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実はテンションの高かったヒビキだが、思いの外、魔の森で遭難したことが響いたのか、食事と調書を取った後、オルトロスのペロを撫で回してのんびりと過ごしている。
俺も、以前の戦いの名残である疲労を癒すために休む。徹夜による眠気はないのだが、体に溜まった疲労は、時間経過に任せる。
「コータスさん、疲れてますか?」
「やっぱり、そう見えるか? 忙し過ぎて、湯屋に行けてないな」
自分の顔を撫でながら、ほぼ二日程ゆっくりとお風呂のお湯に浸かってない。
この牧場町は、魔物の糞尿を扱い、肉体労働が多いので汗を多く掻くのだが、それでも町全体が清潔なのは、町に湯屋があるからだ。
この国は、火山が幾つもあり、その火山で温められたお湯が湧き出して運営される湯屋は、汚れを落とし、体を清潔に保ち、血行を良くして疲れを癒す。
ただ、若干火山から遠いために、お湯の熱さ自体は高くないので、一度サラマンダー牧場から採れる炎熱石を熱源に再加熱しているのだが。
その風呂の話を聞いたヒビキは、ペロを抱えたままこっちに振りむく。
「えっ!? お風呂があるの!?」
「はい、ありますよ」
「私、お風呂入りたい! もう何日もお風呂入ってないから!」
そう答えて体を痒そうにするヒビキ。確かに保護した後、レスカによって軽くお湯で汚れは拭き取られたが、それでも湯に浸かって汚れを落とすのとは大きく違う。
「そうですね。今日は、早めに入りに行きましょうか。コータスさんも疲れているみたいですし」
俺を気遣ってくれるレスカに促されて、俺たちは、湯屋に行くことになった。
俺とレスカは、自身の着替えを持つが、着替えの服がないジニーは、湯屋の前に一度家によってリア婆さんに事情を説明してから向かう。
今は、簡素なワンピースを着ていたヒビキは、レスカから予備の服を借りて向かうことになる。
「ここが湯屋! 銭湯そのまんまね! 入ったことないけど!」
「あまりはしゃぐな。お前は、魔の森で遭難していた不審者なんだからな」
「分かっているわよ!」
そう言って、レスカと俺が纏めて湯屋の料金を払い中に入る。
魔の森で自警団は警戒中であり、日も比較的高いために俺たちだけのほぼ貸し切り状態だった。
俺は、自身の服を脱ぎ、棚に置いて湯船から常に送り出されるお湯を頭から掛けて全身を濡らす。
そして、タオルで体の汚れを落として表面上の汚れを綺麗にしたらやっと湯船に浸かる。
「ふぅ、体が温まる」
土や動物の糞尿、埃などと戦い、徹夜の寒さに冷えた体をじんわりと温めるお湯に目を瞑りゆっくりと入る。
『凄い! 温泉じゃない! このお湯の効能って何?』
『このお湯は、擦り傷、打ち身、関節痛などにいいって聞きますよ? 具体的な話は分からなくて経験則的な物ですけど』
『へぇ~。美肌の湯じゃないのは残念ね。ジニーちゃん、お姉さんが背中とか洗ってあげようか?』
『ち、近寄るな。不審者! その手の動かし方が怖いんだ!?』
ジニーとヒビキが騒いでいる様だが、まぁ大きな水音が聞こえないので、良識の範囲内での話し合いだと思おう。
俺も体が温まり、一度湯船から出て今度は石鹸で頭を洗う。
この石鹸は、魔物牧場で出る魔物の脂などを原料に作られる石鹸が割と普及している。普通の町だと石鹸は高級品であるが、この牧場町だと廃棄される物の再利用であるために安い。
同じように魔物を狩る冒険者たちでも大抵は、討伐部位や利用価値の高い部分が剥ぎ取られ、それ以外は打ち捨てたり、燃やしたりする。
またもしも持ち帰ることができても死骸の腐敗などの影響で質の悪い動物脂では、いい脂は取れない。
