49話
「君はどうしたい?」
今まではからかい口調だったが、打って変わって親愛のこもった声でジュ―ブル神は言った。
なので、トオルは、まるで自分ではない誰かに言っているような気がし、返事が出来なかった。
「トオル様は欲がないほど、人として壊れているようには見えんけど?」
またころりとからかい口調に戻る。
ジュ―ブル神の変化に呆気に取られたトオルであったが、彼女の言葉はきちんと胸に届いていた。
「そうですよね。わかりました。俺はもっと汚くい人間ですよね」
そう相槌を打ち、トオルは考えをまとめ始めた。
どうすればいいなんて、他力本願な考え方だ。メリド大陸では戦い続けなければ、得ることはできない、と言いつつ情けない限りである。
戦い続ける。それこそ、菊池トオルの一生涯を以って培った信条ではないか。
結局のところ、また勝負から逃げていた愚か者ということだ。
トオルは自分をそう評価する。
そして、願いを再確認する。
メリド大陸で産まれた時は、とにかく生きることが願いだった。日本にいた頃の普通がここでは勝ち取るものだったからだ。しかし、今は違う。
ジュ―ブルでは加護や性別による偏見もなく、限りなく自由なのだ。よって、願いは生存本能から、感情の問題となった。何のために生きるのか。何がしたいのか。
「俺は全てが欲しいんだ」
ステラも、クロもニクルもリルも、手放したくない。それこそがトオルの本心だった。矮小で自分勝手な願いだ。
彼女らに植え付けた好意はもう変えられない。だから、とは言わない。しょうがないとも、自分が正しいとも思わない。俺がそうしたい。みっともなくすがることに決めた。
だからこそ、神の前で誓おう。
「平穏な日々。人として暖かな繋がりを守り紡ぐ、成し得なかったからこそ俺には強い憧れがある。ジュ―ブルの生活を続けるのも悪くない。いや、ナンセンスだな。それも楽しいだろう。でも――」
トオルはその時、気づいてしまった。
そうだ。いつの間に俺は、でも、と言えなくなっていた? だって、と言うようになっていた?
悟ったように色んなものを諦めて利口ぶっていただけではないか。
『だって、迷惑をかけてしまうから。加護もなく、地位もない人間で、助けてもらってばかりの人間で、何の魅力もないから。彼女たちに捨てられる前に、一人で生きていけるようにならなきゃ』
そうやって、自分を貶め、諦める口実を作っていただけだ。失敗を恐れてばかりいて、できることだけをしてきた。それじゃあ、菊池トオルであった頃と何も変わらない。
メリド大陸でのトオルが、嘘つきなのは覆らない。弱者であることも覆らない。
なら、嘘をつき通すのだ。
「俺は彼女らと共にいたい。得られないから、と諦めていた。誰かのために成したいことはない。それほど崇高な人間じゃない。ただ欲しい。だからこそ、今度こそ、大事なものをとりこぼさないように、俺は嘘を真にする。偽りであっても愛してくれる人のために、本当に愛される存在になる」
ノリノリで宣誓していたトオルだったが、ふと冷静になってしまい黙った。いくら神様とはいえ、目の前でこんなことを宣う野郎だと笑われないか、と心配になった。それ以前に、今や野郎ではないのに、俺などと言っているし、意味もわからないだろう。会話になっちゃいない。
が、ジュ―ブル神は意外な言葉を返した。
「覚悟は結構。トオル様は自分に何が足りていなかったとお思いで?」
「俺に足りていなかったのは覚悟です。生活がかかっているから、と図々しく求めなかったチキンっぷりがダメだった。だから、勝負に出る。欲を発散するために」
「そう、評価してしまうんやね。やっぱり変えられんか」
そう呟いて、ジュ―ブル神は黙った。前世の事情や、悩みを話さず解決したと結論だけ話す自分が言うのも何だが、意味が解らない、という言葉がトオルの喉まで出かかった。
言わなかったのは、ジュ―ブル神がトオルの言葉をどうやら理解しているように、トオルもジュ―ブル神の言わんとすることがわかるような気がしたからだ。
「トオル様の決断は、君のせいで、茨の道に進ませることになる。それでもええの?」
