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28話

 フィオーレの笑みでようやく硬直から解けたリーリエは言葉を発した。


「ところで、何故神旗を?」

「うむ、リーリエに一刻も速く会いたくて、いてもたってもいられなくてな。つい使ってしまった」


 そう言って、フィオーレはカラッと笑う。リーリエと似た凛々しい笑みで、トオルは彼女がリーリエの姉だと再認識した。彼女はフィオーレから警戒を解き、リーリエの方を向く。

 リーリエはいつの間にか尻餅をついていた。そんな彼女にトオルは手を貸し起き上がらせる。リーリエが惚けていては話が進まない。

 トオルの意図に気づいたのか、リーリエはいつも通り背を張り、フィオーレの方を向く。緊張した面持ちの彼女を見て、フィオーレは神旗を解いた。


「怖い目をするね、リーリエ。神旗が怖かったのかな? それともお姉ちゃんが嫌いになってしまったのか?」


 そこでリーリエは何かに気づいたようで、ああ、という顔をした。


「そ、そんなことはありません」

「本当かい?」


 リーリエはフィオーレがいかに好きかを矢継ぎ早に列挙し、必死に弁明している。姉が拗ねた態度を取るのは、嫌われていると誤解しているからだ、と気づいたからだ。

 が、二人のやり取りを離れてみているトオルにはわかる。リーリエの慌てふためく様で、フィオーレはリーリエの気持ちをきちんと受け止めていた。これはただの意地悪である。

 フィオーレはリーリエより僅かに背が高く、胸も大きいのだが身体はずいぶん細かった。リーリエも十二分に整っているのだが、健康的な肉の付きかたをしている。一方、フィオーレは細すぎる、と言えるほどだ。

 めだつ差異はそこぐらいで、髪色、性格、容姿ともに、フィオーレはリーリエの姉と言えよう。


「お姉さま、許してください。私は本当に」


 フィオーレは涙目のリーリエに上半身を前に出して、目を瞑った。それが何を求めているのかリーリエはすぐわかったようだが、トオルとフィオーレを交互に見て戸惑っている。

 その気配を察知したのか、フィオーレが唇を割って楽しんでいた。

 

「もう、フィオーレ姉様は意地悪なんですから」


 リーリエは赤らめた顔でトオルを一瞥してから、目を瞑り、フィオーレの唇に口づけした。

 同性愛ではなく、姉妹愛だから許可を得たなくてもセーフという考えなのだろうか、とトオルはリーリエの恥じらいよりもそちらが気になった。なので、無表情である。

 一層、リーリエは顔を赤くして、フィオーレから離れようとするが、抱き寄せられてしまう。


「心配してたんだよ、リーリエ。ジョゼットから聞いたけど、実家からの招集を断ってたんだって? 何かあったのかと思ったよ」

「お姉さま、毎月送っている文にも書いたでしょう? ローウェル家のご淑女から、騎士長との稽古を受けないか、と誘われたから、イリツタに行くと」

「それは読んだよ。でも、何日もお前の顔を見ていなかったんだ。剣術大会の時もすぐ帰ってしまうし、イリツタの帰りに寄ることもできただろう。それをしないから――」

「すみません。剣術大会の時は、どうしても受けたい講義があって。今日は屋敷にいる使用人たちが心配で」

「もう、リーリエはえらすぎるなあ。ますます可愛がりたくなる」


 フィオーレはリーリエに頬擦りし囁いた。

 彼女らの声量は小さかったが、トオルにもばっちり聞こえている。イノ家は予想よりも過保護なご家族らしい、と認識を改めた。


「フィオーレ姉様、そろそろ戻りましょう」

「そうだった。ジョゼットに怒られてしまう」

「まさか、ジョゼット姉様も?」

「ああ、母上はいないがな。騎士長にお前が戻る日程を訊いていたから、それに合わせてきたんだ。だから、私たちも小一時間前にこちらについたばかりだ。クロとニクルだったか、彼女らに待たせてもらっててな。今では珍しい馬の世話も適切だったよ。それで」

「早く戻りましょう」


 まだ話をしようとするフィオーレを制して、リーリエが言った。緊迫した声だったが、その違いをフィオーレは感じ取っていないようで、また忘れていた、と舌を出した。

 リーリエの声から、トオルはこれから面倒なことになる、というのを覚悟しておいた。リーリエの妹としての一面を堪能した代償は大きいらしい。

 

 その予感は的中した。

 屋敷に戻り、ジョゼットがいる中庭に行くと、クロが下着姿の状態で四つん這いになっていた。クロの背にジョゼットは足を置いている。ニクルは紅茶でもかけられたのか、髪が濡れていて、服も髪色より汚い茶色に汚れていた。

 その様子を見て、フィオーレは関心なさげに突っ立っている。リーリエは目を見開き、怒りで身体を硬くしていた。

 リーリエが何かする前に、ジョゼットが口を開く。


「リーリエ、訊けばこいつら加護も持たないゴミじゃないの。いくら安いとはいえ、こんな不良品使っちゃダメでしょう? イノ家の品位が問われるし、現に仕事もできちゃいない。だから、私が教えてあげてるの、ねえ?」


 クロもニクルも返事はしなかった。できないの間違いだろう。口答えなどできないように痛めつけられたに違いない。

 そして、リーリエも反論を躊躇しているようだった。クロたちを庇えば、ジョゼットに非があると突きつけることになる。が、そうしない限り、クロたちを救うことはできない。なので、当たり障りのない質問で、解決の糸口を見つけるしかなかった。


