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9話


 ニクルは隷属するためにスキルを磨く存在だ。奉仕に弱く、愛に飢えている。

 だから、トオルがマッサージを数度すると、すっかり彼女を信用した。

 今ではトオル様ではなく、トオル姉さまと呼ばれるほどである。


「でもなあ」


 朝から中庭でトオルはため息をついた。

 ニクルからリーリエの話を聞けば聞くほど、いい評価ばかりなのだ。

 リーリエに弱点らしい弱点はなかった。文武両道の彼女には、言葉でも力でも、強引に攻めることもできないだろう。頭がいいから、下手を打てば丸め込まれてしまうかもしれない。


「トオル学校に行こう」

「あ、はい」


 考え事に没頭していたせいで、登校時間に気づかなかった。

 リーリエはそのことを怒ったりせず、にこやな顔だ。

 しかし、トオルはその態度に甘えるわけにもいかない。でき損ないの従者など彼女も望まないだろう。

 リーリエの屋敷から学園まで徒歩で行くことができる。そのため、講義の開始時間ギリギリに向かうことができた。スラム住まいの時では考えられない。

 バイル学園は日本の義務教育に当たる年齢の少女たちが通っているが、大学のような単位制になっている。しかし、取得単位の区分が細かくなく縛りも少ない。それでもどの講義も満席になるほど人気だ。

 なぜなら、勉強できることが貴重なのだ。社会制度は発達していなかった。

 メリドでは選ばれた者しか学べない。その機会をむざむざ捨てるような真似をする生徒はそもそも学園に入らないのだ。

 例外はもちろんある。貴族の子は適当にやっている場合もあった。もちろんリーリエも、いつでも学べるだろう。しかし、彼女はかなり熱心に聞いていた。

 

「それにしても」

「どうかなさいました?」


 真面目なリーリエが授業中に小声で話始めたので、トオルは驚いて声のボリュームを間違えた。

 が、そのことを教諭は咎めない。今となってはトオルに文句をいうと、リーリエが絡んでくるのでうかつに口出しできないのだ。

 リーリエ自身もそのことには気づいているだろう。しかし、それを振りかざすような真似はせず、迷惑をかけない模範的な生徒として過ごしている。

 だからこそ、リーリエが雑談していることにトオルは驚いたのだ。


「君への視線だよ」

「そういうことですか」


 トオルの発言で講義が止まっていた。恐らく、何を話しているかまではわからない教諭は、リーリエの機嫌を損ねたのではと心配になっているのだろう。

 そんな教諭を見て、リーリエはトオルに苦笑した。

 それが何を指すのか、トオルも察せるようになっていた。

 二人は立ち上がり、頭を下げて教諭に謝った。その時、リーリエが黙っていてくれと言うので、トオルは頭を上げると口を噤んだ。


「講義を止めて申し訳ありません。静かにしていますので、このままいても?」

「え、あ、もちろんです」


 リーリエの言葉に教諭は慌てて返事をした。

 トオルは自分に視線が向けられているとわかっていたし、予知もできていた。リーリエの従者というだけで注目されるに決まっている。

 しかし、従者になってから数週間が経ち、視線に違った意味も含まれていることに気づいた。


「アイドルってこんな気分だったんだろうか」


 トオルが次の講義へ廊下を移動をしているだけで、黄色い歓声が湧く。

 なんとなく、彼女が数人の生徒に向けて手を振ると、その声量は倍加した。

 リーリエだけでなく、トオルも生徒たちから好意の目を向けられていたのだ。

 それは憧れであり、恋の視線だった。

 メリドでは同性愛が神聖視されている。なぜなら、女性同士で子供を授かることができるからだ。

 しかし、それには神の許可が必要となる。もちろん、僅かな人間しか許可は得られない。

 子を授かることができないのを承知し、同性で愛し合うことも事実上不可能だ。それは禁忌だそうで、加護を失う可能性があると伝聞されている。

 神に認められた愛であり、同性愛を成就させる困難さもあって、憧れるのだろう。

 禁忌なのは行動に移すことなので、こうしてはしゃぐ分には神も怒らないのだ。


「こうも騒がれると嫉妬してしまうな」

「あくまで私はリーリエ様のおまけですよ」

「それは違う」


 リーリエは真面目な表情で首を振った。


「私が嫉妬しているのは、君の関心を奪おうとする生徒たちだよ。もちろん、私のおまけなんてこともない。トオルは十二分に魅力的さ」


 そう言ってリーリエは人差し指でトオルの顎を上げた。そんな格好が様になる少女だ。男装すれば映えるだろう。

 だから、男であるトオルがときめいてしまっても仕方がないのである。廊下の窓に映る自分を見て、彼女はそう自分に言い聞かせた。

 確かに、転生体のトオルはリーリエやニクルに比べ、特徴のない少女であったが、整ってはいる。胸もそれなりにあるし、地毛の赤髪も腰に届きそうなほど長い。青い目はくっきりと丸く、顔も小さかった。加護に恵まれなかったが、顔はそれなりに恵まれている。


「ありがとうございます」


 トオルの返事を聞き、リーリエは微笑を浮かべ手を離した。

 一連の行動を見た生徒たちが悲鳴をあげたり、泣いたり、はしゃいだりする。

 これでは見世物だ、とトオルは思ったが、リーリエは気に留めていないようだった。子供の頃から周囲の目に慣れているのだろう。

 そんな自信に満ち溢れたリーリエの唇を奪わなければならない。

 今までトオルがキスしてきた女性で加護を失ったものはいない。が、ステラも明日にはなくなっているかもしれないのだ。神が視認できるとはいえ、彼らの機嫌まではわからない。

 だから、リーリエに加護を失ってもいいから、トオルに全て委ねたい、と思わせねばならない。

 簡単にキスできない理由はそこだった。ふざけて、という言い訳もつかえない。許可されていない同性愛はメリドでのアイデンティティーを失う行為なのだ。 

 が、加護を失う心配のない相手なら手は速い。

 ニクルへのキスは簡単だった。

 彼女にハグをしたりとスキンシップを増やしたところで、マッサージ後、トオルが不意にキスをしたのだ。

 ニクルは硬くなり顔を赤らめながらも、目をそっと閉じ受け入れた。

 トオルは短く口づけを切りあげ、ニクルの頭を抱く。綺麗なレイヤーボブの茶髪からは甘い香りが漂ってきた。仕事終わりにやってきて汗の匂いがしないということは香水でも振ってきたのだろう。そういうニクルの気づかいが可愛くて、トオルは耳にキスをし、一層強くけれど柔らかくニクルを抱きしめた。

 こうして着々とリーリエの屋敷を支配していく。それがリーリエ攻略への近道だった。 


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