45話
「クロとニクルって、リーリエの屋敷の仕事はどうした?」
トオルがすぐに訊くと、ステラは微笑んで答えた。
「リーリエ様のお屋敷にまだ勤めております。二人は休暇を使って、トオル様のご容態を見に来ていたんです。本来は私の仕事の手伝いをし、トオル様を見て帰ってくる予定でした。簡単ですし、何度かしているので私はネメスにいたのですが、リルから速文をもらって駆けつけたのです」
それで、とステラは目線を外して言った。
「仕事中にトオル様を呼びに来たのは他でもありません。彼女らを迎えに行きませんか?」
「緊張して言う内容じゃないだろ。行くよ。心配させちゃったみたいだしな」
ほっとした表情をしたステラは猫たちをどけて急いで服を脱ぎ始めた。
何をするつもりだろうか、というトオルの疑問はリルとマトイの行動で解消される。彼女らが着るには大きい和服を準備していたからだ。
ステラが着替え終わり、すぐ出発した。左端にトオル、次にマトイ、ステラ、リルと並んで歩く。ステラたちは手を繋いでいる。
隣からヒシヒシとマトイからの圧を感じるが、トオルはステラに釘付けであった。
黒髪でスタイルも良いため、ステラの和装は正統派の良さがある。彼女のような女性が隣にいると、トオルは鼻が高かった。リルとマトイも十分似合っているが、それはそれ、これはこれである。幼女と大人の女性とを比較するのが間違っている。
リルの知恵もあるだろうが、胸の大きいステラが和服を着ていても違和感が全くない。トオルが根っからの男性思考ということもあるかもしれないが。
先ほどから、ステラに目を奪われているトオルであったが、それは現実の光景だけではない。チラチラとさらしを巻いていたステラを思い浮かべてしまう。それほどまでに悩ましい情景であった。
川の方にわざと視線をやって、気を落ち着ける始末である。
リルたちが住んでいた辺りには川はなかったが、少し歩けば見えてくる。ジュ―ブルは水に恵まれた国であった。
ジュ―ブルは3つの村から構成されていて、広さはバイルほどしかない。大きな川が流れていて海もある。リルたちが暮らしているミナが最も栄えているそうだ。
理由としては、ジュ―ブル神がいること、ネメスと接している面積が少ない事が挙げられる。残りの村はツクモとナザミという村で、ツクモがネメスと最も接していて、ナザミはほとんど海に面していた。居住区としてはミナが最も適しているらしい。
そのような情報はトオルもリルから聞いて知っていた。
「それでずっと歩くのか?」
だから、小国なので、ミナからナザミまで歩いていけない距離ではないことを知っている。
既に小一時間は歩いているので、まさか、とトオルは思ったのだ。
「いいえ、騎車に乗ります」
とステラが答えた。
「見当たらないのはネメスほど騎車が通っていないからです。住人の移動や荷物の運搬は水路を用いることが多いからでしょうね」
「川のせいで道も狭いしな」
「ええ。だから、ジュ―ブルでは騎車の個人所有が禁じられているのです。使うには村々を行きかう乗り合い騎車に乗るか、騎車を借りるしかありません。今日は帰りも使うので、騎車を借ります。クロたちが買ってきた荷物もありますから」
「これも聞いていなかったが、荷物って何だ?」
「魔石です」
「魔石?」
ずいぶんファンタジーな単語だったので、トオルは訊き返してしまった。
「はい。人騎や騎車を作るのに必要な石のことです」
「ネメスじゃ、錬金術師は国のお抱えだからトオルのような愚民は知らないのも無理な。いた、ごめんなさい」
どうやら、ステラに手を強く握られたらしく、マトイが涙目になりながらトオルに謝罪した。単語選びは大人顔負けだが、痛みへの耐性は子供並みらしい。
「確かに、マトイちゃんの言う通りかもな。ボクが魔石を知らなかったというのは。錬金術師も知らなかったし」
「ネメスの貴族でさえ知らない者が多いので仕方ないかと。魔石は誰でも扱えるため、男性の暴動に繋がると緘口令が敷かれていましたから」
「それと魔石が取れないんだろ?」
「流石、トオル様です。そのため、錬金術師の数が少なく、隠ぺいが容易いのです」
「もしかして、ジュ―ブルでは魔石が取れるのか?」
「そうよ。フォルドアほどは取れないけどね」
6柱という地位のあったリルではなく、マトイがそう答えた。彼女が知っているということは、ジュ―ブルでは常識なのだろう。
人騎や騎車という魔法に近いテクノロジーをトオルは知っていたが、その精製方法について何の知識もなかったことに気づく。生きることに必死になっていたとはいえ、視野が狭かったことは認めねばならない。ジュ―ブルに来て、そんなことばかり考えてしまうトオルであった。
乗り合い所で騎車を借り、ナザミの船着き場でクロとニクルを待つ。
冬場ということもあって、海に入ることもできず、騎車の中で雑談をして時を過ごした。
話しているのはマトイとリルで、それにステラが相槌を打ち、偶にトオルへ話題を振った。
「そういえば、トオル様は海を見て何も思いませんでした?」
「まあ、海だなあって感じだな。見たことあるし」
トオルの何気ない返事にステラが過剰に驚いた。
「どうかしたか?」
「いえ、私は初めて海を見た時、立ち尽くしてしまったので。あれが感動というのでしょうね」
「ステラ姉驚いてたもんね」
「こら、マトイ。私たちのように小さなころから海を見ていないからですよ。ネメスには海がないんですから」
クスクス笑うマトイをリルが窘めた。
そこでトオルも自分の失敗がわかった。ネメスには海がないのに、海が見たことがある、というのは矛盾しているのだ。どうも抜けている。
どう切り抜けようか、と頭を急いで回し始めた時、リルが声を上げた。
「船です!」
全員、騎車の荷台から飛び出る。
船着場にあるのは、漁船ほどの木造船だった。既に二人組が降りており、荷車に何かを載せている。
当然こちらには気づいていない。なので、自分たちで近づく必要がある。皆は小走りで駆けている。が、トオルは無理をしていた。
何故か足が鉛のように重たかったのだ。
すいません、全話で必ずと言いつつ破ってしまいました。信用回復に努めたいと思います。謝罪から始まる新年と情けない限りですが、今年もよろしくお願いします。