そうした環境の違いからこの魔物牧場では、動物性の脂の石鹸が安価で主流である。
『すっごーい! この石鹸、きめが細かくて肌に優しい! ぷるんぷるんよ!』
『そうなんですか? 他の石鹸とか使ったことないから分かりませんけど』
『悪い石鹸だと、肌の油分とか一気に奪っちゃってカサカサの乾燥しちゃうのよ! だから、お風呂上がりのスキンケアとか重要なのよ!』
『へぇ、ヒビキさんは物知りですね』
『そう言えば、あたしのお祖母ちゃん、お風呂上がりに何か顔に付けてた』
『嘘!? それホント! やったぁ、化粧水よ! 化粧水!』
何をそんなに喜ぶことがあるんだ、と頭を洗い流して再び湯船に浸かる俺は、呆れていたのだが、その後、ヒビキの風呂上がりの保湿という行為について力説されたレスカは、熱心に頷いている声が聞こえる。
そして――
『こーんなに、いいもの持ってるんだからもっと綺麗に着飾らなくっちゃ』
『ひゃっ!? ヒ、ヒビキさん、どこ触っている……ひやっ!?』
『うふふっ、こんなにおっきなおっぱいして、お尻だって安産型とか、もう最高じゃない!』
『変質者、レスカ姉ちゃん嫌がってるだろ!』
『あら? ジニーちゃんも混ぜてほしいの? 大丈夫よ! お姉さん、大きいも小さいも等しく愛でるから! 貧乳は今だけの希少価値よ!』
『あたし、もうやだ! この人話通じない!』
騒がしいヒビキの言動にレスカとジニーの悲鳴やら艶めかしい声が風呂場に響いてくる声を黙って聞いている。
正直、今ほど人が居なくて良かった、と思う時がなかった。
そして、しばらくして、お風呂で湯当たりを起こしかけたジニーをレスカが介抱する名目で風呂場から連れ出し、やっと静かになった。
そして流れるお湯の音が響く中、ヒビキが話しかけてくる。
『ねぇ、コータス。あなた、ムッツリスケベでしょ』
「……なんのことだ」
『ふふっ、黙ってレスカちゃんやジニーちゃんが私と戯れる声聞いて楽しかった』
「茶化すのなら、俺はもう風呂から上がるぞ」
それだけ言って風呂場から立ち上がろうとするが、ヒビキの慌てた声が響く。
『待ってよ待って! ほんの冗談よ! それに、あんたと二人っきりで話したかったのよ!』
「俺と?」
ヒビキの声を聞き、再び浴槽に身を沈める。
『そうよ。お礼と聞きたいことよ』
「騎士としての職務だ。お礼は要らない」
『でも言わせて。一応、私は不審者。それもあなたの知らない国の出身者だからね。いくら、攫われて捨てられたって言っても、それは変わらない。最悪、牢屋に閉じ込められることだって考えたんだから!』
最初の出迎えが物々しい物だったのは、ヒビキには関係ないが、そう思われても仕方がない、と若干の罪悪感を感じる。
『だけど、ちゃんと食事を用意してくれて治療やお風呂にも入れてくれた。しばらくの寝床も作ってくれた。だから、コータスとレスカちゃんには、感謝してるわ』
「…………」
俺は、黙ってヒビキの話を聞く。身寄りのない人間の悲惨さは一応知識として知っている。記憶はないが、一応は孤児だったからな。
『それと、一つ。いや、二つあんたに聞きたいんだけど……』
「なんだ?」
『あんたって日本人?』
「残念ながら、俺はこの国の出身だ。まぁ、本当の親の顔はしらないから何とも言えないな。なぜそう思った?」
『私の国の人って黒目黒髪の人が多いのよ。だから、同じ色合いのコータスも同郷人かなぁ~、と思ったんだけど、違うみたいね』
ただそういう髪の色の人が居ただけか、それとも日本人の子孫か、などと物々と呟いているヒビキだが、答えは出ないようだ。
「それで、もう一つ聞きたいことってなんだ?」
