53話-仲良くお食事を
私はトオルに見つかることなく、自室に戻れました。
「シャリオをどうしたんですか?」
確かにトオルはこう言いました。
シャリオとだけではわかりませんが、恐らくシャリオ・イグニスのことでしょう。ネメス学園の代表だった少女。綺麗な赤髪で、鮮烈な剣が印象深い。混じりけのない剣ながら、リーリエも苦戦していた相当な実力者です。
私はそれだけしか、シャリオのことを覚えていませんでした。あとは胸が大きかったことぐらいか。
そんなことを考える自分が情けなくて、思わずため息をつきます。剣といい、胸といい、劣等感を抱いている部分ばかり、他人に対しても目を向けているのです。自分で勝手に比較して、一喜一憂しているわけです。
「明日答えると言ってましたし、悩んでも仕方ないことです」
私は声に出し、眠りの準備をします。眠れない夜は、散歩をするか、悩み事を口に出すことで解消していました。
朝から、私はトオルを注意深く観察していました。食堂に降り、食事を取り、稽古に向けて体をほぐしている間は何もなかったのですが。
いつも通りの気が利く、トオルでした。
「待たせたな」
騎士長が歩きながらそう言いました。彼女の手には何もなく、格好も寝間着のままです。
「さて、今日から稽古を付けていきたいが、私はトオルの実力だけ把握していない」
「でしたら、私とトオルが打ち合いましょうか?」
リーリエが言うと、騎士長は首を横に振りました。
「私がする。リーリエは毎日トオルとやってるんだろう? 楽しみを取らないでくれ」
騎士長は首と肩を回した後、トオルの方を向きました。
「いいぜ。こっちは素手だが、そっちは遠慮なく木剣を使ってくれ」
騎士長の言葉にトオルは返事もせず、駆けます。姿勢を落し、真っ直ぐ進みますが、騎士長は構えようとせず棒立ちでした。
それはどこからどう見ても隙でしたが、好機とは捉えられません。ネメス最強の騎士が考えなしに、戦いの場で棒立ちになどならないのです。
あと数歩で剣の間合い、というところでトオルは木剣を投げつけました。その動きは走っている時より速い。トオルの加護でしょう。
騎士長はそれでも、右腕を上に振るうことで難なく木剣を弾きます。その間にトオルは騎士長の右に回り込んで、空いた脇腹に拳打を放ちました。
トオルの勝ちに思えましたが、騎士長は弾いた剣を既に掴んでおり、それを振り下ろしています。
その勢いはトオルの拳打より速く、当たれば頭を割ることなど容易な威力でした。
私とリーリエは声を出し、静止させようとしましたが、そんなものは間に合いません。
「全く、貴方たちしっかり見てないのね」
騎士長でもトオルでもリーリエでもない声。そこに一瞬、注意が引かれましたが、すぐにトオルたちに目を戻します。
そこにはお互い距離を取り、睨みあっているトオルと騎士長がいました。
「あれを躱したのか」
「剣を投げ、回り込んだときより速く動くことでね。トオルってば、あんな隠し玉持ってたのね」
リーリエに解説したのは赤髪の少女だった。短い癖毛を手で弄びながら、トオルたちを見ています。
「シャリオ?」
「どうも、リーリエ。剣術大会ぶりね」
リーリエの言葉で、彼女がシャリオ・イグニスであることがわかりました。前回見た時より、顔つきが変わったのか随分と大人びていて別人のようです。
「そんな顔しないでよ。すぐに説明があるから」
シャリオはこちらも見ずにそう言いました。
そこで私は急ぎ視線を戻します。トオルと騎士長はまだ戦っていました。
武器も持たず、トオルは騎士長の攻撃を躱し、騎士長の脚を狙って蹴りを入れ、下がるというのを繰り返しています。
「やっぱり気に入ったよ、トオル。私と対峙する奴は大抵、大ぶりの攻撃ですぐに終わらせようとする」
トオルは騎士長が話しているからと言って、攻撃を止めませんでしたが、騎士長は平然と続きを口にします。
「それは怯えだろうな、やはり。冷静さを欠いてるんだ。が、トオルは違う。確実に勝てる戦法を選んでいる。そんなお前を殺す気となれば別だが、それなりの怪我で無力化させようというなら博打を打たないといけない」
騎士長は横薙ぎに剣を振るい、トオルが躱したところに、剣を振るった反動を活かして拳をぶつけます。
それは有効打になりませんでしたが、距離を作ることには成功しました。
「それで、どうする?」
「遠慮しておく、っていうのはどうですか?」
トオルがそう言うと、騎士長は笑った。
「そう言うと思ったよ。なるほど、騎士には向いてないね、トオル」
「当たり前ですよ。文官志望なので」
今度はトオルも笑った。全く状況についていけてませんが、話はまとまったようです。
