20話
今日はリーリエたちが大会の会場の下見に行っている。選手しか入場が許されないため、トオルは買い物をすることにした。初任給を貰ったので、ステラにプレゼントを買うためである。
なので、制服ではなく、私服で街を歩いていた。リーリエに与えられたドレスなので、首都で歩いていても変な目で見られることはない。庶民の女性の私服はズボンと肌着にチェニックというスタイルが主流だが、スカートの女性もそれなりにいる。それに今日は、剣術、闘技大会というお祭りの前ということもあって、ほとんどの女性が着飾っていた。
その前に両替をする必要があったので、両替屋に行く。
国から発行されているの通貨は大小の金貨と銀貨の4種類ある。小の銀貨が100枚で大に、大の銀貨が10枚で小の金貨になり、小金貨100枚で大金貨1枚だ。が、それだけでは細かい精算ができないので、スラムなど、限定的な地域で流通している通貨も存在する。首都は物価が高いが、食料品など、小銀貨で買えないものもあるので、首都で流通している硬貨に両替する必要があるのだ。
トオルの給料は小金貨1枚と大銀貨2枚で平民街の平均所得より僅かに高い。リーリエの屋敷に住んでいるから衣食住にお金を割くことがほとんどないので、トオルには日常生活を送るだけなら給料を使う用途がなかった。その点を踏まえると、このまま働き続けるだけで小金持ちにはなれる。続けばの話だが。
両替を済ませ、早速店を見て回るが、トオルは何週もする羽目になった。
「何が似合うのだろうか、というか何が喜ぶのだ?」
女性としての生を謳歌していないので、贈り物には疎いトオルだった。
前世は言うまでもない。
参考にするウェブサイトなどあるわけがなく、店先で唸る。
「あら、どうかなさいました?」
声がしたので振り返ると、シャボンで水着を売っていた店員がいた。半袖のジャケットと長ズボンを穿いて、右手だけズボンのポケットに入れ、立っている。
「ああ、贈り物を迷ってまして」
「よければお手伝いしましょうか?」
断りの言葉が喉まで出かかって、トオルは思い直した。頼ることを恥じるより、自分の見立てで失敗する方がまずい。前世ならまず頼らなかった。しかし、自分にできないことを認める重要性をトオルはメリドで学んだのだ。
「ぶらぶら見るだけのつもりで街に出てきたから。そういう趣味なんだ。あと仕事まで時間があって暇で暇で」
トオルが言う前に、店員が舌を出して笑う。店員の時と違って親し気な口調だった。男勝りなお姉さんという感じである。トオルの好みの属性だった。
つまり、断るどころかお願いしたい。女性同士だと、そういう所で縮こまらず行動できた。
「お願いしていいですか、えっと」
「イオネだ」
「イオネさん。私はトオルです」
「トオルか。珍しい名前で忘れられそうにないね」
イオネは短い青髪を髪を振り、手で梳かしてから歩き始め、くりくりとした大きな琥珀色の目で店先の商品を眺めている。その横顔から、本当に楽しんでいるのがわかる。
背は高いものの、体つきはどうみたって女性そのものだが、どこか男性として親近感が湧く。リーリエは美しくクールなので、畏怖に近い強さを感じるが、イオネもクールだが、雰囲気がどこか大雑把なものに感じるのだ。リーリエのようにきっちとした所作ではなく、だらしなくない程度に崩れているせいかもしれない。
リーリエの場合、彼女がするから違和感がないだけであって、絵に描いたように完璧すぎる動きは、他人がすれば気障だ、と思われるだろう。
イオネはこほんと、咳払いして、店員だったころの上品な笑みを浮かべた。
「まず、贈り物をあげる相手は、どんな方ですか?」
「黒の長髪を束ねていて。目が力強いですね。性格は生真面目というか、固いというか」
そこまで言って、ステラもクールな女性だな、とトオルは思った。加えるなら、クロもそうである。彼女らは厳格な女性だった。
