不幸な人魚(8)
「桃ちゃん。お母様について、お話ししましょう」
最近の鞠子お姉様は、わたくしを見つけると、こんな風に口火を切る。わたくしは勿論、二つ返事で「はい。鞠子お姉様」と答えるのだが、このわたくしの返事が日に日にどうにもおかしな響きを孕んでいくように思えてならなかった。
「桃ちゃんは、お母様についてどんなことを思うのかしら。たとえば、私が桃ちゃんのお母様だとしたら、初めにどんなことを言いたいと思う?」
「わたくしは……、まず、わたくしのことについて、どう思っているのか聞きたいと思います。それから、わたくしを置いていった理由と、今の暮らしが幸せかどうかを聞きたいのです」
「そう。桃ちゃんのお母様は一体、どんなことを言われるのかしらね。とても興味深いわ」
「鞠子お姉様は、もしも、お母様に会うとしたら、何と言われますか」
「私はお母様に、感謝の言葉を言いたいわ。私をこの世に産んでくださって有難う御座いましたと言いたいの。お母様はきっと照れたようにお笑いになるんじゃないかしら。ああ、それから、お母様にはお母様がいない間、私がどんな子であったか、こと細かに教えて差し上げたいわ。お母様なら、きっと、喜んで聞いて下さるに違いないもの」
「……置き去りにされた理由をお尋ねにはならないのですか」
「あまり気にならないわ。だって、私を置いていかねばならないほどの大それた理由なんですもの。私が気にしたからってどうにかなるものじゃないし、もとより仕方がなかったと思うしかないわ。それよりも、私がどんな様子で暮らしていたかを教えて差し上げたいの」
鞠子お姉様の頭の中に、ぼんやりと浮かび上がるお母様の虚像は、わたくしの知る、伯母様その人であった。鞠子お姉様が言うようになされば、きっと、伯母様は目に玉のような涙を浮かべて、鞠子お姉様の思う通りの反応を見せるのだろうと思われた。それは、どこにでも見られると思われがちな、しかし、軽々しくありきたりだとは口にできぬ、母と子の心温まる光景であった。母失くして育った少女が、数十年の時を経て、再会した実母との無償の愛を確かめるという、幸福しか映らぬ日常を取り戻すような、涙ぐましい想像にも関わらず、しかし、わたくしは、この鞠子お姉様の言葉に、振る舞いに、何やら、得体のしれぬ、動揺を覚えたのであった。その正体こそ掴めぬものの、わけのわからぬ不安は、このときから、わたくしをじわじわと蝕んでいったのであった。