二人とも構えを解いて、こちらに戻ってきました。
「シャリオ、よかった」
とトオルはこちらに駆け寄ってきて言いました。
「あら、トオルは驚いてくれないのね」
「驚いてたよ、シャリオ。私の前で脱力するくらいには」
騎士長も戻り、トオルとシャリオの頭を軽く叩きます。
「さて、待たせたなリーリエとセネカ。紹介していなかったが、私の弟子のシャリオだ」
「紹介するまでもないですよ。まあ、折角なので」
シャリオは一礼し、顔を上げ微笑みました。
「オネット騎士長の弟子のシャリオ・イグニスです。以後、お見知りおきを」
鍛錬といっても、変わったことはありません。ひたすら騎士長と打ち合うだけです。
打たれ、見、覚えるというもののようです。
口頭で説明されてどうこうなるものではないし、これまでもそうだったから文句はありませんが、焦りが募るばかりでした。
騎士長と私との間には明瞭な差があり、それを埋める手立ては考え付かなかったのです。
そうこうしている内に、昼になった。この後は騎士長が公務なので、私たちは他の騎士たちと打ち合う予定になっていました。
だから、次に備え栄養補給を済ませたいのですが――。
「リーリエ、図々しくない?」
「それはシャリオのことじゃないかな?」
昼時真っ只中ということもあり食堂はごった返していました。なので、私たちは横一列に座っているのですが、その席順に文句があるようです。
騎士の隣にトオル、シャリオ、リーリエ、私、という順番で座りました。それをリーリエがシャリオに変われ、と言いだしたのです。
「トオルは私の従者なんだぞ」
「従者? シャボンでは友と聞いたけれど?」
リーリエが口を噤むと、シャリオはわざとらしく声を上げて笑いました。
「リーリエ、そんな席順にこだわらなくても」
「トオル、君は何もわかっちゃいない。この女は君を――」
そこでリーリエが言葉を失ったので、トオルは首を傾けます。
リーリエが言いにくいのも無理はありません。そういう面では初心な子です。私も人のことを言えるわけではないのですが。
シャリオ・イグニスはどういうわけか、トオルを好いていました。それはもちろん、性愛の対象として。
はっきりと言葉にしているわけではなかったが、態度と目がそう告げていました。問題は、彼女よりも、トオルがそのことに気づいていないことでしょう。
トオルは基本的に親切だから、シャリオのお願い事を聞いてしまうのです。それは可笑しい、とリーリエが突っかかった末にこうなったのでした。
リーリエは、トオルがシャリオの気持ちに気づいていないから、シャリオとの距離を取らせようとしているだけで、彼女らの恋路を邪魔したい訳ではないと思います。女性同士の恋愛は順序が決まっているのです。ネメス様に認めてもらってから始まるのでした。それを破れば、待っているのは破滅だけ。
私もリーリエの気持ちはよくわかりますが、全面的に賛成というわけでもありません。シャリオのトオルに対する好意は確かですが、頭ごなしに否定するのではなく、その度合いを確認する必要があるでしょう。節度を守れるのであれば咎める必要もないのです。
「まあ、リーリエ、時間もありませんし落ち着いてください」
「それもそうだな」
ふう、とあからさまに息を吐き、リーリエは席につきました。
私の指示に従ってくれてほっとします。どうやって、シャリオの気持ちを確認しようか、と考えていると、彼女はお構いなしにトオルへ話し始めました。
「トオル、さっき話していたことだけど」
「晩、部屋に来てほしいってやつ?」
「そうそう。いいかしら?」
「いいよ。シャリオとは話したいこともあったし」
「奇遇ね。私もよ」
この場は穏便に終わるかと思いきや、シャリオたちの会話でリーリエが固まってしまいました。
リーリエが熱くならないうちに、私がどうにかするしかありません。
「トオルとイグニス嬢はどこでお知り合いに?」
「セネカ、だったわよね? 堅苦しいのは結構よ。これから数日共に過ごすのだから」
「わかりました。それで、どこでお知り合いに?」
「私とシャリオは、イオネに、あ、騎士長と会った後、話す機会があったんだ。ちょうど、剣術大会の会場の下見の日だったかな」
「そこでお友達になったのよ。ね?」
「ああ、そこで」
トオルの答えにリーリエは頬を膨らませていましたが、それが見えないよう私は体で彼女を隠しました。これ以上もめられても困ります。
そんな短時間で仲良くなってしまうトオルの才覚に驚きつつ、私は食事を済ませました。
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