80話-リーリエの慟哭
リーリエとジョゼットさんの間にはただならぬ空気が流れていました。私は何が何だかわかりませんでしたから、どうすべきか迷いましたが、自分にできることを成します。
「リーリエ、休みだからって夜更かしはいけないよ。顔に隈ができてる」
私がそう言うと、リーリエは疲れた顔のまま口端を上げました。彼女の視線がジョゼットさんから切れた隙に、私はリーリエを部屋に押し込みます。
「ジョゼットさん、リーリエのことはお任せください」
「ええ、お願いね」
ジョゼットさんは私の強引な行動に、戸惑いながらもそう返してくれたので無事済みます。何とかジョゼットさんを離れさせ、リーリエと2人きりになれました。
私は部屋に入ってから、扉を閉めるべきか悩みました。リーリエの部屋はカーテンが締め切ってあって、隙間から溢れる光しかなく暗かったからです。少し考えた結果、私は扉を閉め、リーリエに切り出します。
「リーリエ、何があったんですか?」
私がリーリエの肩を持ってそう言うと、彼女は泣きそうな顔を下に向けました。この反応からも、何かがあったことは明らかです。
リーリエの顔と同等の異変が部屋の中でも起こっていました。読書家である彼女の実家なので、本棚が立ち並んでいて、奥に机とベットという図書館のような部屋が、荒れていました。本や服が散乱していて、掃除もしていないのか埃っぽいです。私が知っているリーリエからは想像もできない光景でした。
「トオルが」
部屋の有り様に目を奪われていた時に、リーリエが突然言いました。話を聞くことに集中していなかったのもありますが、リーリエの声があまりにも小さくてキチンと聞き取れたか自信がありませんでした。
「トオルですか?」
私がそう聞き返すとリーリエは顔を縦に振ります。その動きで私の足首に何かが飛んで来ました。それはリーリエの涙のようでした。目の前にいる彼女は、肩を震わせながらも、懸命に言葉を紡ごうとします。今まで話す気がなかったのではなく、話せなかったのです。言葉が喉に詰まり、声が出せないほど取り乱しているのです。
「トオルがいなくなったんだ。いくら探しても、どこにもいないんだ」
「え?」
「トオルが、ジョゼット姉様に、それで、いなくなって」
リーリエの話は何が何やらわかりませんでした。わかったことといえば、彼女が混乱しているということです。
話を整理したりするのは苦手なのですがするしかありません。
私はリーリエを宥めながら、情報を頭で整えつつ、次に繋がる情報を引き出すための質問を考えます。
「トオルが、ジョゼットさんと何かしらあって、いなくなった。そういうことですね」
リーリエが頷きます。それだけでよろめいたので、私は彼女の体を支えつつ、ベットに誘導しました。
「トオルがいなくなったとは、死んだということですか? それとも、従者ではなくなったということですか?」
死という単語を言ったら刺激してしまうかもしれない、と私は思いました。その言葉に取り乱した経験者として、単語を選ぶべきだとわかっていましたが、トオルの安否が気になってしまい口に出してしまいました。
焦りから出た問いに、リーリエは首を横に振り、否定します。
よかった、と私が息を呑んでいると彼女は思いもしないことを口にしました。
「生きているか、死んでいるかはわからない」
リーリエの発言に私は冷静さを手放しそうになりました。すぐさま、手段を選ばずリーリエを問い詰めようかと思うほどに血が上ります。
ですが、それは寸で止まりました。そうです。そのように取り乱すと進むものも進みません。
私は剣を握った気持ちで気を落ち着けてから、質問を続けます。
「つまり、リーリエにはトオルの行方がわからないんですね」
「そうなんだ」
リーリエはそう答えました。その声は震えていましたが、いつもの調子が少し戻っています。これなら、と私はもう少し踏み込むことにしました。
「じゃあ、そうなった原因は話せますか?」
「トオルが、ジョゼット姉様を襲って、その罰として屋敷から出されたんだ」
「そこからの行方がわからない、ということですね」
「ああ」
深刻な事態に私は思わず匙を投げたくなります。
トオルがジョゼットさんを襲ったという点が腑に落ちませんが、今はそのことを置いておきます。
一番の問題は、トオルの安否でしょう。それがわからないことには、意味がありません。
「いつトオルはいなくなったのですか?」
「もう何週間も前だ。それもスラムで」
またリーリエの話が乱れだしたので、私は一度口を閉じ彼女を落ち着けることに専念しました。
平静を取り戻したリーリエが言うには、トオルはジョゼットさんを襲い、返り討ちに合って目的を吐かせるために拷問にかけられた。その末に自白剤を飲まされて衰弱した身をスラムに捨てられた、とのことでした。
「初めはトオルがジョゼット姉様を襲ったことに驚いて、トオルのことをジョゼット姉様に任せてしまったんだ。私はジョゼット姉様がトオルを連れて行ったあと、彼女の言い分を何も聞かず、自白剤で弁明もできない所で責めることしかできなかったことに気づいたんだ。それは遅かった。ジョゼット姉様はスラムに捨ててきたと言った。衰弱していた人間にそんなことをするだなんて私は予想もしていなかったんだ」
リーリエはまた涙を流します。彼女が流している涙は悲しいからではないのでしょう。悔しくて、トオルに申し訳なくて、涙しているのです。
「私はすぐ後悔して、スラム中を駆け回ったよ。探しつくしたよ。でも、見つからなかったんだ。どこにもいないんだ。私を助けてくれた、友は、どこにも。私が殺してしまったんだ」
リーリエは叫びます。私が悪かったんだと。誰かを責めているのではありません。彼女の慟哭は自分自身にしか向けられていません。
私が騎士長を恨んでいたようなことはしないのです。
そうして、リーリエはずっと成長してきたと思います。自分で抱え、自分で解決してきた。でも、初めて解決できない問題が起こった。
その問題はとても繊細で、難しいものだった。気軽に誰かに話せないし、言い方次第では姉を責めることになる。
だから、誰にも話せなかった。その結果が、今のリーリエなのでしょう。
これほど追い詰められたリーリエが探しつくした、と言うのですから、トオルは死んだと考えるのが自然なことでした。スラムという場所はネメスで最も無慈悲なのです。
健常な状態であればまだしも、数週間は自分で立ちあがることすらできなくなるという自白剤を飲まされたあとでは無事では済みません。
生きていたとしても、可愛らしい女性でしたから、どこかに売り飛ばされ男性の慰み物になっているでしょう。そうした人々の一生はとても短いものです。
尺の関係もありますが、明日から2日ほど家を空けるので、その間のストックとして小分けにしました。12日~14日の更新ができそうな場合は23時に予約投稿するように設定します。なければ間に合わなかったのだとお察しください。そうならないよう今から頑張って書き上げたいと思います。