『ああ、もう一つってあんたとレスカって付き合ってるの?』
「はぁ!?」
浴槽のお湯を思わず叩いて水飛沫を上げてしまった。
『いや、同じ家に年頃の男女が二人暮らしだからそういう関係なのかと思ってね。そしたら、私って、お邪魔かなぁ……と思ったから早く一人暮らしするべきだと思ったのよ』
「俺とレスカは、そういう関係じゃない。ただの家主と居候兼、臨時従業員だ」
俺がそう言い切るが、レスカと恋仲ということを考えると顔が熱くなる。これは湯当たりのせいだな。少し長く入り過ぎたようだ。
俺は、ヒビキとの話を切り上げて風呂から上がり、湯屋の前で涼んでいるレスカたちと合流する。
「コータスさん、おかえりなさい。どうでしたか?」
「ああ、気持ちいい湯だった」
真っ直ぐな視線を向けてくるレスカ。ほんのりと上気した頬としっとりと湿り気の帯びた髪や肌、そして涼むために緩ませた服の隙間など無防備なところが多く更に、直前のヒビキの言葉を引き摺っているようだ。
顔が熱く、レスカから視線を逸らす。
「コータスさん、湯当たりしちゃったみたいですけど、冷やしミルクでも買って飲みますか?」
「い、いやいい。気にしなくて」
「そうですか?」
ジニーは、風呂上がりにキンキンに冷えた牛の乳を飲んで、俺を胡乱げな目で見ている。
まさか、ジニーに考えていることを見透かされて……という考えを振り払えば、俺の後からヒビキも風呂から上がって来る。
「あー、いい湯だったわ。それにフルーツ牛乳もあるのね! 贅沢だわ! 中世ファンタジーとは思えない充実っぷりよ!」
そう言って、風呂上がりの一杯をぷはぁと一気飲みするヒビキ。
そして、俺の様子を見つけたヒビキは――
「あらあらあら……意識しちゃっているわね」
「……煩い」
顔に面白い物を見つけた、と書いてあるヒビキの反応にレスカがキョトンとしている。
「どうしたんですか? コータスさん」
「なんでもない。湯冷めする前に帰るぞ」
俺は、ジニーを家に送り届け、その時ヒビキがリア婆さんから化粧水や乳液と呼ばれる風呂上がりの美容の突け薬を貰っていた。
それは、植物が吸い上げた水とピュアスライムの浄化水を混ぜて短時間煮沸した物や脂をベースに複数種のハーブなどのエキスを増せたものらしい。
家に帰った後、ヒビキがそうした美容の薬をレスカに使い方を教えたり、互いに顔をマッサージするなど、微笑ましい光景を見て、久方ぶりの休日が終わった。
【魔物図鑑】
サラマンダー
炎を噴き出すトカゲ系の魔物で脱皮を繰り返すことで少しずつ大きくなる。
体は温かく、寿命が長い。小さい頃は、卵を温めることが苦手な生き物と共生関係を結び、代わりに卵のお守りをして過ごし、ある程度大きくなれば、自立して行動し、時に雌を見つけて卵を育て再び旅立つ単独気質の高い魔物。
辺境の町で飼育されているサラマンダー牧場では、現在三匹の中型サラマンダーが飼育されており、その下で人工孵化させた十匹の小型サラマンダーが存在している。
サラマンダーには、長い年月を生きて、大型やドラゴンサイズの超大型にまで成長する個体も存在するが、牧場で飼育できるのは中型までである。
食性は、雑食。また炎も食べることができ、その炎を体内で凝縮して結晶化することがある。
そうして凝縮された結晶は、炎熱石となり、魔法触媒や町の熱源などに利用される。
炎熱石。別名、サラマンダールビーは、サラマンダーが炎と自身の魔力を凝縮して作った結晶である。
似たような結晶だと、ウンディーネの水寒石やノームの地鳴石、シルフの風紋石、ジェイドの暗界石、ウィスプの光燐石があり、それぞれ小規模だが牧場をやっている。