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夜明け前の最も暗い時間帯に俺たちは目を覚まし、ライコウクラゲのランタンを掲げて畑に繰り出す。
俺たちと同じようにランタンの灯りを頼りに、農作業をする町人たちを見かける。
「おはようございます」
「おはよう」
「おう、レスカの嬢ちゃんにコータスの兄さん。おはようさん。今日も働き者だなぁ」
眠たそうに欠伸をしながら自身の畑から野菜を収穫している町人に軽く会釈してレスカの畑に向かう。
「さぁ、畑の収穫をしちゃいましょうか」
「ああ、そうだな」
梅雨が過ぎて、恵みの夏が到来し、レスカの畑では、動く野菜たちが急成長を見せる。
キュウリ、トマト、ナス、ピーマン、トウモロコシなどの夏野菜を実らせ、そして夜明け前に収穫するのだ。
ヒビキとオルトロスのペロ、暗竜の雛のチェルナを牧場に残したまま、俺とレスカの二人だけで野菜を収穫し、丁寧に籠に載せる。
夜明け前でも起きている動く野菜が食べ頃の野菜を示してくれるので、最も美味しい野菜を次々と収穫していく。
そんな収穫の間、俺は前々から疑問に思っていたことをレスカに尋ねる。
「そう言えば、動く野菜の収穫時期になったが、魔物は襲ってこないな」
動く野菜とは、野菜が魔力などの影響で魔物化した存在である。
動く野菜の特徴には、【魔物誘因】という魔物が好む匂いや味を放つ性質がある。
そのために動く野菜は、自力で動ける時期は、魔物から逃げ、根を張って野菜を実らせる時期には、強く魔物を引きつけて食べさせ、自身の種を遠くに運ばせるのだ。
だが、現在のレスカの畑は、魔物に荒らされたことはない。
「ふふっ、それはですね。畑の肥料が関係しているんです」
「肥料?」
「はい! 動く野菜の性質として、畑の栄養を普通の野菜よりも多く吸収するのでその分、多くの肥料を投入していますよね」
その説明に俺は頷く。
レスカの牧場には、リスティーブルのルインの排泄物を発酵させた牛糞肥料の他にもランドバード牧場から出る鶏糞肥料、リア婆さんの作る液状肥料などを与えている。
「その中で魔物由来の肥料は、魔物の匂いが強いので、魔物の縄張りと勘違いしてくれるので、手は出さないんですよ」
「なるほど、そうした理由があるのか」
「一種類の魔物の匂いだと、同種には余り効果がありませんので複数の匂いの魔物肥料を使ったり、リアお婆さんから魔物避けの匂い薬を撒いてます。それにペロとルインのお陰もありますね
「ペロが?」
魔物肥料による縄張りの形成や薬品による魔物避けは分かるが、そこでペロの名前が出るとは思わなかった。
「ペロは畑の周りにマーキングしてくれますから直接的で強い匂いですね」
「ああ、なるほど。Bランクの魔物だからな」
オルトロスのペロは、討伐ランクB-に分類される魔物だ。
その縄張りとなれば多くの魔物はまず手を出さないだろう。
そんな話をしつつ、野菜を収穫を終え、畑に水遣りをする。
朝日も昇り、水を受けた動く野菜たちは、今日も実りを大きくするために葉を広げ、太陽を一身に浴びる。
「ふぁっ……」
「レスカ、眠いか?」
「はい。でも平気です。夏は暑いですから、午後にはみんなでお昼寝しましょうか」
朝日を眺めるレスカは、小さく手を当てて欠伸をする。
夏場の牧場町は、日中の気温が暑くなるために、今朝のように涼しい時間から働いて暑い時間には休む。
畜産魔物たちも夏の暑さでは、日陰で休んだりするので人間もそれに合わせて、休むなど合理的な理由でのスケジュールが季節ごとに組まれている。
「コータスさん、早速収穫したばかりの野菜を食べますか?」
レスカは、収穫物を運ぶ前に生食できる野菜である収穫したばかりのトマトを井戸水で洗って差し出してくる。
「ありがとう、いただこう」
俺は、レスカから受け取ったトマトを齧れば、ぷつりとトマトの皮が破け、その中から甘酸っぱい汁が溢れてくる。
手元を汚しながら、瑞々しいトマトの汁を吸いながら食べる。
その様子にレスカは、ニコニコと微笑みながら、俺よりも上品に小さな口で少しずつ
トマトを食べる。
「美味しいな」
