7話
1週間ほど、トオルはリーリエの情報収集に徹していた。彼女には屋敷の仕事というのが別段なかった。むしろ、使用人にもてなされる身分である。そのため、朝から中庭で座っていても咎められることはない。
トオルにとって、メリドで生を受けてから、初めて訪れた至福のひと時だ。が、彼女はさらに、と望む。なぜなら、従者は所詮使い捨てだ。能力を偽っているのが知れたら簡単に切られてしまう。
いつもこの時間はここで使用人たちの動きをトオルは観察していた。リーリエの従者にさえなれば、ひとまず生活は保障される。焦って行動する必要はなかった。最善の準備を済ませ、機を見て切り込むべきである。これからの余生を賭けた一世一代の大勝負なんだから。
手入れされた芝生を踏む気配を察知し、意気込んでいたトオルは姿勢を正した。
「トオルは今日も日光浴かい?」
リーリエがニコニコした顔で言った。
「朝が弱くて日光を浴びると、1日しっかり動けるのです」
「それは一理あるね」
小さく笑うと、リーリエはトオルに木剣を差し出した。
「朝の目覚めついでに剣の訓練に付き合ってくれるか?」
「文官志望でよければ」
「本当に文官志望なのかい? あんなにうまい剣裁きだったのに」
トオルはリーリエと木剣を合わせた。刀剣の腕は前世で土台があった。古武術にのめり込んでいた祖父の影響である。もちろん、こちらに来てからも利用してきたので我流ではあるが磨かれている。そのため、武道に優れたリーリエ相手でも引けを取らない。両者の剣の力量だけ見ればほぼ互角というところだろう。
「いい試合だった。湯あみをしよう」
トオルが使用人を呼ぼうとするとリーリエに引き止められた。
「流すだけだ。彼女らの手を煩わせる必要はない。それより、トオルも入ろう」
「いえ、清掃も兼ねて後で入ります」
む、と零しリーリエは表情を硬くする。学園では華やかで凛々しい少女であるが、屋敷では多彩な表情を見せた。
リーリエは貴族としてはあまりにも珍しい使用人の手を煩わせようとしない主人だった。だから、トオルの言い分を却下できない。クロとニクルの仕事量を減らそうとする行動を邪魔できないのだ。
それ以前に、建前がなくとも、リーリエはトオルの意思を尊重しようとするので、断っても強引に迫ることはなかっただろう。
リーリエにとって、トオルに意見されたことは些細な問題だった。
それよりも、トオルを何度も湯あみに誘っているのに断られるので、リーリエは表情が硬くなるのだ。彼女はトオルと進行を深めるために湯あみをしたがっていた。
そのことをトオルもわかってきたので、すぐ言葉を付け足す。
「その後、リーリエ様のお時間があれば、お部屋に行ってよろしいでしょうか?」
様という呼称に眉をひそめたリーリエだったが、トオルの提案は嬉しいようで曇っていた顔が輝いた。
トオルは、リーリエが自分との距離を感じていて、それに不満を募らせていたことに気づいていた。
本来、主人と従者は距離があるべきものなのだが、この屋敷では違うのである。トオルも1週間経って、そのことを理解したから軽いジャブから行動に移し始めたのだ。
部屋に行って何をするかは決まっている。ガールズトークなどではなく、マッサージだ。
トオルはマッサージが得意だった。
その理由を彼女はこう考えている。人の顔色を伺うのが得意だから、だと。
身につけたのはニートでいるためだ。家事はしていたが、それだけでは弱いので、ネットで学んだマッサージを家族にしていた。今思えば、この努力を違う方向に使うべきだった。
日本ではマッサージは医療術の一つとして認識されていたが、メリド大陸ではポピュラーなものではなかった。なぜなら、加護の一つに癒しというものがある。気力を回復させるというようなファンタジーならではの効能が主流で、前世で言う所の医術は発達していない。
そこを狙って、トオルはマッサージで相手との距離を詰めてきた。皆、効能とマッサージの物珍しさに惹かれるのだろう。ステラに出会うまで、マッサージの方が武器であった。
彼女にとってマッサージとは、いつもながらの手口なのだ。
「失礼します」
トオルは汗を流したあと、約束通りリーリエの部屋に向かった。
リーリエは昼にもなっていないのに、寝間着を着ている。
可愛いらしい寝間着だった。ネグリジェという種類になるだろう。しかし、シンプルなデザインで扇情的なものではない。しかし、美しい者が着れば、見る者によからぬ感情を抱かせてしまう。
「服の準備を忘れていて、これしかなかったんだ」
「そういうわけですか」
「それで、何をするんだい?」
「マッサージです」
「まっさーじ?」
書物をよく読むリーリエもマッサージを知らないらしい。違う名称で知られているのかもしれないが。
「あれこれと説明するより、体験した方が早いので」
「それもそうだな」
リーリエはトオルの指示に従いベットにうつ伏せで寝た。
文武両道を地で行くリーリエだからか、肉付きがいい。出ているところは出ていてへこむところはへこんでいる。顔だけでなく、体も恵まれた少女だ。なので、寝転んでいるだけで絵になる。
トオルは理性をわざわざ働かす必要があった。体の一部が主張しないように、意図的に意識を飛ばす。そう、トオルは一見すると女性だが、厳密に言うと違う。両性というのが正しいのだろう。胸は小振りながらもしっかり隆起しているが、股間には男性器がついていた。
だから、合法的に女性と風呂に入る、という機会を逃したわけである。遠慮していたわけではないのだ。
事情を知っているステラなら問題ないが、リーリエ相手ではそうはいかない。
両性具持ちというのは奇怪な存在として噂されている。メリドにウェブサイトなどなく、書物か噂話が主な情報伝達の手段だったから、事実かどうかはわからないが、酷い言われようだった。知られれば間違いなく軽蔑されるだろう。
「ん、気持ちいいな。そういうものなのか?」
「はい。癒しの加護が無い者でも行える治療の一種です」
トオルはリーリエの反応を伺いながら、力加減を調節していく。
リーリエも初めは緊張していたが、今ではすっかり弛緩しきっていた。
「どこか辛いところはありませんか?」
「そうだな。最近は椅子に座りすぎて腰が」
「腰が辛いんですね。わかりました」
リーリエの肌は健康的でみずみずしい感触だった。指圧に合わせて艶めかし声を出すから、トオルは一層集中しなければならなかった。
「近頃、剣の稽古を怠っていたからな。座ってばかりでは鈍ってしまう」
「それだけ座学に励んでいたということじゃないですか」
リーリエはクスクスと笑った。
「どうかなさいましたか?」
「いや、トオルに褒められるのは悪い気がしない。同じことを色んな人に言われてきたが、心がこもってなかったからな」
この世界には人の思考が大雑把にわかるという加護もあるらしい。それをリーリエが持っていても不思議ではない。
だが、それでも問題はなかった。トオルは世辞などではなく、素直に褒めていた。リーリエは本当に勤勉なのだ。
もし、トオルの転生先がリーリエだったなら、自分は怠けに怠けていたという確信があった。
イノ家の身分に驕ることなく研鑽を重ねているリーリエは、トオルの理想像であった。
立場上はもちろん、心情的にもトオルはリーリエを労っていたので、小一時間ほど念入りにマッサージをした。
「ありがとう。トオルにはよくしてもらってばかりだ」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。満足してもらえたようで何よりです」
ゲームみたく好感度が見えれば、プラス値になったのだろう、と手ごたえを感じるトオルだった。