97話-疑問
首都にいるというのに、辺りが不自然なほど静かになりました。突然、音が消えてしまったみたいに、唐突でした。初めは耳がおかしくなったのかと思いましたが、ジョゼットさんの吐息が聞こえるので違うでしょう。
「大通りに出てみましょう」
私は頷き、道を先導します。神旗を持っているので当然のことです。
首都とはいえ、敵がいないとは限りません。
大通りに出ると、通行人が両端に列を成し、道の真ん中を空けていました。
先に進むとそれが何故かわかりました。道の真ん中を通っているモノがこの辺りを静寂に包んだようです。
一番前にいる2人組の男が肩に棒を担いでいました。その棒には両手両足を縛られ、そこに棒を通し、下着姿の女が吊るされていています。
その後ろには見たこともない乗り物で、豪華絢爛な箱に人が乗っているようです。それを身なりのキチンとした2人の女性が支えていました。
前後で間反対の待遇です。この見世物は籠の主によるもののようでした。
「行きましょう」
ジョゼットさんが小声でそう言い、大通りから離れようとします。
私たちがここにいても何もすることはない、ということです。つまり、籠の主はイノ家と同等の家柄なのでしょう。
私が踵を返そうとした瞬間、こちらに向かって言葉が投げかけられました。
「お二人さん。せっかくの見世物なのだから楽しんでくださらないと」
「嫌よ。私たちには合わないから」
振り返らずジョゼットさんが言うと、籠の主は驚いた声をあげました。
「あら、ジョゼット・イノじゃない。手無精な女にしては珍しいわね」
「お久しぶり、ルトワ・カリエス。相変わらず悪趣味ね」
「お前が幼稚なだけではなくて?」
籠の中で合図があったのか、従者の女たちは膝をつき、ゆっくりと割れ物を扱うかのようにそっと籠を地面に置くと、中から栗色の長髪の少女が出てきました。
目鼻立ちがハッキリしていますが、目つきがかなり悪く威圧感があります。それを中和するように、髪は幻想的なまでに長く綺麗でした。彼女の背丈以上ありますが、髪は地面につかず、籠を支えていた女性たちの手によって浮かされています。
私より年下に見えますが、今のやり取りを見るとジョゼットさんと同学年なのかもしれません。
どちらにせよ、ジョゼットさんに不遜な振る舞いが許されるのは、カリエス家の子供だからでした。
5人しかいない大神官の1人に、カリエス家の当主がいるからです。イノ家と同等の家でした。
「悪趣味とは言うけれど、それは誤解というものよ。趣味ではなく、罰なんだから」
罰という所だけ強調して言ってから、吊るされている女に近づき、彼女の乳房を思い切り握りしめました。
「こいつを買って、連れ帰ったらとんでもないことがわかったのよ。既に汚れていることを告げなかったの。この横の男が夫なんですって。この若さで子供もいるそうだわ。信じられる? そうなると買ったのに使い道がないじゃない。だから、有効活用しているの。おわかりになって?」
私にはわかりませんでした。それでも、つい先日までなら頷いたでしょう。わからなくとも漠然と、加護のない人間が、加護のある人間に使役されるのは当然だと考えていたからです。
でも今はこう思います。
加護や神旗の有無で、こんな仕打ちを受けなければならないほどの何かがあるでしょうか?
有無は確かに違いではありますが、ここまでしていい差があるとでも言うのでしょうか?
『そんなことはない』
そう私は口に出せませんでした。
今、目の前で辱められている人々を助けたいと思います。でも、動けない。それが答えでした。
その一歩は、ネメスという国と対峙するのと同義だからです。保身に走ってしまったのでした。
加護がないモノは人ではなく、同じ形をした物。加護がない人々は、ネメスではそういう認識なのです。
私もそのことに疑問にすら感じない人間でした。
ローウェール家ではそうした人々を使っていなく、買う必要もお金もなかったとはいえ、目にしたことがなかったわけではありません。
このような暴虐は、バイル学園でよく目にする光景でした。スラムが近いこともあり、安価で加護のない人を買えたのです。裕福な学生たちはよくスラムで遊んでいましたし、そういう話はありふれた娯楽だったので、友人がいなくとも周囲が話していてよく聞きました。
こうした話に疑問を抱くようになったのは、加護なくとも関係なく素敵だと思える人と巡り会えたから、そう思うだけです。
そう、それは急変とも言えるものです。
先ほどトオルに加護がないと聞くまで、こんなことは思いもしなかったので、私は混乱していました。
私にはルトワさんだけでなく、この国が何もかも歪んでいるように見えてきたのです。
この場にいる全員に、どうしてこの状況で黙っているのかを問いたくなります。それは妄想という形で、頭で描かれ、私は人々に問い続けます。ですが、誰も答えてくれません。
どうして? 適当に縋りついた人に私は訊きます。
だって、自分でもわからないじゃないか? そう答えたその人の顔は石膏で出来ていて、ボロボロと崩れていきます。それが崩れた時には、石膏の顔は私そのものでした。
そんなものをじっと見ていると、頭を掻きむしりたくなるような衝動に襲われます。
どうして、こんな事を受け容れられていたのだ私は? ネメスの人々は全員おかしくなったのか?
もしくは私がおかしいのかもしれません。違いは差になってはならないと、思う私が異質なのでしょうか?
「わからないわよ」
それは私への返答ではなかったのですが、そうだと認識するまで時間がかかりました。
何の配慮もない言葉でジョゼットさんは拒絶したようです。ルトワさんのことが本当に嫌いなのでしょう。
ですが、その冷徹な声が私の思考を途切れさせてくれました。
私が深く息を吐くと、ジョゼットさんはこちらを見て、この場から離れよう、と眼で言いました。
「それじゃあ、ルトワ・カリエス、また学園で」
そうジョゼットさんは言ってから、私の背に手を置き歩き出します。
ルトワさんは私たちが去るのを今度は止めなかったので、そのまま去りました。
距離を取ってから、ジョゼットさんは立ち止まり、私の顔を覗き込みました。
「顔色が悪いわよ」
「すみません。お気遣いいただいて」
「そんなことしてないわ。私はあんな所にいたくなかっただけ」
きっぱりとした声には含みはありませんでした。ジョゼットさんはルトワさんのことを――あるいはルトワさんの行為を――嫌悪しているのでしょう。
「同じ顔をするのね」
「誰とですか?」
「ごめんなさい、独り言よ。それより、本当に大丈夫?」
「はい。少し考え事をしすぎたせいかと」
「その顔、まだ悩んでいるみたいね。なら、首都を発つ前にネメス様の所に行ったらどうかしら?」
ジョゼットさんの助言は理にかなっています。原因も話していないのですから、当たり障りないものになるのは仕方ありません。
私が抱いている疑問は、加護のない人として見るのは間違っているのでしょうか、というものでした。そんなことをネメス神に聞くわけにはいけません。
ネメスでの常識を疑うというのは、神への疑いなのです。
そんなことをすれば、ローウェル家の再興どころか、私自身が危険に晒されるに違いないのです。




