65話-暖かいモノ
「啖呵を切ったのに、惨敗でした」
はあ、とため息をつきながら私は部屋で準備を進めます。
私と騎士長との打ち合いは4人の中で一番長いものでしたが、惨敗は惨敗です。
神旗を使ったことで、腕力や速さは騎士長とほぼ互角になりました。なので、浮き彫りになったのは剣捌きの差です。
どれだけ打ち込んでも、悠々と往なされ、彼女が攻めに転じると私がどうにか凌ぐ、といった流れが続き、こちらの集中力が途切れ、やられました。
勝てないとはわかっていたとはいえ、悔しいものは悔しいです。
「早めに済ませてしまいますか」
私は準備をし終えたので、ベットの上で次々と装着していきます。まずは首輪、次に足を拘束し、目を布で覆い、最後に手枷を閉めます。
視界を閉ざし、体の自由も捨て、音だけしか拾えない時間。いかがわしいことをしている自覚はありますが、仕方ないことなのです。
これが、ローウェル家で受け継がれてきた神旗を使わせていただくための制約なのですから。
神旗を使用してから、2日以内に、一時間半、拘束具で自分の身を縛ること。
直接見たことは一度しかありませんが、母も姉もこうしてきたのです。
慣れたこととはいえ、一人きりで暗闇の中にいるというのは気持ち悪い感覚でした。そこにいると、悪いことがぽつりぽつりと沸き上がってきます。視界の代わりに、何かを見せてやろう、というご親切な機能が体には備わっているようです。
「できれば、好きなものを選ばせてくれるとありがたいのですが」
私の抗議は届きません。無慈悲に、鮮明に、恐怖を映し出していきます。
それはいつものことですが、慣れません。悪夢を見ても、目は開けませんし、水を飲んだり光を浴びたりして元気を取り戻すこともできません。意識はあるので、目覚めるということもないのです。私に許されるは逃げ道のない暗闇に身を置くことだけでした。
救いは時間制限が決まっていることでしょう。なので、数を数えます。意識を逸らすこともできるので一石二鳥です。
ですが、今日は疲れているせいか意識は暗闇に向かってしまいます。
一作目は片腕の兄が私の後ろに立っている所から始まりました。
「やあ、セネカ」
「ああ、兄さん。今までどこにいたのですか?」
兄に抱きついて、泣きじゃくりました。
私の体で、私の声で、でも私じゃない意識が、私を操っています。
「まあ、ちょっとね。そんなことより、大丈夫だったかい?」
「なんのことですか?」
「それはもちろん、ローウェル家のことだよ。オネットを倒し、騎士長の座を取り戻せたかい?」
「できていません」
私が項垂れると兄は残った腕で、私の頭を撫でてくれました。
「そうか。じゃあ、俺も考えるから一緒に頑張ろう」
兄は私と目を合わせ、あの人懐こい笑みを浮かべました。
姉と私が喧嘩していても、兄が笑って仲裁してくれるとすぐ解決したものです。
「セネカの友達にトオルという子がいるんだろう?」
「はい。とても素敵な子なんですよ。賢くて、優しくて――」
「その子のことはまたゆっくり聞くよ」
私の食い気味な言い方を笑って、兄は続けました。
「その子はオネットと仲がいいんだろう?」
「よく知ってますね」
「じゃあ、ぴったりだね」
「ぴったり?」
「オネットは気を許した奴には甘いからな。あいつへの毒殺やらに使えるじゃないか?」
「え?」
私は思わず聞き返しました。
「トオルにそんなことをさせるのは――」
「させたくないとでも言うのか?」
兄は声を荒らげて言いました。
「ローウェルを破壊したやつを、セネカが倒せないからいけないんだろう? 正攻法で勝てないなら、邪法に逃げるしかないじゃないか?」
「でも、それは」
「じゃあ、セネカはその程度しか俺たちのことを思っていなかったんだな? ヘラヘラ笑って、オネットと遊んでいるのはそういうことなのか?」
私は答えられません。兄に味方することも、敵対することも選べません。
これは悪夢の私の話です。私の兄はこういうことは言わないはずです。
