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卵の殻が当たった額を赤くしながら、デレデレとした表情ですやすやと眠る暗竜の雛を見つめるヒビキは、幸せそうな溜息を吐き出す。
「はぁ、可愛いわねぇ。ドラゴンの赤ちゃん」
「そうですねぇ。やっぱり、生き物の赤ちゃんは、どれも小さくて可愛いですね」
「おーい、レスカ姉ちゃん。バルドルさん呼んできたよー」
暗竜の雛が孵化した後、ジニーに伝言を頼み、先任騎士のバルドルを連れてきてもらった。
一応、元近衛騎士であるために王宮に多少なりとも繋がりがあるために何かいい知恵を授けてくれると思うのだが、やって来たバルドルは、頭が痛そうな表情をしていた。
「まさか、竜が孵っちまうなんて。王宮からの指示はないのに」
「ああ、どうするべきか」
「どうするべきだろうなぁ」
騎士であり、男二人が互いに顔を合わせて、悩んでいる。
「竜の雛など何を食べるのか分からないからな。これから目を覚ました後に何を与えれば良いのか」
「そのことかよ! いや、確かに気にするべきことだけど、そうじゃないだろ!」
俺の言葉にバルドルがツッコミを入れるが、すぐにバルドルは、長い溜息を吐き出す。
「卵は、部屋に置いて適切な管理をすれば、トラブルにはならないが、生まれてしまったのならそれは動く。そして、その雛に何かあれば、最悪、真竜の怒りがこの町に向くことになるんだぞ」
「……そうだな」
「本当なら、卵の内に真竜に引き渡すかしたかったんだがなぁ。真竜も迎えに来ないし、王宮からの連絡もないからなぁ」
そう言って、ぼやくバルドル。
「この場合、どんな可能性があるんだろうな」
「そうだなぁ。卵を巡る主導権の派閥争いでもしているのかもな。真竜と契約した王祖と同じように真竜との関わりを持つための橋渡しって話になるかもな」
「はぁ、なんでそんな面倒なことを考えるかなぁ」
俺としては、生まれてきた命に対して真面目に取り組むべきだと考えるが、そこに政治的な価値を見出すなんて。
「……まぁ、とりあえず国からの指示がない場合は、上司である俺が裁量を握っている訳だ」
「そうだな」
「だから、上司として命令する。お前が当面、真竜の雛を育てろ。良かったな竜を育てられるなんて騎士の誉れだぞ」
「……それはなんだ? 左遷された俺に対する皮肉か?」
無表情で尋ね返すが、別段怒っている訳では無い。元々、暗竜の雛は俺たちで守っていくつもりだった。
「そんな怖い顔するなよ。騎士の誉れって部分は冗談だ。だけど、飛竜と同じだとするなら、最初に見た物を親と思い込む擦り込みがあるはずだ。だから引き離すにも離せないだろ」
そう言って、ちょうど眠りから目を覚ました暗竜の雛は、部屋に見知らぬ男であるバルドルを見つけて盛大に慌て、レスカに助けを求めるように飛びつき、毛布に絡まって転ぶ。
「ほらな。だから、しばらくは、お前らが付きっ切りで面倒見ろ。俺は、どうなっているか直接催促と現状の報告で出かける」
ランドバードを借りれば、すぐだ。と言って今すぐに出かけるようだ。
「後は任せたぞ」
「わかった。善処する」
俺は、そう答えて、バルドルを見送った。
『キュイキュイ』
『『ワフッ……』』
目を覚まし、バルドルが居なくなった後でも甲高い鳴き声を上げる暗竜の雛にレスカは、抱き上げて、揺するが今回は、眠るわけじゃ無さそうだ。
「お腹が空いているんでしょうか? 何を食べさせましょうか?」
「うーん。あたしのクッキー食べる?」
そう言って、ジニーがジャムの乗ったクッキーを差し出すがぷぃ、と顔を背けるためにしょんぼりと肩を落として差し出したクッキーを自分で食べる。
