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47話


「どうしてですか」


 想定できた問いをニクルが言う。

 が、トオル自身何故かはわからなかった。

 それに答えようと周りを見渡す。なあ、俺はどうすればいい? 何をすればいいんだ?

 声に出さない思いに誰も答えてくれない。だが、ニクルもステラもクロもリルも、トオルを案じている。彼女らはトオルのことを思っている。


『それはどうしてだい?』


 誰も口を開けていない。それでもトオルの耳には男の声がした。


『いい加減気づこうぜ。お前は思われているわけじゃあない。そう、強制させたんだろう?』

「ああ、その通りだ。その通りだとも」


 声を返す。トオルはずっと感じ続けていた違和感を自覚した。全員の意思を捻じ曲げたことを自覚した。

 危険を冒させて、自分を守るために行動させてしまった。それが、偶々、上手くいっただけだ。リルはもちろん、ステラもクロもニクルも職を失う危険性があった。

 彼女らにそうさせているのはキスの力だ。

 菊池トオルであった時も、メリド大陸に転生してからも、自分は空っぽだった。何の魅力も、何の拘りも持たない。お前は何のために生きている?

 加護も権力もない人間が何を返せる?


「俺は戻らない」


 トオルはそう言って、外に出た。この場にはいられなかった。


「待ってください」

「ボクのことは気にするな、リル。クロとニクルに気を使ってやってくれ。ちょっと頭を冷やしてくるだけだから」


 心配そうな顔で、トオルを見つめるリルに、頼むよ、と再度お願いする。すると、リルは頷いてくれた。

 日も出ていないので、冷気が肌を刺す。川に出て、河原を宛てもなく歩くことにした。

 夜なので誰もおらず、虫の音もしない。聞こえるのは草履が地面を擦る音と、川の流れが、一部結氷している所に当たり、波音を奏でているだけだ。月明かりは眩しさを感じさせず、没入を手伝う環境が揃っていた。

 

「戻らない理由と、意思を捻じ曲げたことは繋がりがないよな」


 戻らないと言った理由はわからないままだった。意思を捻じ曲げたことによる罪悪感で、あの場にいられなくなっただけである。

 

「情けねえなあ、おい」


 思わず口に出したくなるほど格好悪い様だ。自分の願望のために人を利用していたことをトオルは忘れていたわけじゃない。そのことはずっと頭にあった。自分が無力なことはよくわかっている。

 でも、その関係がここまで途切れないものだとは考えなかった。ここまで思われたことも思ったこともなかったからこそ、想定ができなかった。

 自分には価値がないのだ。そこまで思われる、力も、地位も、信条もない。

 トオルの今までの行動は、願いを叶えるため、自分の足でこの地に立ち、生活するためだった。

 前世でも、メリド大陸でも、得られなかった人並みの生活を営むために。

 生きるこそがトオルの望みだった。

 それは今――。


「トオル様」


 歩いていたトオルに声がかけられる。姿を見なくとも、それが誰であるか彼女にはわかった。聞き間違うはずがない。


「ついてきたのか、ステラ」

「ええ、薄着で出て行かれましたから」


 ステラは河原に布を敷き、そこに座った。トオルも同じようにする。

 

「さ、入ってください」


 そう言ってステラはコートを半分脱ぎ、トオルの肩にかけた。密着しながら、同じ服で暖を取る。

 人の体温というのは、安心させる作用があるようだった。トオルはいつの間にかステラにもたれ掛かっていた。

 言葉はない。トオルは何を言えばいいのかわからなかったのだ。意味のない雑談ですらできそうになかった。

 

「僭越ながら申し上げますが、トオル様はここに残るべきだと思います」


 突然の提案に、トオルは驚きステラを見るが、彼女の表情はどこまでも柔らかく、同時にどこまでも真剣だった。


「イノ家の情報はクロとニクルから得ています。トオル様の身に起きたことを2人は把握していません。リーリエ様の口から、スラムで襲われ重傷になったので休ませている、と言ったそうです。言った本人も、トオル様がジョゼットに諮られたことには気づいていないようです。つまり、戻るのは難しい。リーリエ様が耳を貸してくれて、真実が明らかになったとしても、ジョゼットが立ちふさがります。あのようなことがあった後に、茨の道を行け、と私はとても言えませんし、貴方が傷つくのは見たくありません」

「そう、だよな」

 

 トオルは自分がリーリエの屋敷から追放されたことをそこまで実感していなかった。だが、心のどこかで、あの暴虐を受け、あの屋敷に戻るのは危険だ、と訴えていた。そこに懇切丁寧に理由まで言われたら頷くしかない。


