31話
ニクルに癒してもらったトオルは、リーリエたちを探す。
クロとニクルに離れないように指示しているが、2人で屋敷の仕事をこなさないといけないため、1人になってしまうこともある。なので、トオルは極力ジョゼットにつくつもりであった。休憩中もクロと交代するか迷ったほどである。
トオルが小走りで移動していると、誰かの足音が聞こえてきた。耳を澄ますと、複数ある。今、この屋敷で団体行動を取っているのは3姉妹とクロしかいない。そちらの方へ行くと、フィオーレが駆けてきた。トオルは何事かと身体を硬くしてしまう。
「まっさーじ、というのができるのであろう? なら、やってみてくれい」
フィオーレは興奮気味にそう言った。予想外の台詞に驚きを隠せないトオルであったが、急いで言葉を吐きだそうとする。厄介事を招く事態は避けなければ。
「フィオーレ様にご満足いただけるようなものでは」
「クロが良いものだと言っていた。何より、リーリエが言っている。間違いがない、ということだ」
トオルではシスコンに勝つことはできない。諦めて、かしこまりました、と言い切り替える。するのであれば、全力ですべきだ。ないとは思うが、これでリーリエよりも先に、フィオーレを攻略できるかもしれない。チャンスだと思うことにした。そうでもしないと、やれやれ、といった顔になってしまう。
早速、トオルは、フィオーレが使っている客間に案内された。リーリエとジョゼットは別室で、ボードゲームを興じているので、トオルとフィオーレしかこの部屋にはいない。
フィオーレがリーリエと似ているという評価を下したものの、それはあくまで一面だ。彼女の全てを理解した、と思っているわけではない。どちらかといえば、疑いの方が強かった。トオルが早々人を信用するなどあり得ないことである。
「では、そのままベッドにうつ伏せで寝転がっていただいて」
「聞いていたとおり、寝てするものなのか」
ふむふむ、と口を閉じたまま言い、フィオーレは寝転んだ。トオルは彼女の肩甲骨の辺りから、ゆっくり指圧していく。
リーリエは吸い付くような柔肌だったが、フィオーレはガラス細工のような壊れやすさで、冷たい触り心地であった。人の肉に触れている感覚ではない。
トオルがフィオーレの顔色を窺っても、ニコニコしているだけで、変化がない。ステラのように無表情なのではない。意図的に笑顔が張り付けて、表情を隠しているのだ。
リーリエも然るべき場ではそうしているので、フィオーレの笑顔がそれであると、トオルにはわかった。
ジョゼットからの品定めばかり気にしていたが、フィオーレのも変わらない。彼女は癒されるわけではなく、トオルを試すためにマッサージを受けていた。
「あの子が何を求め、家を出たのかわかったよ。リーリエらしいね」
フィオーレが突然、言った。その声には含むものが見当たらず、トオルを責めているのかわからなかった。ただ、フィオーレが勘違いではなく、リーリエが何を大切にしているかを見抜いていることはわかる。下手な誤魔化しで、逃れようという案は真っ先に却下された。
「それでフィオーレ様はどう思ったんですか」
「やっぱり、君は面白いね、リーリエの従者。本当に欲しくなってきた。いけないなあ、妹のものを略奪したくなる気持ちを芽生えさせるなんて。姉弟仲がこじれちゃうだろう?」
また真意はわからない。声のトーンも表情も、冗談めいているが、それが心からのものではないように思えてしまう。それはトオルの疑心暗鬼から来るものではなく、フィオーレが意図的に作り上げていた。彼女にはそういう技能があり、そのことを本人が理解していた。その全てを駆使して、トオルを試していた。
「私の質問に答えていただいたなら、いくらでも解決しましょう」
「へえ、どうやってだい?」
「そうですね、いくつか案はあるのですが、特別に一つだけ」
トオルは指を立てて、じっとフィオーレを見つめた。
「私の左半身をリーリエ様に、右半身をフィオーレ様に献上いたしましょう。心臓のある左は譲れませんよ。私はあくまでリーリエ様の従者ですから」
