18話
荷物を整理し、一段落すると夕食を取りに外へ出て、その後、公衆浴場に向かっていた。
スラムでも公衆浴場はあったが、トオルはここ数年利用していなかった。なぜなら、女性らしい体つきへと変化したためである。男と偽って入ることができないからだ。
メリドでは公衆浴場に入る際、専用の肌着――ワンピースというより浴衣のような形状の薄い服だ――を着る。だが、スラムだけは例外で、金銭面の関係で肌着が買えない人がいること、買っても洗わないため、それを着ていては風呂の意味を成さなくなることから、裸で入っていたこともあり、隠すことができなかった。
なので、トオルはステラの屋敷でわざわざ借りていたのだ。スラムの権力者は公衆浴場を使わない代わりに、豪華な風呂場を家に作ることが多かった。
ステラに出会う以前は隠れて水を浴びていた。
今まで何度も悩まされてきた風呂問題であるが、今回が一番不味い。既に断れない所まで来ている。肌着を着るので誤魔化しは効くかもしれないが、自制できる自信はなかった。
「リーリエ、そんなに楽しみなんですか?」
「ああ、もちろんさ。あの宿を選んだのは、予算もあるけど、浴槽がない所をわざわざ探したからね」
「どうしてですか?」
「私は首都のシャボンに入りたかったのだ。でも、宿に浴槽があるのに使わないのは申し訳ないから、始めからないところを探したのさ。セネカもきっと気に入るよ」
セネカと話すリーリエは鼻唄を歌うほど楽しげである。そんな様子を見ると、逃げ場がなくなったような気がしてトオルは顔を暗くする。
「シャボンって」
「ああ、そうだよ。セネカが思っているところだ」
「だから、あんなものを用意させたんですね」
「驚いたかい?」
「ええ、もちろん」
やれやれ、という声でセネカは言った。全く話についていけていないトオルだったが、そんなことを気にしている場合ではなかった。地獄はすぐそこにある。そして、そこに踏み込もうとしている。
リーリエの言うシャボンに到着したトオルは、間抜けに口を開けていた。彼女が想像していた公衆浴場とは全く違う。アミューズメントパークのような絢爛さで、城のような佇まいの大きい建物だった。これが公衆浴場だって?
トオルの疑問は尤もだった。『シャボン』と書かれた看板があるだけで、どこにも公衆浴場という表記はない。建物の大きさはこの際置いておくとして、リーリエの言う通り、公衆浴場なら、あまりにも客入りが悪い。夕食後は公衆浴場のピーク時間なのだ。出入り口に人がいないというのはおかしな話である。
リーリエはセネカと混乱しているトオルを入り口で待たせ、一人中に入っていく。数分して出てきたら、3つの黒い腕輪を持って来た。
「これが入場証になるから、腕につけて」
リーリエに手渡された黒の腕輪にはワンポイント花の模様が小さく入っていた。二人はその模様を腕の内側に来るようにつけているので、トオルも倣う。それを付けたまま、シャボンに入っていった。
外観が豪華なら、中も豪華である。
床も天井も趣向を凝らしてあり、照明器具やソファなどの置物一つ、違和感なく配置されていた。その手のプロが時間をかけて作ったものであることは明らかである。
中に入り、受付の所にあった注意書きによって、トオルの疑問は解決された。ここは会員制の浴場だった。彼女はそんなものがこの世界にあることを知らなかったので、まだ混乱したままだが、ひとまず落ち着きを取り戻す。
注意書きによると、会員制であっても施設の全てを利用できるわけではなく、会員の階級で入れる場所の制限があるらしい。腕輪にあった模様はそれの区別で、花の模様は一番上だった。種が一番下なので、花の栄華を象徴しているのだろう。
改めて、イノ家の大きさを知る機会になった。
リーリエは勝手知ったるといった様子でずんずん進んでいく。分かれ道につき、そこには案内図があった。脱衣所と売店へ別れている。
案内図によると、大きな風呂自体は、湯の張ったタイプが3つ。蒸し風呂が4つあるらしい。風呂以外の施設も豊富にあり、食事施設、リラクゼーションサロン、衣類など買い物ができる場所、階級次第では宿泊も可能らしい。
公衆浴場というより、大型のショッピングセンターといった方がいいかもしれない。
「トオル、早く入りに行こう」
リーリエの声がし、トオルは顔を上げた。彼女が案内図をじっくり読んでいる間に、リーリエたちは脱衣所に向かっていたようである。