第一印象ならセネカもそうだったが、今ではクールと言えない。彼女は子供っぽいというべきだろう。
全面的に女の子らしいのはニクルぐらいだ。
「大人の女性ってことか。スタイルは?」
「とてもいいです。背が高くて、女性らしさもバランスよく」
ふむ、と口を開かずに言い、イオネは左拳を口に当て悩み始めた。右手は頑なにポケットに入れたままである。そして、店員口調でなくなっている。
「定番だけど、マントはどうでしょう?」
「マント?」
「広げれば旗に見えるからね。床に敷いたり、羽織ったり、用途も幅広いから貰って使えないってことも滅多にないよ」
そこでトオルは納得した。メリドの人々は旗が好きなのだ。それは、神旗の存在が大きい。
神旗は今ではアクセサリーとなっているが、昔は違ったらしい。昔は神に祈り、それを知らしめるため天に向かって旗を振ることで力を授かったのだ。その名残で、神旗、と呼ぶ。今では権力の象徴のため旗、と呼ぶ説もあるそうだ。
どう考えてもジンキは漢字の読み方をしているが、メリドの語句には英語やポルトガル語もあるので、今更日本語の音読み訓読みが出てきても不思議ではない、とトオルは無理やり納得したことにしている。どういう文化なのだろう?
何度か湧いた疑問を考えていると、イオネが止まった。
「ここなら、落ち着いた色合いの品が多いし、ピッタリじゃないかな。私はこの辺りをぶらぶらしているから中で見てきなよ」
国がないころの民族が用いていたという変わった模様が特徴の布屋だった。商品と値段を見たが、悪くない。トオルは吟味し、ここでステラへの贈り物とクロとニクルにハンカチを購入した。
外に出ると、イオネが壁に持たれて待っていた。ずいぶん様になる格好である。
「買えたみたいだな」
「ありがとうございます。これで終わりました」
「いやいや、トオルと遊べて楽しかったよ」
それじゃあ、と左手を振って去ろうとするイオネをトオルは引き留める。
「これ、お礼です」
包みを渡すと、イオネは驚いた顔をした。
「結構です、なんて私は遠慮しないぜ?」
「どうぞ。お付き合いしてもらったんだし、私も楽しかったから」
一緒に街を歩いて気づいたが、イオネの言葉遣いは荒かった。店員として上品に振る舞えるから、マナーはあるのだが、あくまで荒い方が素なのだろう。
イオネが包みを開けると、彼女がキョトンとした顔をしていた。物の用途がわかっていないらしい。
「腕につけるんです。右手に」
トオルの言葉に、イオネは目を鋭くさせる。
包みに入っていたのはリストバンドだった。しかし、リストバンドという商品があったわけではなく、トオルが注文して作ってもらったのだ。どうやら、リストバンドという商品が存在しないようである。
しかし、リストバンドの用途がわからなかったから、イオネがトオルを睨んだわけではない。
むしろイオネの反応でこの贈り物でよかった、とトオルは思った。
「誤解ですよ。それは汗ふきです。ついでに、腕も隠せますけどね」
イオネが頑なに腕を隠していた理由を、トオルは神旗ではないか、と推測していた。頑なに右手を隠していたのは神旗を身に着けていたから、と考えればつじつまが合う。そうでなくても腕を見られたくないのだろう。それが手なら外れだったし、単に癖でポケットに入れていたのなら意味はない。が、反応が腕を隠しているのだと教えてくれた。
「こういう発想はなかったよ。礼を言う」
イオネはポケットから右腕を出した。トオルの予想通り、細い金色の腕輪があった。神旗のアクセサリーは腕輪と決まっているが、形状は様々なので、リストバンドは大きめの物を注文したが、イオネの神器は女性の指の細さほどで大きくない。隠すことは間違いなくできるだろう。
