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73話-ダメ人間バネッサ

「暑い中、気持ちよかったので長時間働かせてしまったから、ふらっとしてしまったみたいなんです。トオルもごめんなさい。疲れているのを全然察せなかったわ」


 アルーシェの協力もあり、ステラの誤解は解けた。

 トオルはこの件でひとつ学んだことがある。怒鳴り散らかされたり、殴られたりした方がよっぽどマシだということを。

 泣かれるより、悲しまれる方が辛いということを。


「気になってたんだけど、ステラ、昼は外で取ってくるんじゃなかったっけ?」


 商品の買い付けであちこち回るから、と言っていたのをトオルは覚えていた。

 ステラは生真面目な性格なので、言ったことを守るはずだ。そうしなかったからには、それなりの理由があるはずなのである。


「バネッサさんから伝言があって、戻ってきたんです」

「バネッサさん?」

「錬金術師のことだよ。私の友人のね。それで、何て?」


 トオルの質問にアルーシェが答えた。マッサージの成果以前に、手配をしてくれていたらしい。


「明日は用事があるから、できれば今日がいいと」

「全く、彼女は怠け者なんだから。でも、報酬は早く受け取った方がいいからね。今回ばかりは許しましょう」


 鷹揚にアルーシェは頷き、トオルの方を向いて、歯を見せずに唇を割って笑った。


「お昼を食べたら、行ってくるといいわ。私は昼から用事があるから、ステラが案内だけしてくれるかしら?」

「はい。でも、私も一緒に」

「ステラは仕事があるでしょう? バネッサはちょっと変わり者だけど、トオルなら平気よ」

「そう、ですね。では、トオル様、頑張ってください」


 とよくわからないお墨付きを頂き、トオルは一人でバネッサの元に向かうこととなった。


「それでは、仕事が終わり次第来ますので、こちらでお待ちください」

「ああ。勉強してくるよ」


 目的地の前でトオルとステラは別れた。

 バネッサの家もやはり他の建物と見分けがつかない白いものだった。こちらの建物も2階建てのようである。ますますわからない。帰りはステラが来てくれるので迷うことはないだろうが、心配なものは心配である。

 アルーシェの家があった南側とは違い、北側は錬金術関連の商品が並んでいた。露天は少なく、代わりに錬金術のための工房であったり、それらを扱う商品や生活用品がある雑貨屋が多かった。昼過ぎという時間も関係するのかはわからないが、活気は南ほどなく、人がまばらにいる程度だ。


「すいません。アルーシェさんの紹介で来たトオルです」

「入ってきてー」


 間延びした返事が建物から帰っきたので、トオルは失礼しますと口にしてから扉を開ける。その瞬間、冷気がトオルの頬を撫でた。この感覚を彼女は覚えている。真夏のオアシス、コンビニである。コンビニが喫茶店であったり、ファミレスであったりは個人差があるが、それらに共通しているのは冷房で快適な空間を作っているということだ。


「冷気が逃げちゃうからー早く閉めてー」


 注意されているのに、和やかになる声でトオルは中に入った。


「そういえば、ステラっちと同郷だっけ? じゃあ、冷房を知らなくて当然か」


 どこからか声がするが、姿は確認できない。部屋の中が散らかっているせいか、そもそもこの階にいないかのどちらかだろう。


「噂のトオル君か、いやーステラっちの話から考えてた感じと違うなー」


 どのような噂なのか気になったが、それよりもバネッサの方が気になる。彼女はいったいどこに?


「あれ? どうして固まってるの? やっぱりネメスのお家芸? ステラっちも、クロたちも初めはそんな感じだったし」


 恐らく、誰もがこうなるのではないか、とトオルは思ったが声には出さない。

 案内もなく、姿も見えず、どこにいればいいのかもはっきりしない部屋で何をしろというのだろう。

 だが、バネッサの考えはある程度、推測できる。用事があるならお好きにどうぞ、ということに違いない。勝手に彼女を探して怒られるかもしれないが、その時はその時だ。


「私は錬金術が知りたくて、ここに来たんです。できれば、実際に作業しているところが見たいので、バネッサさんの所に行っていいですか?」

「そういえば、買いたいんじゃくて、教わりたいんだっけ。じゃあ、おいでー」


 耳を頼りに、トオルはバネッサの部屋を渡る。小学校の時の雨の日の通学路みたいに、障害物を避けていく。

 進んでいくと、一際盛り上がった箇所があった。人にしてはずいぶん丸く、毛布らしきものが被さっているが、下にいるのは人だろう。恐らく縮こまっているに違いない。

 いきなり剥がすのもどうかと思い、トオルはそこを揺さぶることにした。


「バネッサさん」


 トオルが声をかけながら触れると、バネッサが驚いたように息を飲んで飛び出てきた。

 咄嗟にかわすがバネッサはそのままトオルに倒れこんでくる。支えようにも、下は本やら服やらが散乱していてすべってしまい成す術なく彼女の下敷きになった。

 本日2回目である。


「眩しい」


 呻きながらバネッサが言う。トオルの視界は対照的に真っ暗であった。息ができないくらい何かが顔に密着している。堪えていた息を吐き出すと、バネッサはまた息を飲んだ。そして暴れた。  