「トオル様の願いはここで叶っているじゃないですか。スラムから抜け出して、きちんとした職を持って生活したい、という願いが。ここならば、加護がない事で迫害はありません。ジュ―ブル神にも認められているなら、ネメス人でも受け入れられます。完全に女性になったのですから、体を隠す必要もありません。ここなら、自由なのです」


 トオルの頭から霧が晴れた。ようやく、認識した。自分は願いが叶ってしまったからこそ、罪悪感を感じているのだと。

 自分が生きるためなら、仕方ないと過ごせていたが、今は違う。

 生きるという目的以外、何も持たないからこそ、他者に迷惑を――それも最悪の場合死に至る――かけていることに耐えられない。もう、いいんだ、とキスで結ばせた関係を断ちたい。もう何もない俺に付き従う必要はないのだ。


「トオル様には休養が必要なのです。迷いが晴れるまで、自分のことだけを考えてください」

「そうできたら、そうしているさ」


 自分のことだけを考える。トオルは自分を自己中心的な人間だと考えていたし、今もそう思っている。それでも徹しれない。

 その中途半端な意思こそが、ニートという甘えを許したのだ。

 人のことを完全に利用できるほど強ければ、もっと器用に振る舞えた。キスによる好意を甘受できれば、罪悪感など呑み込める。


「そうできないから、俺は中途半端なんだよ。何かに全力を尽くせない屑なんだ」


 トオルは自分に言い聞かせるようにそう言った。自暴自棄になったわけではない。今更の話だ。自分が無能なことなどとうに気づいている。その理由を整理したまでだ。

 すっきりした頭でこれからを考える。リルに甘えることになるが、ジュ―ブルで暮らそう。そして、借りを返して、ただひっそりと余生を過ごす。錬金術師というのも興味がある。フォルドアに旅をしてみるのもいいかもしれない。

 ジュ―ブルの恋愛事情は知らないが、女性として男性と関係を結ぶ気にはなれない。まだ心根は男のままで、女性として生きていく覚悟はなかった。

 そうさ、ぬるま湯に浸かろう。


「言いたいことはそれだけですか?」


 ステラの言葉でトオルの未来図製作は中断される。

 トオルはステラが隣にいることをすっかり忘れていた。が、そのことを謝罪しない。もう、これ以上、ステラに迷惑をかけるわけにはいかないのだ。呆れられて、離れるのが最善だろう。


「ああ。それだけだ。自分は無能だって気づいたんだよ。ステラの言う通り、無能なりにここで暮らしていくさ。だから――」

「だから、もう来なくていい、とでも言うんじゃないですよね?」


 トオルの言いたいことを引き継いで、ステラは言った。一字一句同じというわけではなかったが、言わんとしていたことには変わりない。


「そうだとしたら私は怒りませんし、話を聞く気もありません。いいですか、トオル様、私は貴方様に尽くしたいから行動しているのです」


 ステラはトオルの目を見つめてそう言った。トオルにはない強い意志で。

 それはとても美しい様であった。トオルが思わず憧れるほど綺麗だった。でも、それは偽りの感情なのだ向けられるべき相手ではないのだ。自分が人を弄んできたツケを支払う時がきたようだ、と覚悟する。

 トオルは全てを打ち明けることを決め、口を開こうとしたが、先にステラが発した。


「それが貴方様の重荷になっていることに気づきました。勘違いかもしれませんけど、ジュ―ブルでお会いしてすぐに。そう思ってしまうのは弱っていて私の思いが煩わしいからだろう、と考えていました。でも、そうではないのですよね。残念ですが、その事情が何であるかは私には量ることができません。だから、伝えられることは一つです」


 そう言いステラはトオルを抱きしめ、耳元で囁き始めた。


「それでも、貴方を愛しています。心配性なところも、身分を問わず人と接するところも、私たちを思ってくれることも、感謝を忘れないことも。もちろん、全て好きではなく、嫌いなところもありますけど、愛しているんです。だから、私を嫌って捨てるならそうしてください。でも、私を思って捨てようとしているなら、それだけはおやめください」


 静かな告白だった。いつものように感情の起伏が薄い声のトーンだった。命令口調で、涙声でもなく、色気もない声音だった。

 それでも確かにトオルの耳に響き、心に訴えかけていた。だからこそ、彼女は声を失った。

 返事をくれないトオルを見て、ステラは立ちあがった。


「失礼しました。私の伝えたいことは以上です。トオル様、散歩は結構ですが、お早めにお帰り下さい。リルたちも心配しますので。まだお体が優れないのですから」


 と言って、ステラが着ていたコートの半分もトオルの肩に載せる。


「ご指摘やお叱りがないようでしたら、帰りますね」


 そう言い残し、少し待ってから、ステラは去った。その背をトオルは追うことができず、反対方向に足を進める。ステラに着せてもらったコートに包まり、歩いていく。



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