38話
ジョゼットは宣言通りトオルの体で遊びつくしたと思う。
トオル自身は、時刻の確認ができないのであくまで体感ではあるが、1日は経ったような気がする。
とにかく長い時間、ジョゼットはずっとトオルの体で遊んでいた。彼女の唾液で蹂躙されていない場所は存在しない。服も途中で破かれ、下着も最後には外された。
舐められただけでなく、撫でられたり、摘ままれたり、甘噛みされたり、吸われたり、とジョゼットの遊びには様々なバリエーションがあった。一つ一つ思い起こすことのできない膨大な方法でトオルを甚振った。触覚だけではなく、聴覚も水音やジョゼットの声で犯された。舌を手で撫でられたし、耳を噛まれた。
が、ジョゼットも鬼ではなかったらしい。食事はなかったと思うが、水分は定期的に補給された。毎回、水という訳ではなく、薬のようなものもあったが、喉の渇きには勝てなかった。
それらを摂取する度、トオルの頭からネジが外れていった。半分ほど後からは狂ったように与えられた刺激に悲鳴やら怒号で喘いでいただけだ。
ある時、気づけばトオルの体はジョゼットと会話をしていた。その事実に驚くだけで、何故驚く必要があるのかはわからなかった。
でも、これだけは思った。俺はもう眠ってもいいらしい。
次に目覚めたのは暖かい場所だった。今まで自分が何処にいたか、何をされたかを思いだすことよりも、ここにずっといたいと思える心地よい場所だった。トオルはその中で特に柔らかい所に耳をくっつけて眠ろうとしたが、五月蠅くて眠れない。誰かが怒鳴っているのだ。こんなにも素晴らしい場所で喧嘩なんてバカバカしい。トオルはそう言ってやろうと口を開けようとする。
「大丈夫か、トオル」
先ほどの怒号は怒りではなく、自分を心配している声だと気づき、トオルは目を開ける。そこには大きな青紫色の瞳を濡らした女神がいた。
お迎えが来たらしい。2度目の死だから今度こそ迷わぬように、女神のお出迎えでもついているのだろう。こんなに美しいのだから、行き先は天国だろうか。
目を開けたまま、トオルはそんなことを思った。
「リーリエ、そいつは裏切りものなのよ? そうやって貴方が抱きかかえる価値はないの。早く、捨てなさい」
「何を言っているのです。トオルを送り届けてくれたことには感謝します。ですが、前にも言ったようにトオルへの中傷は止めてください」
「言ってなかったわね。こいつをこうしたのは私よ」
「何ですって?」
「私を襲おうとしたの。出身地だから危うかった」
「出身地?」
「あら、知らなかったのね。トオルはスラム出身なのよ」
トオルはそこでようやく、お迎えがまだであることを悟った。自分がいるのはリーリエの腕の中で、あの後、ジョゼットに連れられ戻ってきたらしい。
「何で知っているのかって顔ね。自白剤を飲ませたわ」
自白剤という単語でトオルは合点がいった。意思を捻じ曲げて、事実だけを答えさせる禁薬。無法地帯のスラムでも自白剤が高価なため、ごくまれに使われていないので、その存在を信じない者も多い。
この薬を飲まされた者は嘘をつけない。それを利用してジョゼットはスラムがトオルの出身地であることを聞きだしたのだろう。トオルがひた隠しにしていたことを全て暴くために。
ジョゼットは一つ目の問いをトオルに投げかけた。
「ここに来たのは何のため?」
「職のためだ」
目の前に映るリーリエの瞳が曇る。トオルは胸が痛んだが、それが何故かはわからない。質問には答えられるのに、それ以外のことは全く機能しなかった。記憶もまだぼんやりしている。
「あなたも聞いてみれば?」
ジョゼットは酷く楽しそうにそう言った。昆虫の死骸で遊ぶのを厭わない子供のように。
リーリエはジョゼットとトオルとを何度か行き来し、トオルに向かって口を開いた。
「出身地は?」
「ハイフ」
リーリエは震え始めた。新たに瞳から涙がこぼれる。トオルは顔に雫を浴びるたびに、どうにかなりそうだった。
トオルの頭が回り始める前に、リーリエが行動を起こす。
一度鼻を鳴らし、目を拭って、リーリエは顔を上げた。力強い目でジョゼットの方を見る。
「それでもいい。出身地なんて関係ない。友なんだ」
淀みのない声だった。トオルの嘘を許す、とリーリエは言った。
しかし、ジョゼットはその答えも予測していたようで、余裕がある声でこう言った。
「知ってる。あの時も言っていたわね。私の家族だ、って。でも、こいつはどう思っているかしら」
ジョゼットは強引にトオルをリーリエから引き離し、床に転ばせる。
それでトオルはここがリーリエの屋敷の玄関付近であることに気づいた。
「友だからこそ、助け合う、お前はそう言ったそうだけど、その時はリーリエのことを友だなんて思っていなかったんでしょう? 嘘よね?」
「嘘です」
その時は嘘だった。でも、今は友だと思っている。が、トオルは弁解する力がなかった。頭は戻っている。弁解できないのは、質問には答えられるのだが、自分の意志で発声できないからだ。恐らく、自白剤の効果で、限界を超えた体から質問の答えを絞り出しているのだろう。
つまり、薬による強制でなければ、声も出せないほどトオルは疲れ切っていた。
「初めはリーリエを騙すつもりだったんでしょう? 言い訳は聞きたくないわ。はいかいいえで答えなさい」
「はい」
ジョゼットはトオルを追い込んだ。その手腕はあまりにも鮮やかである。
トオルは勘違いされていることが残念だった。ジョゼットの怒りを抱く前に、悲しみでいっぱいになった。
「リーリエ、貴方が友を大事にする気持ちはよくわかったわ。それは悪い事じゃない。スラム出身の人でも、クロやニクルのようにいい子もいる。でもね、友であっても悪い人間はいるの。それを見抜くのは難しい事よ。でも、わかってしまったなら、切り離しなさい。貴方がこれ以上悲しむ前に」
「ですが、トオルは」
「ごめんなさい、私が悪かったわ。リーリエみたいな優しい子が人を切り離せないものね。だから、私が代わりにしてあげる。何も殺すわけじゃない。ただ従者を辞めてもらうだけよ。私を襲ったことも不問にするし、バイル学園で会う分は好きにすればいいわ。友達をやめろ、と言ってないの。私はリーリエの全てに口出しできないもの。でも、従者はダメ。近くにおくと危ないからね。私が心配なの」
いいでしょう、とジョゼットはリーリエの耳元で訊く。リーリエの微かに首が動き、それを首肯だと取ったジョゼットはトオルに近づいた。
「さあ、トオル。お前はこの屋敷から出て行くの」
ジョゼットの囁く声はどこまでも愉快気であった。
対照的に、リーリエは虚ろな目でトオルを見つめ、唇を震わせていた。彼女はまだ迷っていた。トオルの言葉を待っていた。否定してくれ、と。
が、トオルは答えられない。頭は回っているつもりだったが、それも鈍足だった。体の自由が利かない。
「あらあら、騙していたことがばれて歩けないほどショックなのね。私が、しっかり、元のお家まで案内してあげるわ。だから、リーリエは屋敷に戻ってなさい」
ジョゼットに肩を組まれ、トオルは引きずられていく。紙を慎重に裂くような音が、トオルとリーリエの距離が広がるほど強くなる。
ぼんやりした頭でトオルはその音に苦しめられていた。反攻の意思が湧かないほどに。