ。俺は、最初の一口で虜になった。
間を置かずに、二口、三口とクリームシチューを口の中に入れていけば、ホクホクのイモやニンジン、トロトロに溶けた玉ねぎの甘さを舌で感じることができる中で、牛乳の風味とキノコの味と食感は格別だった。
表情をあまり変えずに黙々と食べる俺に対して、レスカもニコニコとしながら、自分のクリームシチューのお皿に手を着ける。
「濃厚でいて、臭みのないミルクが野菜の旨味や甘味を閉じ込め、まろやかにしている。それにキノコは、肉厚でジューシーな食感は、まるで鶏肉のような満足感を与えてくれる」
「褒めてくれて嬉しいです。その二つは、うちの牧場で今日取れたものを使っていますから」
そう言って、微笑むレスカ。俺は、余りの美味しさにいつの間にか一杯目のクリームシチューを食べ終え、二杯目を頂く。
そして、二杯目を食べながら、レスカからこのクリームシチューの食材の話を聞く。
「このクリームシチューに使われるのは、今日の朝の搾り立てのリスティーブルのミルクなんです」
その言葉を聞いて、俺は、一度スプーンを動かす手を止める。
「あの魔物の牛乳か……」
なんだろう、肩を壊されたり、骨折や打撲を負わされた相手から取れたものを口にする、ということに微妙な感情が胸の内に湧いてくる。
その一方、四杯目のお替りをするバルドルが、スプーンを咥えながら、思い出したかのようにレスカに尋ねる。
「ってことは、あのリスティーブル、子どもを産んだばかりか?」
「バルドルさん、違いますよ。普通の牛と牛種の魔物を一緒に考えないでほしいです」
自分の専門分野に関して間違えられたのか、不機嫌そうに唇を尖らせるレスカだが、可愛らしいので全く迫力がない。
「いいですか。魔物は魔力の強い場所に適応した生き物で普通の生き物に比べて力は強いです。けれど、その分、魔物同士の激しい生存競争を行うんです。だから、群れを作る魔物は、他の親が倒れても子どもを育てられるように一定の年齢に達したメスからミルクを出すように進化したとされているんです」
リスティーブルは、まさに群れで生活する種類の魔物であり、そのために乳を得ることができる畜産魔物の中では、特に優良な種類であると自信満々に答える。
「へぇ、そうなのか」
「ですから、群れで育てるためにいつでもミルクが出せるんです。ちなみに、出産直後から産後数ヶ月の間は、通常時とミルクの味や栄養も変化するって話もあるんですよ」
きっと、このクリームシチューに入れたら更に美味しくなるだろうなぁ、というレスカの話を聞いて、想像し、自然と生唾を飲み込んでしまう。
「そっか。だけど、残念だな。あのリスティーブルは多分殺処分扱いになるだろうに……」
「……なに? 何でだ?」
バルドルの言葉に俺は、訝しげに目を細めると、レスカの表情が暗くなり、バルドルは呆れ顔でこちらを見てくる。
「当たり前だろ? 調教された魔物が他者に重傷を負わせた場合には、調教者の責任とその魔物の殺処分が行われる」
そんな内容は、国境を越えて全世界で適応されるルールだ。
軽傷などは労働に起きる事故として判断されるが、流石に重度の怪我を負わせた場合には、調教師の管理能力が問われることになる。
「今回は、お前が不用意に牛舎の扉を開けたために起きた事故だからレスカに責任は負わないように手を回した。だが、リスティーブルは殺処分される」
確かに、俺は、リスティーブルに突撃され、吹き飛ばされ怪我を負わされた。
「俺は……」
悲しそうに目を伏せているレスカ。
俺の肩を壊した牛に対する不満のような感情もある。だが、未来の上手いクリームシチューを作るためなら水に流すこともできる。
「俺は、ただ物珍しさでリスティーブルと触れ合っていただけだ。その後は、疲れて丸一日寝ていただけだ」
「……それでいいんだな」
レスカが驚きで目を見開き、バルドルがニヤニヤとした笑いを浮かべるので、不機嫌さを隠さずに答える。
「それで問題ない。現に俺は怪我をしていない。重傷などという事実はない」
「それじゃあ、俺は報告書に『新任の駐在騎士が職務の伝達前に疲れて寝坊しました』とでも書いて帰るわ」
「もう少し綺麗な表現はないのかよ。旅の疲れから寝込んだとか」
バルドルの冗談に不満げに答える俺のやり取りを見て、レスカがクスクスと笑い出す。
