27話
「やっぱり、シャボンはいいものだ。今度はトオルも入ろうね」
「はい」
騎車の荷台に向けて、トオルは返事をした。騎車の扱いにも慣れたものである。
首都を後にしたトオルとリーリエ。長期休暇の残りはバイルにある屋敷で過ごす予定になっていた。
そういえば、とトオルはあることを思いだす。
「ネメスにあるんですよね、ご実家」
「あ、ああ」
いつもハキハキ話すリーリエには珍しく口ごもる。トオルは長期休暇が始まった時にも訊いたが、同じような反応だった。
家の事情、とクロとニクルを助けに行く際、リーリエは言っていた。姓がないものだということは報告していない、とも。
クロとニクルはまだしもトオルの存在は許されるものではないのだろう。規制するとき、使用人であれば置いてきても不思議はないが、従者がついてこないというのは無理がある。
剣術大会に一緒に出たがっていたのも、実績があれば、という配慮だったのかもしれない。
自分たちを思ってのことだとわかっているものの、トオルはイノ家の人々に興味が湧いていた。リーリエが委縮するような場面を見たいというのもある。
「たしか、リーリエは3女だっけ?」
「そうだ。実家にはジーリオ母様と、フィオーレ姉様、ジョゼット姉様が住んでいる」
「リーリエだけが家を出てるんだ」
「ジョゼット姉様はネメスの高等部にいるし、フィオーレ姉様は神官だからな」
リーリエは神官という所を強く言った。神に仕える職業である神官は、神の遣いに他ならない。ネメスで神に次ぐ存在なのだ。
それ以前に、神と特別な関係である、というだけで国民の憧れであった。自慢げになるのも無理はない。
「確か、お母様もですよね」
「ああ、5人しかいない大神官の一人だよ」
リーリエは言わなかったが、彼女の母ジョゼットは神に最も愛されている神官というのが平民の常識だ。これはスラムにまで流布されている。
つまり、人間の実質的なトップであった。
そんな一族の娘なのだから、リーリエは大事に育てられたのだろう。シャリオの話からもそれはわかる。そのような母や姉妹が実家に帰らないなどの反抗期に耐えられるのか?
トオルはそんなことを思い、話を切った。
無事バイルに入り、屋敷につく。屋敷の中にある馬小屋には見慣れぬ馬車があった。あそこが物置としてではなく、馬を止めるところをトオルは初めて見た。
道中もそうだが、シャリオに襲われたことと、リルの占いの結果も悪かったので、つい神経質になってしまい敵ではないか、と思ったが馬小屋を見る限り客のようだ。
「リーリエ、誰か来てるみたい。馬車があるよ。わざわざ馬を使っているなんて珍しいなあ」
「誰か?」
リーリエはそう言って、荷台から飛び出て
「姉様だ」
と震えながら呟いた。
噂をすれば何とやら、という奴だ。
トオルは騎車を収納してから、馬車を観察する。確かに荷台は無駄に煌びやかで重たそうだった。トオルには馬の良し悪しはわからないが、豪華な荷台を引ける馬も優れているのだろう。
「ザ・貴族という感じだな」
ついついそんな言葉が漏れてしまう。典型的という言葉がここまで当てはまるもののない馬車だった。
リーリエは放心し、トオルは馬車を見ていると、屋敷から光が差した。雷のような眩い光。晴れた日中にそんな現象を起こせるのは神旗だ。
トオルはリーリエを庇うように立ち、携帯しているナイフを抜く。自分では対抗できないが、リーリエが神旗を展開できる時間ぐらいは――。
思考は途切れる。屋敷から飛来する神旗の勢いで風が起こり、固まってしまったのだ。
「あら、貴方はまずまずというところね」
上から降りかけられた賛辞。褒めているのにも関らず、冷めた声だった。
トオルが見上げるとそこにはトオルに目もくれない紫色の神旗を纏った女がいた。
「フィオーレ姉様」
「ごきげんよう、リーリエ」
トオルに掛けた声とは全く別種の暖かい声で、フィオーレは言って微笑んだ。