81話-憧れの存在たち
「トオルは死んだ」
私は己が内で叫びます。トオルは死んだのだと、認めさせます。
彼女が生きている可能性は限りなく低いですし、そうしなければ、私たちが先に進めません。
私はトオルのことに囚われず、目の前の友を支えると決めたのでした。
実を言うと、そう思ったのはたった今でした。リーリエは類い稀なる加護を授かり、それでいて研鑽を忘れぬ強き人です。時折、自分とは違う存在なのだと思い込みたくなりますが、彼女も弱さを持っている1人の人間でした。綺麗な涙を流す少女だったのです。
彼女の泣く姿を見て、私は過去の自分を思い出します。家族を失い涙を流していた幼き頃の自分を。騎士に憧れた私を。それを杖に立ち上がった過去を。
「騎士になる」
私は物心ついた時には夢を口走っていました。誰かを守る存在になりたかったのです。
ですが、つい最近まで守りたいというだけで、誰かという対象には明確な形が思い浮かばなかったのです。それは今思うに、騎士長であった姉たちですら私を置いていったのに、彼女らより弱い私がどうあがいても誰かを守れないと考え、恐れていたからに違いありません。
友がいなかったのは、そんな考えが無意識にあって距離を取っていたからかも。いえ、ローウェル家の再興ばかり見ていて、他者を気遣えなかった愚か者のせいです。
そんな――当時は――変わり者に踏み込んでくれたトオルとリーリエのおかげで、私は色んなことに気づけました。それは今も。
こんな風に整理できているのでさえトオルのおかげです。彼女がきっかけで、夏の長期休暇の間に自分自身のことをよく思い起こしたからでした。
「リーリエ、どうしたいのか教えてください」
「え?」
「そうですよね。例が必要でした」
突然訊いても何が何やらわからないでしょう。ましてや、リーリエはトオルのことで混乱しているのです。口下手な私の悪い癖で、余計に負担をかけるところでした。
少し長くなりますけど、と前置きしてから私は話し始めます。
「私には憧れの存在たちがいて、彼女らの背を見て培った夢があります。ですか、憧れていた背を見た当初の思いを最近まで忘れていたのです。そのせいで、背を見て、自分が抱いた思いを曲げていたのです。私は騎士になりたいと思いつつも、どれほど強くとも負けるのだ、という恐怖に負けていました。自分では誰も守れないと。おかしいですよね? だって、私は誰かを守ろうとなんてしていなかった。ローウェル家の再興ばかり考えていました。他者のためになんてものではありません。言わば自己満足です」
私は息を吸い込み、自分を叱るように声を張ります。
「私の夢はそんなものじゃないんです。もちろん、再興もできるならしたいですが。ああ、そうじゃなくて、私が騎士になりたかったのは強くなれるからです。子供らしいですよね。騎士になったら強くなれるだなんて」
笑いを誘いますが、リーリエは真面目な表情をしていました。真剣に聞いてくれて嬉しいような悲しいような。ともかく、私にはトオルのように人をクスリとさせる才はないようです。
「つまり夢は強くなった先にあったんです。背中を見ているだけではダメだったんですよ。なぜなら、私が本当に守りたかったのは、憧れの存在でした。彼女らと共に在りたかった。でもそれは叶いません」
姉のことを知っているからか、リーリエが目を伏せました。今の話が姉のことを指していると思ったのでしょう。
しかし、それは完全な正解ではありません。憧れの存在はたくさんいます。
私の人生には、心根が優しく、思わず尊敬してしまうような人がたくさんいたのです。
でも、その対象の多くは消えていきました。姉も、兄も、トオルもいなくなってしまいました。
私は人々を救うという騎士の大義名分も持ち合わせていますが、それ以上に自分を守ってくれていた人の助けになりたかったのでした。強くなって恩を返し、私も彼女たちのように、と。騎士として隣に立ち、憧れの存在たちから培った信念を貫きたかったのです。
だからこそ、また消えてしまう前に動かないと。
今度こそ、憧れの人と並び立ち、支えられるように強くなって、共に歩めるように。
「私はリーリエの力になりたいのです。貴方のことは人として尊敬していますし、友として放って置けないのです。だから、教えてください。リーリエは何がしたいんですか? 教えてくれれば力になります。セネカ・ローウェルの名に誓って」
リーリエはしばらく黙り込んで、私を見ていました。涙は止まり、青紫色の瞳が透き通っていきます。
私の知っているリーリエに少しずつ戻っていきます。
自分の口下手さの心配をするまでもありません。この顔のリーリエを信頼できなければ、人など信頼できないでしょう。きっと、彼女は真摯に考え答えを出すのです。
「何がしたいのかはわからないや。私だって、似たようなことは考えたんだよセネカ。でもね、引きこもって考えても何も浮かばなかった。けれど、君が来て気づいたことがある」
リーリエはベットから立ちあがって、窓の方に向かいました。その足取りはしっかりしていたので、手を貸さずその背を見つめます。
「こんなことがしたいわけじゃない」
そう言って、リーリエはカーテンを引き、部屋に光を取り入れました。