そのまま、黒色で民族模様の入ったリストバンドをつける。実際に、首元を拭ってみて、イオネは鋭くしていた目を元の丸い目に戻した。
「便利なもんだ。見抜かれたのは悔しいが、得たものは大きい。トオル、本当に会えてよかった」
「私もです。素のイオネさんといると気が楽でしたし、お洒落に詳しかったから」
そう言うと、イオネは顔を赤くした。そんな反応をすると思っていなかったので、トオルの鼓動が速まる。タイプの女性が、勝気な女の子が恥ずかしがる、というこれまた好みの仕草をしたのだから仕方ない。
2人はぎこちなく、別れの挨拶をして、去って行った。
よからぬ妄想をしてしまいそうだったので休憩することにする。荷物を置き、噴水の縁に座ってトオルはあくびをした。疲れたし、心地よい陽気のせいで眠気が抑えきれなくなっている。熟睡という言葉が懐かしい。
そのままうとうとしていると、急に歓声が聞こえてきた。
寝ぼけたトオルの目には観衆が一ヶ所に集まっているのが見えた。いくら首都とはいえ、簡単に集まる数ではない。
眠気も覚め、興味が出てきたので、トオルはそちらへ近づいていく。彼女の目が捉えたのは宙に浮く人だった。
不思議な髪と衣を着ており、目にする度、髪と衣の色が変わる。その絡繰りがプロジェクションマッピングと言われれば信じそうになるくらい幻想的な光景だった。
その人が誰か、なんて説明されなくともトオルにはわかる。あれが神のネメスだ、と。
神は浮かない顔で、虚空を見ていた。どこにも視点を合わさず、ただ浮いている。それが却って、神聖さを感じさせる要因になっていた。
が、突如、ぎょろりとトオルの方に視線をやった。
それが勘違いではない、と直感的にトオルは思った。自分は見られている。それはとてつもなく危険なことである。お前は逃げなくてはならない。捕まってしまう前に、逃げなくてはならない。
そんな声がするほど、恐れていた。震えも止まらない。が、トオルは動けなかった。原因はわからない。でもはっきりしていることはある。こちらを見た神があまりにも美しく、その顔がリーリエと瓜二つだったことは遠目であっても断言できる。
視線の先がトオルであると観衆が勘づく前に、幻聴が酷くトオルの気が狂ってしまう前に、神は空へと帰っていった。
トオルはどっと疲れた。急に重力が倍になったような疲労感だった。
「美人の視線は恐ろしいもんだ」
見とれていたから疲れたのだ、とトオルは思っていた。
首を回し、伸びをして宿に戻るために歩き出す。ちょうど、観衆たちも散り散りに別れ始めた。その中で一人動かない者がいる。
人の波に逆らえば、揉みくちゃにされるのは当然だ。その人間のために誰も足を止めないので、蹴られ踏みつけられ、と散々な目にあっている。遠くともクッキリ見える赤い髪が、制服らしき服が汚れていくのが見えた。
トオルは一旦人波に逆らわず、人の少ない所に移動し、揉みくちゃにされ地面にうつ伏せに横たわっている少女の元へ行った。
彼女はまず膝をつき、そこへ少女の頭を乗せる。トオルの方を向いた顔は、見知った顔だった。踏まれたのか汚れた真紅の髪を持つ少女、シャリオ・イグニスだ。
呼吸は失っていない。が、これはチャンスなのでは、と思いトオルは唇を近づけていく。が、息がかかるほど近い所でシャリオは目を覚ましてしまった。
「大丈夫ですか?」
トオルは何事もないように訊いた。昔から嘘をつくのは得意である。
「大丈夫。えっと、お祈りしていて、その後」
シャリオは身を起こし、何やら考え事していた。その様子を見て、トオルは一先ず安心する。
「思い出せないわ。どうして、気を失っていたんだろう」
「お祈りに集中していたのでは?」
「そうなのかしら?」
シャリオは考え事を止め、トオルの方を向き、礼をしようと頭を下げようとし、視線を合わせると叫んだ
「あ、あんた、リーリエと一緒にいた」