しかし、断定もできません。兄はもういないのです。騎士長に腕を切られ、胸に剣を突き立てられたのですから。
だから、兄がどう思っているのかはわかりません。夢のように、手段を選ばず再興しろというのか、加護のない兄でも騎士長に苦戦させたというのに私は神旗を使って尚、軽くあしらわれているので、剣の才覚はないからもう諦めろと諭すのかも。
そう考えると途端に不安になりました。自分の生き方は間違っていないのか、どうすべきなのか。誰かにみっともなくすがりたくなります。
その誰かは暗闇の中でもずいぶんハッキリした姿をとっていて複数人いました。
「セネカ、入るよ」
幻聴までします。たまには良い夢も見させてくれるようです。
声の主で、誰かの一人であるトオルは扉を叩いてから、もう一度声をかけ、入ってきました。
「セ、セネカ?」
珍しく慌てています。トオルは何かを置いてからこちらに駆け寄ってきてました。彼女がベットに乗ったことで、少し私は跳ね上がります。
「すぐ取ってやるからな」
トオルは私の頬に触れ、目隠しを外そうとしました。そこで私は顔を振り、彼女の手を避け、叫びます。
「やめてください!」
「へ?」
そうです。そうです。そうです。何を呆けているのか。
夢は寝ている時に見るものです。私は起きていますし、死んだはずの兄が出たのは卑しい想像です。なら、今を生きているトオルの声は現実の可能性があるではありませんか。
この状況をよりにもよってトオルに見られたこと、拘束具を解いて弁解したいのですが制約を果たしている最中なので出来ないことが重なって、何を言えばいいかわからなくなります。
「ど、どうしてここに」
「ああ、オネットが様子を見てきてくれって」
ありがた迷惑とはまさにこのことでしょう。せっかくの好意ですが、素直に喜べる状況ではありませんでした。
「悪かったよ。返事がないのに入っちゃダメだったな」
「いえ、私も鍵をしていませんでしたし、声が聞こえたのに返事をしなかったから」
「趣味なんだし、何も悪く思う必要はないよ」
「趣味じゃありません!」
私は怒鳴ってから、しまったと思いました。これでは、私の制約を教えているようなものです。
ですが、落ち着いてみると、それも今さらでした。兄のことを教えているのですから、制約を知られても大差はありません。
「ごめんなさい。これが私の制約なんです。自分を縛ることが」
「器用だな。一人でやったのか?」
「慣れてますからね」
私が鼻で笑います。せめて、強がっておかないと。
「でも暇だろう? お詫びに話し相手にでもなるよ」
トオルは私の手を握ってそう言いました。
人の温かみを感じると、自分の体が解れていくのがわかります。
知らず知らずのうちに体が強張っていたようです。だからトオルはここにいてくれるのでしょう。手を握り、安心を与えてくれるのでしょう。
私もトオルの手を握り返し、頷きます。感謝の言葉を述べたい所でしたが、恥ずかしくて声に出せません。
「そういえば、リーリエとシャリオも心配してたよ。リーリエからは彼女のお気に入りのお茶を預かってるし、シャリオからは花だ。オネットはバスケットごと渡されたよ。パンとかって言ってたな」
「ありがたいですね。トオルも一緒にいかがですか?」
「お言葉に甘えさせていただきます」
私は久しぶりに聞いたトオルの敬語で笑ってしまいます。
「初めのころは私にも敬語でしたよね」
「基本的には全員そうしてるからね。そうするな、っていう変わった人たちが周りに多いだけだよ」
まだ出会ってから半年も経っていないのに、トオルとリーリエとはずいぶん昔から友人だった気がします。
それは私がまともに友人を作ったことがないからでしょう。一日一日が新鮮で、濃密な時間でした。
その証拠に、誰かに助けを求めたくなった時、私はトオルだけでなく、リーリエやシャリオ、アズ姉のことを思い浮かべることが出来ました。
制約の度に陥る暗闇で誰かに頼る、という考えが今まで欠如していたのです。
そうでなくなったのは、弱さかもしれません。でも、私にとって暖かいモノだということは確かでした。