「とりあえず、卵の殻じゃないのか? 卵生の生き物の中には、最初の餌として卵の殻を食べると言うのは聞いたことがある」
「なら、私持って来るわ」
俺がそう口に出すと、ヒビキが立ち上り、暗竜の部屋に置いたままの卵の殻を取りに行く。
しばらくして、大小に割れた卵の殻を持ってきたヒビキがテーブルに広げると暗竜の雛がレスカの腕の中からテーブルの上に飛び移る。
まだ、雛とも呼べる竜で、皮膜の張った小さな羽根でパタパタと動かして滑空するようにテーブルに着地する。
どう見てもあのまんまるとした体を支えることなどできそうにない翼なのだが、そこは、魔法なのだろうか、と思いながら、パリパリと卵の殻を食べ始める雛を見つめる。
「最初は、卵の殻を食べるんですね。でも次からは何を与えればいいんでしょうか?」
「ペロと同じ生肉か?」
「でも竜は雑食ですし、まだ雛ですから消化にいいものが良いのかもしれません」
レスカと話している間も卵の殻を食べ、半分ほど無くなったところで俺の所に飛んできて、頭の上によじ登る。
『キュイ!』
「なんだ? 俺の頭の上が気に入ったのか?」
がしっと前脚で俺の後頭部に抱き付き、後ろ脚を俺の両肩に乗る暗竜の雛。生まれたばかりだが、それでも前脚に爪がしっかりと存在し、後足も両肩に掴む力は強く、しっかりと固定されている。
「ちょっと肩が痛い。具体的には、爪が食い込んでいる」
『『ワフッ』』
今、オルトロスのペロに我慢しろと言われた気がした。
そのまま俺の頭に擦り寄るように頬擦りしてくる。
「なんで俺の頭なんだ?」
「最初に見たのがやっぱりコータス兄ちゃんだからじゃない?」
「あとは、黒髪だから、そこで強い同族意識を感じているとかかしら、ほら、私も黒髪よ~」
ヒビキが自分の髪の毛を一房掴み、暗竜の雛の目の前で揺らしてみると、視線の先が、すすすっ、とそちらに行き、パクッと咥え食べられないものだと判断して離す。
「やったわ。私にも構ってくれた!」
「ヒビキ先生、それ多分竜の尻尾か何かだと思ってじゃれたんじゃ?」
「あら、そうなの? なら、今度からポニーテイルにすれば、赤ちゃん竜ホイホイになるわね!」
何とも前向きだ。そして、早速髪を一纏めにして暗竜の雛に見せつけるが反応せず、今度こそ落胆して見せる。
「ほら、いくらそこが気に入ったからって落ちるかもしれないんだ。こっちで大人しくしていろ」
俺は、暗竜の雛に手を伸ばして捕まえると、俺の膝の上に乗せる。
『キュイ?』
不思議そうにこちらの方を見上げてくる暗竜の雛の顎下を擽るように撫でると嬉しそうに目を細めて俺の体に寄り掛かる。
背中や尻尾などを触って確かめるが、生まれたての鱗の柔らかさはもうなく、そこには小さいながらもしっかりとした鱗を持っていた。だが、それでも感覚が通っているのか、撫でられると気持ちのいい場所があるみたいだ。
「いいなぁ。私も」
「ん、わかった」
「ちょっ!? いいなって、私も触りたいって意味で撫でられたいって意味じゃないから!」
思わず空いた手でレスカの頭も撫でたために、怒られた。逃げるように俺の手から離れるレスカに撫で場所を失った手が代わりに寄って来たオルトロスのペロの頭を交互に撫でる。
「もう、私は、暗竜の雛が他にも食べられそうなもの探してきます」
「私も森の中を彷徨ってた時に見つけたものの中から良さそうな食べ物でも探すさ」
レスカとヒビキがそれぞれ台所と庭の方に移動する中で、俺とジニー、そしてオルトロスのペロで見守る。
しばらくして遊び疲れた暗竜の雛は、俺の服にしがみ付く様に爪を立てて尻尾を腕に巻き付けてくるので、動くに動けなかった。
それは、次に暗竜の雛が空腹で目を覚ます時まで続き、歩く腕が痺れたくらいだった。