「はい。リーリエ様の従者のトオルと申します」
シャボンの時点ではトオルがリーリエの何であるかシャリオもわからなかっただろう。しかし、今日は大会の会場を見に行って、リーリエとセネカの姿を見ているはずである。そうなれば、自然とトオルの正体がわかるはずだ。リーリエと因縁があるのはわかっていたが、無関係だとはぐらかしたりした方が厄介事を招くだろう、という判断だった。
それが良かったのかはわからない。シャリオは、口を何度も開け閉めしているだけだ。混乱しているのか、怒っているのかもわからない。
「新しい従者になったのね。礼を言うわトオル」
意外にもシャリオは落ち着いた口調で言った。
「私は何もしていませんよ。駆けつけてすぐ目を覚ましたので」
「善意に感謝できないほど私は愚かではありません。それがリーリエの従者であっても変わらないわ。前回の従者と違って話ができそうだし」
「前の従者はできなかったと?」
「全くね。その従者、家柄が私と同程度だったからか強気だったのよ。お嬢様を挑発するだけなら近づくな、ってうるさくてね。もし、私が転がっていても無視してたでしょうね」
いや、蹴っていたか、とシャリオは呟く。出会い方が出会い方だったので、シャリオが茶目っ気のある少女ということにトオルは驚いて笑ってしまう。が、シャリオはそのことを咎めるようなことをしなかった。
「それにしても周りに気づかないほど熱心な祈りだったんですね。大会のことですか?」
シャリオはギョッとした顔をして、トオルから視線を切った。
「た、他国にせめられないように、よ」
それが明らかに嘘であったことは分かっていたが、祈り内容をの追究するほどトオルも意地汚くない。
「ジュ―ブルの動きが怪しいそうですね」
「そう、そうよ。あの小人族に襲われないようにって祈ってたの」
メリド大陸には4つの国がある。どの国も神がおり、その名が国名となっていた。ネメス、ジュ―ブル、フォルドア、アスクである。
ネメスと友好関係なのがアスクで、その他の国とは戦があるほど関係が悪化している。今はどこの国とも戦っていないが、近い将来どうなるのかわからない。なので、シャリオの心配はネメスの国民全員が共有していると言っていい。
「それは殊勝なことですね。でも、明日から試合なんですから、怪我のないようにしないと」
「それもそうね。今年で最後だから」
「最後?」
「私は神旗を持っていないからね。悔しいけど」
高等部から神旗も使用していいようになる。そうなると、神旗を持っていないものは出場資格すらないのだ。奇跡的に出れたとしても、神旗を持っている相手に勝てるわけがない。
「だから、今年は絶対負けられないの」
怒気の籠った声でシャリオは呟く。リーリエたちの気迫に負けない強さだ。
「頑張ってくださいね」
「あら、リーリエを応援しなくていいの?」
「もちろん、リーリエ様の勝ちを祈りますよ。ただ、結果よりも、私は試合へ真剣に向かう人々の方が素晴らしいと思うので、つい声をかけてしまいました」
心の底からそう思っていた。何かのために努力を積み重ねられる存在。トオルが憧れるだけで、手を伸ばさなかった存在に他ならない。そう在れることが、特別なことである、と感じているのだ。
そんなトオルをシャリオは大きな声で笑った。
「ふふ、やっぱり、前の従者よりもリーリエに向いてるわ、トオル」
「どうしてですか?」
「リーリエと同じようなセリフを言うんだもの」
シャリオの一言はトオルの心を揺らす効果があった。輝かしい存在を妬ましく思っていたし、綺麗ごとではのし上がれない、と他者を犠牲にし続けてきた人間が、気障な台詞を何の抵抗もなく口にしていたのだ。そのことを突きつけられた気分だった。
「彼女には敵いませんよ」
「当然よ。別格ね」
シャリオとトオルは笑いあい、別れた。