「彼女たちが何をしたんですか?」

「私に紅茶をかけたのよ。その後も散々、迷惑をかけたしね。今確信したけれど、主人の迎えもできない無能だから仕方ないわね?」


 確かにジョゼットの服が少し汚れていた。しかし、それはあくまで口実に違いない。彼女はクロたちを痛めつけることを愉しんでいるのだ。それは誰の目からも明らかだった。

 故に、リーリエは放心している。過失がある時点で、彼女では救えない。もし、強く迫りでもしたら、ジョゼットからさらなる報復が待っている。その対象はリーリエではなく、彼女に仕えるクロとニクル、そしてトオルだった。

 なぜなら、ジョゼットの目的は痛めつけることなのだから。

 リーリエが迫られているのは、全てを失う覚悟でこの場を納めるか、クロとニクルに耐えてもらって今後も仕えられるよう尽力するか、だ。失う選択は、何もリーリエだけでない。クロとニクルはスラムに逆戻りで、職を失ってしまう。彼女はクロが加護を使えることを知らないので、その躊躇も仕方ない事だ。

 トオルはリーリエから、フィオーレに視線を移すが、彼女は顔色一つ変えない。あてになりそうにないので、自ら助け舟を出すことにした。


「何、お前?」


 ジョゼットは近づいてくるトオルを睨みつけた。


「リーリエ様の従者をさせていただいておりますトオルといいます」


 トオルはジョゼットの近くまで寄って膝をつき、恐れ多いのですが、と前置きしてから話し始めた。


「私がその者たちに、お客様第一だと教育したのです。それもリーリエ様の姉君ともなれば、恐れ多くまともな思考ではいられないでしょう。私もリーリエ様もいない状況で混乱していたのです」

「まあ、それでリーリエを出迎えに行かなかったことは納得したとしましょう。でも、私に粗相をしたのよ?」

「それは大変申し訳ございません。私の教育不足です。かくいう私も神々しいお二方と対面するだけで緊張しております。なので、恐らく私が応対していても、同じようにジョゼット様にご迷惑をおかけしてしまったでしょう。このような人間が、彼女らに教育した事こそが間違い。全ては私の無能さのせいで招いた事態なのです。ジョゼット様の気が晴れるなら私の首をはねてください」

 

 そう言って、トオルは無防備に首を晒した。この行動には、ここまですればどうにかなるだろう、というトオルの甘い考えがあった。ネメスでは目上の者に膝をつけて謝罪をするという行為は完全に非を認めたのと同意だ。最上級の謝罪である。こうすれば、大体の貴族は自尊心を満足させるのだが、どうやら違うらしい。

 トオルは頭を下げながらも悪寒をしっかり感じていた。頭を上げるわけにはいかないが、ジョゼットの顔を見ずともわかる。きっと、彼女は獰猛に唇を歪めている。新しい玩具を前にして笑っている。ケタケタと聞こえない笑い声がトオルの耳には響き、それとセッションするように足音が響く。

 殊更に足音を立てて近づいてくるジョゼットが止まる。トオルは痛みに耐えるため、歯を食いしばったが、何も来ない。代わりに、フィオーレの声が響いた。


「トオル、顔を上げよ。クロとニクルのもてなしはよかった。貴様のいい分も筋が通っている。それに引き換え、どうしたジョゼット。本当に紅茶を零したのは使用人たちか?」


 フィオーレの問いにジョゼットは答えない。トオルも十中八九そうだろうと思っていた。屋敷で3ヵ月ほど過ごしていて、クロとニクルがそういったミスをしている所を見たことがない。万が一ミスだとしても、足をかけられたり、加護などの介入によって失敗した、というほうが可能性としてありうる、と考えるほど二人の仕事ぶりを評価していた。

 それはフィオーレも同じだったらしい。つまり、彼女が口出ししなかったのは、この状況をどう治めるのか観察していたのだろう。その意図が何であるかはわからないが。

 顔を上げたトオルは一歩下がり、表情を制御することに努め、フィオーレの言葉を待った。


「ああ、その前にクロとニクルだったね、湯あみでもして着替えてきなさい」


 クロとニクルは言われたが即座に動かなかった。ジョゼットの一件があったので、甘い指示に従っていいものか迷っているのだろう。

 そんな二人に向けて、フィオーレはただ笑いかける。すると、クロが頭を下げてからニクルを引っ張って出て行った。

 彼女たちが完全にいなくなってから、フィオーレはリーリエたちの方に視線を向けた。


「さて、話は終わりじゃないぞ。ジョゼット、使用人たち2人で我々をもてなしているのに出迎えもしろというのは不可能だ。責任を問うべきはリーリエだな。いくらなんでも2人は少なすぎる。リーリエ、ジョゼット、物事を正しく視ることを怠ってはならないぞ。今のはどちらも正しくない判断であった」

「はい」


 リーリエとジョゼットは重苦しい声でそういった。どちらも反抗の意思は微塵も見せない。反論する場所はいくらでもあったが、口答えできないほど姉の言葉の影響力は凄まじいらしい。

 反省している二人を見て、首を二度縦に振り、フィオーレは手を叩いた。


「さあ、姉妹水入らず話そうではないか。それと、リーリエ。私たちは3日間滞在するからな」


 歯を見せ、笑ってフィオーレはそう言い放った。

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