間をたっぷり置いたわりには、くだらないジョークをぶちこむ。トオルは、フィオーレが真剣にならないのであれば、こちらも態度を変えない、と言外に仄めかしたのだ。ここで引くつもりはないとも。
「この期に及んで冗談を言うとは、底が知れないなあ。相手次第では首がないよ」
「でしょうね」
トオルは保身ではなく、リーリエに不利にならないよう徹して台詞を選ぶ。試されているのはわかっているが、それが何かは分からない以上、リーリエを守ることしかできない。正確に言うなら、嘘が言えない。何かを繕って、逃げるようであれば切り捨てられる。自己保身など以っての他だ。主人より自分を優先しているようでは従者は務まらない。
リーリエの従者であろうとする態度もまた正解とは限らない。
親しそうな態度を取っていても、妹の排除を狙っている可能性はあるのだ。フィオーレがリーリエの味方である、という前提をトオルは外して考えていた。
なので、彼女が答えられるのはリーリエへの思いだけだ。彼女を思ってのことであっても、貶めようとすることであっても、リーリエを褒め、付け入る隙を与えないようにする。この場から逃げることは叶わない。
不幸中の幸いなのが、リーリエに誤魔化さなければならないほどの欠点がないことだろう。
さあ、来い、と意気込んでいたトオルに、フィオーレが次の言葉を発した。
「リーリエの従者、いいや、トオルだったね。これからもリーリエのことを頼むよ」
フィオーレを警戒していたトオルにとって、予想外の言葉だった。が、今なら、その言葉に真正面から答えられる。従者になった頃には嘘を混ぜてしまった言葉を。
リーリエ本人よりも先になることが少し残念であったが。
「はい」
決定的な出来事なかったが、トオルは、今リーリエを見守りたいとハッキリ思える。
トオルはリーリエを主人として認めていたのだ。特別な出来事があったわけではない――貴族としては異様ではあったが――積み重ねてきた月日は短くとも結果として、リーリエという人物を信頼し、信用していた。友であると思われていることに喜びを見出していた。
彼女の美しい振る舞いに、心に、憧れていた。二回り以上も年の離れた子供に、だ。
「即答だね。本当にリーリエは目が良いみたいだ。クロとニクル、そして君、全員貴族でもなく、紹介でもない。それでも自ら、素晴らしい人材を探しだしたんだから大したもんさ」
ウインクしてフィオーレは微笑む。本当に誇らしげに妹の自慢をしていた。その顔が偽りである、とトオルには思えないし、思いたくない。相変わらず、フィオーレを信じることはできないが、身勝手な願望を押しつけることぐらいはできるようになった。
「実を言うとね、私たち姉妹は嘘を見抜く加護を持っている。知っての通り、心を読むものではないし、真実でもあり嘘でもあるというような内容にまで作用しないことが多い。でも、二人で話していれば、それが本心であるか偽りであるかは何となくわかってしまう。それは加護あるなしに関わらず、人間というのはそういうものだけれど」
そこで口を閉じ、フィオーレは歯を見せないギリギリのラインで唇を曲げる。今までの揺さぶりがジャブだとわかる本命の攻撃であったが、トオルにできることは真っ直ぐ見つめることだけだ。冗談は言っても、嘘は言っていない。トオルは本心で、リーリエのことを主人だと認めているのだから。
「君に関しては本当にわからない。だから、私は信じるよ、トオル。君の透き通る青い目を、言葉を。それらから訴えかけてくる思いを。加護は関係なしに」
嘘を見抜く加護について、フィオーレは常識であるかのように言ったが、トオルは存在を知っていたがその詳細は知らなかった。なので、わからない、という原因に心当たりがなかったし、リーリエも持っていることに驚いた。が、それらを消し飛ばす賛辞があった。
トオルは返事の代わりに恭しく礼をした。
「これで堅苦しいのは終わりだ。ところで、トオル、そのまっさーじとやらを再開しておくれ。これは良いものだ。あと、力加減はやや強めで頼む」