「それから一応、業務の連絡だが、騎士の駐在所が壊された影響でコータスの住む場所がないんだ。だから、コータス、お前はしばらくレスカの牧場で暮らせ」
「はいっ!?」
驚きの声を上げるレスカ。俺も無言だが目を見開き、驚く。
「無理無理無理です! 男の人と一緒に暮らすとか無理ですから!」
「だが、コータスの寝床となる駐在所を壊して、一応怪我を負わせたんだ。それくらい面倒見てくれねぇか? 俺も暇じゃねぇんだ」
そういうバルドルの正論に対して、うっと言葉を詰まらせるレスカは、頭を抱えて唸り声を上げる。
レスカが悩んでいる間、俺はバルドルに一つ質問をする。
「バルドルも駐在所に住んでいただろ? あんたはどうするんだ?」
「俺は、別の牧場に寝泊まりさせてもらうさ。ちょうど出産ラッシュを控えた牧場があるんだ。その手伝いでしばらく夜の手伝いをすることになりそうだ」
「俺もその牧場に一時的に寝泊まりさせてもらえないのか?」
「それは、駄目です!」
一応尋ねたが、バルドルの返事より先に唸り声を上げていたレスカが俺を止める。
「畜産魔物の出産はほとんどが夜で、しかも出産前後は狂暴化します! 慣れた人じゃないと危ないし、足手まといになります!」
「そういうことだ」
俺は、なぜバルドルと一緒ではだめなのか分かり、レスカの方を見て答える。
「俺は、馬小屋でも納屋でもあれば、眠れる。最悪野宿でも構わない」
「それは、もっと駄目です! まだ春先の朝は冷えるから風邪引きます! それに食べ物はどうするんですか!」
「【頑健】の加護があるから風邪は引かない。それに、魔の森で適当に食べられそうなものを取って来る」
年頃の女の子が一時的に出会ったばかりの男と暮らすのは問題があるだろう、と俺が提案するが、それが余計にレスカの頭を悩ませる。
「あー、もう! わかった、わかりました! コータスさんは、私の牧場でしばらく面倒見ます!」
「無理はしなくて良いぞ。どこでも寝られるから」
「私の精神衛生上良くないんです! 大人しくこの家で過ごしてください!」
若干顔を赤らめて恥ずかしそうにしながらビシッと宣言するレスカ。
「……一応、信じますからね」
視線を外して、ぽつりと呟く綺麗な少女の初心な恥じらいを見たら、色々な意味で大丈夫だろうか俺、と自問したくなる。
「そ、それとこの家で暮らすんですから、家賃代わりに牧場の手伝いをしてください! いいですね!」
「わかった。不慣れだが、旨い飯を食べるためなら手伝おう」
まんまとバルドルに乗せられて若干、不機嫌そうにするもすぐに仕方がないと長い溜息を吐き出すレスカ。
俺は俺で、これからどうなるのか少し不安になっていると、バルドルが、この場で俺が倒れる前にできなかった魔物牧場の町での騎士の仕事を伝えてくる。
「それじゃあ、この牧場町の騎士の仕事についてなんだが――ぶっちゃけないんだよ」
「……マジか」
「正確には騎士らしい仕事はない。殆どは、自警団の連中が担っているんだ。だから、俺たちの仕事は、町の仕事の臨時の手伝いだな。そう言う点では、レスカの嬢ちゃんの牧場の手伝いは、ちょうどいい」
レスカは、独立したばかりの新米魔物牧場の牧場主であり、規模が小さいために暇をしている。
そんなレスカは現在、他の牧場主の手伝いと言う形で仕事をしているので、俺がレスカについて牧場仕事を覚える、という考えもあるらしい。
「まぁ、この町の騎士なんて昼間は何でも屋ポジション。夜は、酒場の酔っ払いの仲裁くらいしか仕事がないさ」
そう言って、カラカラ笑うバルドルに対して俺は、随分とのんびりした場所に来てしまったと思った。
そして、そんな俺たちをニコニコと笑顔を浮かべているレスカを見ると、まぁ悪くないかも、と思ってしまう。
結局、俺は丸一日の空腹と傷付いた体を癒すために使った栄養を補うために六回お替りをして綺麗にクリームシチューの鍋の中身を平らげた。
そのため、レスカの食べる分まで食べてしまったと思ったが、先にレスカが食事を済ませているのだ、と聞いて一応納得した。
だが、そんなレスカの視線がスッと窓の外に動いて、慌てたように立ち上がる。
「あっ、忘れてました! 早く集めないと!」
まるで洗濯物を取り込み忘れたような慌て方で外に駆け出すレスカ。
そんな俺たちは、残りのクリームシチューを搔き込んでレスカの後を追う。
そして、牧場の開けた牧草地で見たものは――
