46話
「トオル姉さま」
トオルに気づいたニクルは荷物を放って駆け寄ってきた。そのまま恐る恐るトオルの頬に触れた後、匂いを嗅ぎ、抱き付く。
「ご無事だったんですね。よかった」
ニクルは涙まじりに言って締め付けを強くする。
トオルも目頭が少し熱くなった。ニクルの大きな胸が強く押し当てられる柔らかさ、彼女のつむじが眼前に見える光景が懐かしかった。
そんな二人にクロが抱き付いた。
「心配かけたな、クロ」
トオルはそう言って、クロの顔を見ると、彼女は既に雨のように涙を流していた。
それを見て、すっと心がニュートラルに戻る。急に寒くなる。
自分が思われていることが恐ろしいと感じたのだ。
どうしてだ?
「クロ、ニクル、続きは騎車の中でしなさい。外は寒いし、あなたたちも長旅で疲れているでしょう」
ステラの提案にクロとニクルは従った。リルとマトイといい、ステラの人心掌握術には目を見張るものがある。
そこに注目していると、トオルは先ほどまで何を感じたのかあやふやになってしまった。ステラの言うように、外が寒かったから変な気になったのだろう。
騎車に乗り、リルの家を目指す。2人で持つには難しい量だったが、仕入れてきた魔石はそれほど多くなく、人を乗せた状態で荷台に入る量であった。樽一つ分ぐらいだろう。希少な鉱物というのは事実らしい。
魔石の見た目は普通の石とは全く違うものだった。水晶のように透き通っていて、形や色はものによって違う。発光しているわけではないのだが、光りの加減などでもないはずなのに輝いて見える。そういった何かを感じさせるものが宿っていた。
「フォルドアってどんなところだった?」
魔石の次に気になることといえば、フォルドアである。
久しぶりクロたちと顔を合わせて、話す話題がなかったのもあるが、トオルはそう切り出した。
「暑いです」
クロとニクル、そしてステラが口を揃えて言った。
「私は行ったことがないですけど、灼熱の国、とよく聞きますからね」
とリルも言う。
実際に行ったことのあるステラたちの声は忠告めいているほどだ。よほど暑いのだろう。
「ボクも熱いのは苦手だなあ」
「猫舌ですもんね」
口を手で隠し、ニクルは笑う。抱き付かれた時にもトオルは感じたことだが、半年の間にニクルは成長したようだった。肉体はもちろん、所作の一つ一つが落ち着いて見える。
それはトオルの勘違いかもしれない。またステラの膝枕を堪能しているリルとマトイのような幼女と数日暮らしていたせいで、子供という存在のハードルのようなものが落ちている可能性がある。
「お姉ちゃん」
「どうかしたかい?」
クロに呼びかけられたので、トオルが振り向くと、彼女は顔を真っ赤にしていた。
「もしかして気分が悪いのか?」
クロは音が鳴るほど強く首を横に振る。
どういうことだろうか、と周りを見渡してみると、ニクル以外トオルと同じように困惑していた。
「ニクル、わかるのか?」
「放っておいたら治ります。ね、お姉ちゃん」
珍しくニクルにフォローされるクロにトオルは驚いたが、言った通り数分後にはいつものクロに戻っていた。
リルの家につき、リルが早速夕食の準備を始めた。今日はマトイも張りきっている。本当にステラ効果は凄まじい。
2人が仕度をしている間に、トオルたちは公衆浴場を訪れていた。旅の疲れを癒すため、とリルたちが勧めてくれたのである。
「うう、慣れません」
ニクルが脱衣所で目を細めながらそう言った。湯船に全裸で入浴するという文化に慣れないらしい。
ステラとクロはそうでもないらしく、あっという間に服を脱いでしまった。
「やっぱり気のせいじゃなかったな。クロとニクル、成長してるね」
ニクルは身長も伸び、前よりさらに女性らしい体になっていた。といっても、身長の変化はわずかなものだ。その割にバストの成長が著しい。
クロは一目でわかるほど身長が伸び、体つきも変化していたが、バストはそれほどだ。が、それはそれでそそるものがある。
トオルは思わず下心が出て、ニヤッと笑ってしまう。不穏な目を感じたのか、クロは少しでも体が見えないように体をよじった。そうした方が扇情的であることは言わないでおく。
今の言葉によって、クロとニクルは逃げるように公衆浴場へ入っていった。
「ボクたちも行こうか」
「あの、トオル様。大丈夫なのですか?」
ステラの言う意味がわからず、トオルは考え込む。それでもわからず、もう一度ステラを見ると、彼女の視線はわかりやすくトオルの股間に向かっていた。
「ああ、ボクもよくわからないんだ。起きたらこうなっていて」
「そうなんですか。でも、これで女性として堂々とできますね」
「だよな。ボクは女性になったんだ」
湯船を堪能し、リルとマトイの手料理に舌鼓を打った。
意気込んでいることだけあって、手の込んだものが多い。大人数で、それも座敷で食べるという感覚が心地よさを倍加させていた。
街並みや服装が和風なことだけあって、食器もお茶碗に箸というものだった。匙もあるが、主に使うのは箸だ。
トオルは前世で慣れ親しんだものだったので、少し馴らせば使いこなせた。
「ステラ姉ほどじゃないけど、やるじゃない」
とマトイから褒められるほどである。
彼女の発言は強がりではなく、ステラの箸の扱いはかなり上手かった。元々扱えたのではなく、半年間で習得したのだからマトイが誇らしげになるのもわかる。
クロとニクルは四苦八苦していたが、どうにか扱っていた。彼女らも初めてではないらしい。
トオルは満腹だったのでペースを落とし、そんなことを観察していると、クロと目が合った。
「お姉ちゃん、零しましたよ」
「ああ、ありがとう」
膝に落ちたご飯粒を拾うと、今度はニクルと目が合った。
「ネメスに、リーリエ様のお屋敷に、戻ってくるんですよね?」
とニクルが言った。
言った本人ですら、何でもない風を装っていたが、誰もが訊こうといていたのは明らかだった。
トオルのことに興味のないマトイでさえ目を輝かせている。彼女の場合は露骨であったが、全員がトオルの返答に注目しているのは確かだった。
が、トオルはそのことに気づいていながら、一度考えるということができなかった。独りでに口が動いていた。
「いいや」
埋め込まれた命令に従う機械のように、咄嗟にトオルはそう答えていた。