33話
翌朝、フィオーレは急用ができたと言って、神旗で帰ってしまった。馬車と大量の衣類、そしてジョゼットを置いて。
トオルは非常に残念に思った。別れ際にはハグもされ、名前で呼んでくれるほどフィオーレと仲良くなっただけに惜しい。リーリエの外堀から埋める作戦は延期である。問題はジョゼットだ。
朝食から夕食までリーリエとジョゼットは行動を共にしていたので良かったが、リーリエは勉強しないと、と夕食後部屋に引きこもってしまった。フィオーレから弄られなくなったので、すっかりいつもの勇ましいリーリエに戻ったのはいいが、ジョゼットのことを忘れてもらっては困る。
クロとニクルにジョゼットを任せるわけにも、一人で放置するわけにもいかず、トオルがつくことになった。
何をすればいいか浮かばなかったトオルは苦肉の策で食後のお茶を出した。が、お茶をしっかりと味わってジョゼットが飲み干してしまう。それもそうだ。カップ一杯で何十分も粘れない。
これで予定は白紙だ。広い食堂で二人で黙っているわけにもいかないが。
そう悩んでいたところに、ジョゼットから話し始めた。
「リーリエはいつもこうなの?」
「はい。いつも夕食後は勉学に励んでおられます」
何が、と訊くだけで文句が飛んできそうなので、トオルは推測でまず答えた。
会話が出来そうなら、これで時間を稼ごうと覚悟を決める。
「変わってないのね。一人でもきっちりできてしまうのね」
「イノ家のお屋敷にいた頃からそうだったのですか?」
「そうよ。さらに付け加えるなら幼いころからね。本の虫、という言葉がぴったりな癖に、剣も上手く、いつも素敵な笑顔を向けていたわ。昔から何でもできる子だった」
神童とは言わなかったが、まさにそういう存在だったのだろう。
ジョゼットの声には棘がなく、自慢するのが楽しいのか饒舌で、誇らしげだった。
「そんなリーリエを振り回していたのがフィオーレ姉様ね。もちろん私も振り回されたわ」
「昨日もそうでしたね。あの後、私も着せていただきましたし」
トオルが苦笑して言うと、フィオーレは今まで柔らかい表情を無に戻した。
「そういえば、両親は何をしているの?」
「いません」
「お前、加護は?」
「敏捷の加護のみです」
トオルが使っている加速に最も当てはまる加護が敏捷の加護だった。これから誤魔化すことも必要だろう、とバイル学園に編入してから学業と並行して加護の事も調べていたのだ。
敏捷の加護は、一定時間、移動する、ということだけを加速させるものだ。トオルの加速は意識も身体機能もなので、こちらの方がデメリットがあることを除いて、使い勝手は良い。敏捷はそれほど珍しいものでもなく、速くなる程度については個人差があるので、誤魔化しには持ってこいだった。
「それだけ?」
苛立たしさを隠さず、ジョゼットが言った。しかし、トオルにはどうしようもない。嘘をついてもばれてしまうし、加護の不足を解消する手立てはない。出来ることと言えば、素直に頷くぐらいである。
「お前、それでリーリエの隣に立っているの? 馬鹿言わないで!」
ジョゼットは怒りを露わにして、立ち上がりトオルに詰め寄った。クロとニクルを甚振っていた時と違って、楽しみではなく演技でもなく、純粋に怒っているようにトオルには思えた。だからこそ、毅然としていられず、ジョゼットの言葉をぶつけられる。
「従者は使用人と違うの。お前のような無能がリーリエの隣に立っていいものじゃない。あの子は、あの子はねえ――」
「ジョゼット姉様」
食堂の扉が開くと共にリーリエの声が響く。声が大きかったわけではない。むしろ淡々としていた。それでも、ジョゼットを止める力があった。
トオルもジョゼットからリーリエに視線を移す。
リーリエはジョゼットに劣らない怒りを青紫色の目に滾らせていた。
「トオルは私の従者であり、友です。彼女には様々な能力があり、魅力があるのです」
「加護がほとんどないのよ、リーリエ。人でなしなんて盾にもならないわ」
「なりませんとも」
リーリエはそう言って、トオルを見た。いつもと変わらない凛々しく優雅な微笑を湛えて。
「トオルはそんな事態に私を導かない。彼女はあらゆる困難から遠ざけてくれる。万が一、何かあっても逃げず力になってくれる。それが足りず、私に不利益が被ることになったとしても、私はトオルを恨まない。なぜなら、彼女が尽力してくれた結果だと知っているからです」
妹の宣言に、ジョゼットは何も言い返さなかった。言い返せないのだろう。愕然としたジョゼットの顔は、そう示していた。
リーリエはそのまま、言葉を継ぐ。
「ジョゼット姉様、私は困難に陥ってもトオルを盾になんてしません。それは最も愚かな選択です。彼女と共に戦うことこそが、賢い選択なのですから」