「全員集合! 集まれー!」
レスカの呼び声に反応して牧草地からポコポコと姿を現すキノコたち。
だが、そのキノコは、どれも二本足で立ち、自力でレスカの方へと集まって来る。
それもワラワラと無数の歩くキノコがレスカの周りに来ると腕のようにも見える部分をレスカに伸ばして、ぴょんぴょん跳ねる。
それが集まる無数のキノコたちに表情が引き攣る中で、レスカは、ナイフと木箱を用意して近くに来た歩くキノコを鷲掴みにする。
そして――
「さて、今週の分を収穫しないと」
鷲掴みにした二足歩行のキノコの石突きの足と腕をナイフで切り落としていく。
キノコの両手と両足を切り落とされたことによって、動きを完全に止める。
仲間のキノコが殺されてもレスカの元に集まる二足歩行のキノコたちの存在の不気味さにやや引き気味になる。
「な、なんだ、これは……」
この場に剣があれば、全部薙ぎ払いたくなる衝動を抑えて呟くとレスカが笑顔で振り返る。その手元は、次々とキノコたちの足を切り落としていく。
「この子たちは、コマタンゴって魔物です」
「これも魔物か」
「自己意志のない種類の魔物で、《従属契約》を結んだ私という上位存在の命令を忠実に聞いてくれる便利な子たちです」
「いや、聞いてくれるって言っても、この状況はなんだ?」
「ただのコマタンゴの収穫ですよ。群れとして命令を伝達する足を切り落とすことで群れとしての意識がなくなり、普通のキノコと変わらなくなります。はい、今回の収穫は終わり、後は、半分は収穫物の納品の運搬、残り半分は、地面に戻っていいですよ」
そう言うと、半数が牧草地の地面を掘り返すように潜って行き、残り半数は、きちんと整列してレスカの行動を待っている。
そして、並んだキノコの傘の上に収穫した仲間の入った木箱を乗せると、両手で木箱を押さえてどこかに運び始める。
「なぁ、まさかこのキノコって……」
「さっきのクリームシチューに入っていたキノコは、コマタンゴですけど」
「…………」
それがどうかしましたか? と不思議そうに振り返るレスカ。
俺は、あんな訳の分からない魔物だか、生物だかを口にしたのか、と自然と遠い目をしてしまう。
そして、その視線の先には、俺の肩を破壊したリスティーブルが放牧されており、地面へと潜ろうとしているコマタンゴを捕まえて、むしゃむしゃと食べ始める。
あまりに不思議な通常の牧場ではあり得ない光景に自分の常識がひび割れる音が聞こえる気がする。
「まぁ、気にするな。俺がここに左遷された時も同じように感じたから。一か月で慣れる」
バルドルに肩を叩かれて励まされたと思うのだが、それは励ましになっているのだろうか、と思いながら、本当に一か月で慣れられるのか、不安になる俺であった。
【魔物図鑑】
【リスティーブル】
牛種の魔物。猛牛と知られ、村の近くに来たら討伐依頼が出される魔物。
本来は、群れで行動し、非常にのんびりした性格をしているが、ストレスが一定値溜まると暴れ出す猛牛に変わる。また、群れ全体に暴走が伝播し、群れ全体が突然走り出すことがある。
そうした時に遭遇した魔物は、非常に可愛そうなことにひき潰されることになるが、きちんと調教したリスティーブルは、非常に大人しく力がある通常の牛と特に変わらない。
また魔物特有の搾乳期間の長さのために乳牛として重宝する。
オスは、農耕牛。メスは、乳牛としての価値がある一方、暴れやすい性質上、牛革や食肉などを取るのにリスクが大きく、肉の味は他の品種の方が良いためにそれらの需要には適していない。
リスティーブルの名前の由来は、最初にリスティーブルを発見した冒険者が、その普段穏やかだけど、一度怒り出しら手が付けられない姿が自分のお嫁さんに似ていることからお嫁さんの名前を取ってリスティーブルとなった。
【コマタンゴ】
食用可能な菌糸魔物。本体は、地中深くに存在する菌糸の塊であり、そこから分体である小型のキノコ魔物を増やして操る。そのために、個々の意識という物が無く上位存在からの命令を絶対遵守する。
その菌糸の塊は、自己生存と増殖の本能しかないために、調教を施した人間がより上の上位者になることで管理がしやすく、反抗されることはほぼない。
名前の由来は、人間を苗床にする菌糸魔物のマタンゴよりも小さいために小さいマタンゴという意味で付けられたが、全くの別物である。