「はい。コータスさんたちのお陰で立派に育ちましたね」
俺とレスカは、トマト一つを食べ終え、汚れた口や手元を綺麗に洗い、収穫物を運んでいく。
ただ、向かう場所は、レスカの牧場ではなく牧場町の中心部の広間であった。
「おう、お二人さん、こっちだ!」
「あとで俺たちのところを見ていってくれ!」
「うちの野菜と交換しようや!」
「馬鹿。普通の野菜と動く野菜じゃあ、価値が違うだろ!」
次々と牧場町の住人から声を掛けら、笑いが起きる。
俺やレスカたちは、会釈しながら、指定された場所の収穫したばかりの野菜を運んでいく。
ここは、牧場町が開催する朝市である。
定期的に開催されるそれは、牧場町の住人やここに買い付けに訪れた商人、道具を買いに来た近隣住人が集まっている。
以前、訪れたエルフの里の交易に似ており、非常に盛況である。
「やっぱり、人気なのは【水寒石】だな」
「そうですね。やっぱり暑いですからね。食材の保存のために必要ですよね」
商人や近隣住人は、この朝一で買い付けにくる物の中で特に人気なのが、【水寒石】である。
幻影蟲と呼ばれる魔物から剥がれる冷気を発する結晶は、高い気温から食材を守り、少し裕福な村人でも生活の中に組み込んで涼を取ることがある。
逆に、牧場町では足りないものが集まり、牧場町の住人が購入する。
「さて、私たちも準備しましょうか」
「そうだな」
俺たちの場所では、夏野菜に値段を書いた立て札を置き、交易を始める。
「是非、見て行ってください! 動く野菜たちから取れた新鮮夏野菜ですよ。トマトは、生のサラダにしても良いですし、湯むきしてトマトソースにしたものをパスタに絡めても美味しいですよ!」
レスカは早速並べた夏野菜のアピールを始める。
レスカの呼び掛けに、取れたて野菜が少しずつ売れ始める。
「コータスさん、私、他の露店を見て回りたいので、ここをお願いできますか?」
「ああ、店番は任された」
俺は頷き、店番を任された。
さぁ、いつでも来い、というつもりで腕を組んで待つが、どこか俺たちの露店の前を通る人が顔を逸らす。
「……そうか、忘れていた」
鋭い目付きの自分の顔は、怖いのを思い出す。
牧場町の住人は、慣れたために普通に接してくれるが、それ以外の外部から来た商人や近隣の村人たちからは避けられているのかもしれない。
そんな中、俺が店番を代わってから初めてのお客さんがやってきた。
「左遷野郎。なに、辛気臭い顔してんだ」
「よぉ、コータス。なんか、見せてもらいに来たぞ」
「オリバーとバルドル。いらっしゃい、何か買っていくか?」
俺が顔を上げると、町一番の牧場の息子であるオリバーと先任騎士のバルドルが立っていた。
「ふん。俺様は、ただ自警団の見回りで寄っただけだ。ところで……レスカは?」
「レスカなら、他の露店を見に回ってる」
「……そうか」
複雑そうな顔をするオリバーは、辺りを見回す一方、バルドルは露店に並べられた野菜を興味深そうに見る。
「へぇ、旨そうな野菜だな。シャルラに買って帰って何か料理にしてもらうかな」
何かオススメの食べ方はないか、と尋ねてくるバルドルに俺は、記憶を辿りながら、レシピを思い出す。
「そうだな。レスカは、一口大に切った野菜や鶏肉をニンニクとオリーブオイルで炒めたものに湯むきしてカットしたトマトを入れて煮込んだラタトゥーユなんかが旨いな。冷めても
美味しいし、夏野菜の水分が出るから水を足さずに作れる」
俺がそう説明すると、ほぅ、いいこと聞いた、とバルドルは言う。
早速、俺とレスカの露店でトマトとナスを買い、隣で露店をやってる農家の奥さんがバルドルにラタトゥーユのレシピの説明を補足しつつ、自身の露店にあるタマネギとズッキーニなどの野菜をラタトゥーユに入れることを勧めて、バルドルに買わせる。
そして、オリバーは――
「ぐぬぬっ、レスカの手料理を自慢しやがって……ちっ、俺もトウモロコシを5本買う!」
「毎度、採れたてだから生でも旨いし、塩茹でや皮を付けたまま焼いても旨いぞ」
「言われなくても分かってる!」
そう言って、俺からトウモロコシを受け取ったオリバーは、トウモロコシを受け取る。
