75話-遅かった?
「それにしても、実技に入る心づもりが消えちゃったね」
ははは、と笑うバネッサであったが、トオルはそれでは困る。激辛料理を食べて1時間は経過しているはずなのに、未だ口がヒリヒリするは確かであるが。
どう説得しようか、とトオルが考えを巡らせようとした時、ノックの音がした。
「アルだね。どうぞー」
バネッサはノックだけで訪問者がアルーシェであると断定した。防犯上いかがなものか、とトオルは思ったが、ネメスでも防犯事情は似たようなものだったのでこの世界共通の薄さなのだろう。
中に入ってきたのは、予想通りアルーシェだった。またあの下着以下の格好である。これで家の中だけ着ているという説は消えてしまった。
「お腹すいてるでしょうって思って差し入れに来たんだけど」
アルーシェは私の方を見て鼻で息を吐いた。
「遅かったみたいね」
本当にね、とトオルは心の中で叫ぶ。本当にね!
アルーシェが来たので、実技の方は明日に延期となった。
決まってしまったことにトオルは不貞腐れたりはしない。それにお腹は減っていたので、アルーシェの差し入れは嬉しかった。既にバネッサは貪るように食べている。久方ぶりのまともな食事なのだから仕方ない。
トオルとアルーシェはキッチンでお茶の準備をしながら、バネッサの吸いこむような食事を観察していた。
「アルーシェさん、知ってたのなら教えてくださいよ」
トオルは茶化した風を装って、アルーシェに抗議する。
「すみませんでした。まさか、バネッサが誰かのために、自分で食事を準備するだなんて思いもしなかったので。本当に、トオルは好かれていますね」
「お師匠にですか?」
「そうです。バネッサがきちんと服を着て、さらにボタンまできっちり締めているなんてよほどのことです。料理だって、錬金術を教えることだって乗り気じゃなかったのに、今では本気みたいですから」
バネッサにどういう経緯で好かれたのか、全く見当がつかないトオルであったが、そう言われると悪い気はしない。
「アル、お茶はまだか?」
「今、持って行きますよ」
アルーシェと共にトオルはテーブルにつき、何かしらの肉の串焼きとパンを頬張る。これも味付けとしては辛かったが、先ほどの苦行に比べれば何ということはなかった。
先に食べ終えたバネッサは、トオルの方をじっと見ていた。何の用事だろう、とトオルが目を合わせようとすると逸らし、視線が切れるとまた見るというのを何度か繰り返した後、決心したように口を開く。
「トオルはどういう人が恋愛対象として好みですか?」
予想だにしていなかった質問に、トオルは一時的に凍ってしまう。古今東西、日本だろうがメリドだろうが、ガールズトークとしては鉄板のネタであるが、まさかほぼ初対面の人間に訊くとは思いもしなかったのである。
「やっぱり、ステラのような人ですか?」
硬直は解けない。話の展開そのものについていけないトオルであったが、それ以前の疑問があった。
「あの、フォルドアでも同性愛が認められてるんですか?」
なんとか絞り出したトオルの一言を聞いて、アルーシェとバネッサは顔を見合わせた。
「もちろん、そうだけど、ネメスでは違うのかしら?」
「いえ、そうではないみたいですよアル。そういえば、ステラっちから聞いたことがあります。確か、ネメスは神の許可を得たものだけができるんでしたっけ?」
トオルが頷くと、また二人は顔を見合わせた。
「フォルドアでは恋仲同士で、神が御座す場所で宣誓すればいいだけですよ」
アルーシェの何気なく言った一言に、どうしようもなく、文化の差を感じてしまうトオルであった。
短めですが、2日連続で更新無しはいくらなんでも、と思い更新です。
明日の76話で灼熱の国編は終了です。次の章も同じぐらいの短さか、もっと短くなると思います。