またあの声だった。親愛のこもった真剣な口調。それが自分に向けられているかなんてどうでもよかった。
トオルは決めたのだ。
「この結果が、正しいか間違っているかはわかりません。でも、俺は今度こそ諦めたくないんです」
「そうか。なら、応援するしかないね。トオル様の道に光があるように、わっちも祈ってるわ」
「ありがとうございます」
「堅苦しいなあ。さっきの口上の時みたいに荒々しいほうが好きやのに」
トオルは赤くなった。ジュ―ブル神のおっとりとした口調が、恥ずかしさを増加せる。菊池トオルが、小さかったころ、近所のお姉さんに微笑ましい目で見られた時のことを思いださせた。
「トオル様に待ち人やで。はよ、出たげて」
「神頼みをすることはないと思いますけど、悩みを聞いてくれた神様がいたことは忘れません。ありがとう」
「それはよかった。じゃあね」
優しいジュ―ブル神の声を背に受け、トオルは外に出た。
神殿の外に出ると、ステラがいた。待ち人と言われた時、トオルは真っ先に彼女を思い浮かべていたので、ついついにやけてしまう。
「遅かったので、心配になって」
ステラは申し訳なさそうに言った。
「ありがとう。帰ろうか」
トオルはステラの冷えた手を取り、笑いかける。すると、ステラも控えめに笑みを浮かべた。
「もう、決められたんですね」
「ああ。お前のおかげだよ、ステラ」
そう言って、トオルはコートのポケットに、自分とステラの手を入れる。その中で繋いだまま、帰路についた。
「お帰りなさい!」
「ただいま」
ずいぶん遅くなったが、マトイ以外全員起きていた。トオルは彼女のブレなさを見習いたい、と思った。
クロとニクルは後ろのほうで心配そうに見ていたので、彼女らにトオルは近づいた。
「今はネメスに戻らない」
もう一度言う。今度は真っ直ぐクロとニクルの目を見据えて。
「でも、必ず戻るよ。だから、もう少し待ってくれ」
そう言ってからトオルはステラと目を合わせた。今のは嘘だ、と。
トオルがリーリエの元に戻るのは難しい。それは、ステラの説明した通りだ。
そして、何よりトオルが戻りたくなかった。さっきは反射的に答えたが、今ならその理由がわかる。
ジョゼットが恐ろしいわけではない。リーリエに偽りで接していたことを知られてそう思ったのだ。トオルの小さな意地だ。彼女の前では良い格好でいたかった。
彼女の真っ直ぐな目を曇らせたことを後悔していた。良い格好でいたいのは事実だが、戻れるものなら戻りたい。リーリエの隣にいることも、トオルの欲の一つであった。
だが、それはもう叶わない。トオルがリーリエの元に戻るという事は、ジョゼットと戦うということである。となれば、クロとニクルも巻き込み、彼女らも危うくなる。
そこにはリーリエも含まれる。
リーリエに誰かと対峙させるような事件を起こしたくはなかった。彼女が事情を知れば、必ずジョゼットを許さない。そうなれば、イノ家の問題になり、仲が良い姉妹の関係を引き裂くのはもちろん、リーリエが家柄や神旗を失う可能性もある。
そして、トオルのエゴがあった。リーリエに身内に矛を向けるような真似をさせたくないという思いが。
トオルはある点でジョゼットを信用していた。彼女のリーリエに対する思いは本物だと。
仮に、ジョゼットがリーリエに不利益をもたらそうというなら、容赦しない。が、それだけは考えられなかった。
欲と向き合うと、今度こそ戦うと神の前で誓ったトオルであったが、見境なしというわけではない。
トオルが大事に思う者の幸せが彼女の最も優先すべきことだった。
「わかりました」
と返事をしないニクルの代わりにクロが答えた。
「私はお姉ちゃんがそう言うなら、待ちます。信じます。ニクルはどうするの?」
「私も待ってる」
「ありがとう」
トオルは二人を抱きそう言った。
「結局、円満な形で解決したのね」
やれやれ、という風にマトイが言った。話している間に目を覚ましてしまったらしい。
「それでこれからどうするつもりなの?」
「錬金術師になってみるとかどうでしょうか?」
トオルは真面目にそう答えた。