そして、オリバーとバルドルが再び朝一の巡回に行くのを見送り、しばらくするとレスカが帰ってくる。
「コータスさん、ただいま戻りました! 物々交換でトレント牧場の露店で旬の果実を貰いました!」
レスカは、嬉しそうに籠一杯の果物を持ってくる。
トレントに接ぎ木をした結果、様々な果実を実らせるトレント牧場では、今の季節は桃や梨、ブドウ、ライチや周年のオレンジなどが出回っているようだ。
その他にレスカの畑で栽培していない種類の野菜などと交換したためにとても嬉しそうだ。
「いい買い物ができたんだな」
「はい! コータスさん、店番ありがとうございました。売れ行きはどうでしたか?」
「バルドルとオリバーが少し買ってくれた」
「そうですか! 良かったです!」
そうしてレスカがニコニコとして露店の店番に入ると再び、野菜が売れ始めた。
時折、レスカ目当てで軟派なことをしようとする牧場町以外の人が来るが、俺が一睨み聞かせるとすぐに退散する。
そんな朝市を過ごしていると、左右の露店から又聞きであるが人の噂話が流れてくる。
『さっき、なんでも騎士の人が来たみたいよ』
『ええっ? また前来た時みたいな偉そうな人たち? チェルナちゃんを連れて行っちゃうの?』
『どうやら、ただの護衛みたいよ。なんでも税金に関してのお役人さんみたいな人が大勢
居たらしいわよ』
『俺が聞いた話だと、どこかの貴族がこの牧場町に避暑に来たとかだな。パリトット子爵のところに挨拶にいったらしいぞ』
『避暑って、ここはお貴族様が過ごすような綺麗な湖や山々はないわよ』
そんな噂話が流れてくる。
「なんか、変な話ですね」
「そうだな。役人が来るのは、秋の収穫時期だし、貴族の避暑には向かないよな」
色々と疑問のある話だが、ない話でもない。
この牧場町を取り仕切っている代官のパリトット子爵となんらかの調整をするために訪れたのかもしれない。
貴族の避暑だって、有名な避暑地ではないので多くの貴族が集まらないので貴族同士の付き合いなど皆無に過ごすことができるだろう。
それに景色や気候よりも、美食という面では新鮮な野菜や畜産物などを食べられる牧場町は悪くないのかもしれない。
そんなことを考え過ごしていれば、太陽が大分昇り、少しずつ日差しが強くなってくる。
「コータスさん、そろそろ帰りましょうか」
「そうだな。帰るか」
少しずつ朝市を片付ける牧場町の住人に混じり、俺とレスカも露店を片付け、野菜を持ってレスカの牧場に帰る。
その際、俺は、レスカの後ろ姿を目で追う。
雨季から夏に変わり、服装もそれに合わせた装いに代わっている。
白を基調とした涼しそうな半袖と短めのスカート、そして、日差しを和らげる帽子という夏服のレスカ。
少し背中の開いた夏服から覗くレスカの肌からは、少しだけ汗が滲んでいるように見える。
「コータスさん、どうしました?」
「いや、暑くなってきたな、と思ってな」
「そうですね。水浴びしたいほど暑いですよね」
レスカは、暑さに対して同意するように苦笑いを浮かべる。
そして、俺たちは、レスカの牧場の母屋に入れば――
「あー、お帰り~。リスティーブルの牛舎を開けて、外に日陰のところに水と餌を用意したわよ~。確か、今日が掃除だったわよね」
『『わふぅ~』』
『キュイ~』
母屋の食堂では、夜明け前から起きられないヒビキがペロとチェルナと共に留守番して朝の牧場仕事を代わりにやってくれたようだ。
俺やレスカが不在でも、ヒビキは、手伝えるくらいには牧場仕事になれ始めていた。
ただ――
「部屋が涼しい」
「ごめんね。あまりに暑いからもう、全力で涼風を魔法で生み出してるのよ。あー、暑い」
まだまだこれから暑くなるというのに、食堂全体をヒビキが涼しい風で包んでいるようだ。
また、窓も全開に開けているので、涼しい風が外に逃げていくのに、涼風を放ち続けるので、涼を取るにはかなりの無駄な行動である。
「それじゃあ、朝ご飯を作りましょうか」
「やった~! 待ってたのよね!」
レスカは苦笑いを浮かべながらも涼しい母屋に入れば、嬉しそうにする。
そして、俺も暑いより過ごしやすい方が好ましく思うので何も言わずに収穫した野菜を母屋に運び、朝食を取るのだった。