 上ではぐにぐにと動き、下ではごりごりと削られる。トオルの後頭部には本や床ではなく、何か細長く角があるものがあって、それがバネッサの動きと合わせて動くのだ。

 痛い、とトオルは言おうとするが、口どころか顔を塞ぐ何かのせいで声にならない。

 すると、バネッサはさらにもがく。そうこうしているうちに、トオルの意識は体から離れていった。


 トオルは寒くて、隣にある暖かい物体に抱きついた。眠いので意識がはっきりしないが、触り心地がとてもいい。眠りの世界への再没入を手助けしてくれる感触であった。

 が、その途中に何かにぶつかる。体ではなく、意識だ。そう、確か俺は何かをしに――。

 記憶が途切れている。それはトオルにとって恐怖だった。ジョゼットにされた過去もあるが、この体が自分のものではなくなってしまうのではないか、という可能性を捨てきれなかったことの方が大きい。

 キスの効力が切れてしまうのと同じで、転生して乗っ取った体の本来の意識が目覚めるのでは、という恐怖を常にトオルは持っていた。自分の意識が消えてしまうのではないか、と。なので、記憶があやふやというのはたまらなく恐ろしい。

 トオルは飛び起きると、自分の体が見えた。もちろん、女のものだ。白い肌、細い四肢、赤い前髪は間違いなく自分のものだ。


「よかった」


 トオルは思わず呟く。

 そして、現状を把握しようと辺りを見渡す。ベットとしか家具がない殺風景な部屋だった。これなら散らかりようがないだろう。

 ふと、最後の記憶をトオルは思い出す。物が散乱したバネッサの部屋。そこで気を失ったこと。

 そこから、ここがバネッサの家だろう、と判断した。寝るスペースくらいはきちんとしているらしい。

 もう一度自分の体に目を向けると下着姿であった。どういう訳か脱がされたようだ。服はないか、とベットを探していると布団にくるまった何かがいた。

 トオルは警戒してそちらに近づき、手で軽く押す。


「あ、起きた?」


 あくびをしながらバネッサが毛布から這い出てくる。

 そこでトオルは初めてバネッサを目視した。

 ワイシャツを裸のまま着ている女性だった。年はアルーシェやステラと同じ、20代前半というところだろう。が、身なりに気を使っている様子はなく、セミロングの金髪は跳ね放題だし、目元に隈があって、シャツのボタンはかけ違えている。そこから見える素肌は世辞でも引き締まっているとは言えない。ただし、太ってはいない、という絶妙なバランスだ。

 トオルが裸を見たリーリエやステラたちがあまりにも理想的な体型だっただけで、バネッサぐらいが平均なのかもしれない。ただし、素材はアルーシェに劣らず、胸も大きいし、琥珀色の目は猫っぽく鋭いが大きい。自然に胸と顔とを確認する、男の目を未だに捨てきれていないことを恥じた。


「頭は大丈夫?」


 バネッサに心配そうに顔を覗かれたので、トオルは笑って返した。


「大丈夫です。けど、どういう状況だったかは思い出せなくて」

「私が倒れちゃって、トオル君の顔をお腹で塞いじゃったの。私が弱いお腹に息を吹き掛けたり、舐めたりするから、余計に暴れちゃったんだ。ごめんね」


 そう言ってヘソを押さえるバネッサはどこか蕩けた目をしていた。まだ眠いのかもしれない、とトオルは思ったが錬金術のことを知らなければならないので、話を続ける。


「そういえば、ずいぶん部屋が冷たいですけど、これも錬金術?」

「そうだよー。冷房だね」

「アルーシェさんの家にはなかったけれど、もしかして高かったり?」

「アルがいらないって言ったからね。暑いのも好きらしいよ。変わってるよねー。値段は考えたことなかったな。売り出してないから」

「じゃあ、どうやって生計を立ててるんですか?」

「私は王宮錬金術師だもの。一般向けに作ることはほとんどないよお。だから、これも市場には出回ってないね。類似品はあるけど。冷風機だっけ?」


 意外にも地位が高そうなので、トオルは驚きを笑いでごまかす。これはいい人に出会えたかもしれない。


「それで、錬金術を教わりたいんです。でも、何も知らなくて」

「そうなんだ。フォルドアの国民ならともかく、ネメスの人が錬金術に憧れるなんて珍しいね」


 ネメスでは男性の反乱を事前に防ぐために、錬金術の存在そのものが秘匿されていた。錬金術の産物は存在していたが、その生成方法を知らなかったのだ。


「私は別にいいよ。最近、退屈だしね。可愛いお弟子さんができるってのは悪くないなー」


 ニコニコした顔でバネッサが言った。あまりにもあっさり了承されたので拍子抜けだが、問題はここからだとを忘れてはならない。トオルの目的は錬金術で生計を立てることだ。あくまで、自分の力にすることが目的なのである。

 しかし、何はともあれ、第一難関はクリアだ。

 そのことを素直に喜び、トオルは気持ちを新たに引き締める。

 毎日、昼前にバネッサの家に行くことを約束し、その日は戻ることとなった。

 ほとんど話せなかったのは、気絶している間に時間が過ぎており、ステラが迎えに来る時間だったのだ。


3/29-キャラクターの名前が一部間違っていたので修正しました。

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