目の前はもう脱衣所で、肌着を借りていなかった。トオルはスラムの公衆浴場しか入ったことがなかったが、肌着は白の物が多く、浴衣のような服で、脱衣所に入る前に渡されると知っている。
「あの肌着は?」
「ここは肌着ではなく、水着で入るのだ」
「1種の社交場ですからね。それも上級国民の。だから、同じものを着る気にはなれないのでしょう」
デザイン豊かな水着をトオルも目にしたことがある。なので、この世界にも水着があることは知っていた。スラムの商品のものなので、きわどく、そちらの方面のものではあったが。
「セネカには事情を話さず用意するように言っておいたし、私はもちろん持ってきている。でも、トオルは持っていなさそうだったし、一つくらいプレゼントしたくて黙ってたんだ。だから、トオルは買ってくるといい。会計は腕輪を見せれば済むから。ここの物は質、デザイン共によく、ここで着ても浮くことはないよ。いや、美しすぎる君には釣り合わないかもね」
さらりとそんなことを言ってのけるリーリエにトオルは最後の抵抗をすることにした。流されるままここに来たが、逃げれるものなら逃げたい。
「従者ごときがこんな場所にいるのは――」
「主人としての甲斐性が問われてしまうよ」
トオルが話している最中に、リーリエが言う。それはトオルの耳には死刑宣告に聞こえた。
「諦めるべきですよ、トオル。リーリエは悪戯好きなんですから、あの手この手で封じられます。付き合いの短い私でさえ、気づきますよ」
セネカの諦念の笑みには、トオルも同意できる。足舐め以降、ぎこちないもののリーリエは少し強引になっていた。友達としての態度なのだろう。
入るのは避けられないのなら、せめて着替えだけは別でしたい。着替える瞬間さえ見られなければ、水着でどうにか誤魔化せる、はずだ。不幸中の幸いという奴である。
「なら、お言葉に甘えて選んできますね。待たせるのも申し訳ないですし、どうせなら、着替えた所を披露したいので、脱衣所の先でお待ちください」
「楽しい趣向だね。わかった、セネカと待っているよ」
トオルは内心でガッツポーズをし、脱衣所の近くにあった水着屋に向かった。
「いらっしゃいませ」
店に近づくと、店員が迎えてくれる。シャボンの従業員は女性しかいないらしい。受付の女性もそうだったが、水着屋の店員さんも美人だ。彼女に関しては、リーリエに引けをとらないスタイルの持ち主で、短い青髪がとても似合っていた。
店員に認めている場合ではない、とトオルは商品を見ていく。置いてあるものはビキニが多い。メリドでも水着の造形は日本と変わらないらしい。
トオルが選ぶ基準はボトムだ。そこさえ隠せればあとはどうだっていい。
パンツタイプのビキニが並んでいる場所を発見し、一つ一つ手に取っていく。
「これって上下で別のサイズを買うことはできますか?」
「可能ですよ。在庫がありますので、お声がけください」
店員の女性は溌剌とした声で答えてくれたので、トオルは自分にあったサイズのトップを選んでもらって、ボトムだけ大きいのを選び、下半身に巻くとミニスカート程度の丈になるパレオも手に取る。
「試着させてもらっていいですか?」
「はい。少々お待ちくださいね」
そういって、店員は腰につけたポーチからアクセサリーを一つ取り出し、床に置いた。光と共に、アクセサリーは瞬く間に試着室になる。神旗をアクセサリーに収納していた神の技を人間が科学で解明したため、こうやって利用することが可能なのだ。
トオルが入った試着室は現代と同じようにカーテンで出入り口を隠し、中には鏡がついている。厳重にカーテンを閉め、トオルは服を脱ぎ、素早く装着していた。
鏡を見ると、可愛らしい女の子がいた。もちろんトオルである。だが、自画自賛できる程度には可愛かった。水着を着ていると、魅力が3倍は増している気がする。
トオルが選んだ水着は太い青色のボーダーの入った水着だった。トップは前を紐で結ぶもので、ボトムは同じ柄で少し大きめのパンツタイプだ。一見してわかることはないだろう。これに藍色のパレオ擬きを巻けば完璧だろう。
「サイズはよかったですか?」
「え、はい。ぴったりなので、このまま着て行っていいですか?」
「はい。もちろんです」
トオルは試着室から出て、会計を済まそうと店員に模様が見えるよう腕輪を見せた。店員は深々とお辞儀するだけで、腕輪を取ったり、金額を読み上げることをしない。
しばらく膠着していた二人だったが、トオルは、会計は腕輪を見せれば済むから、というリーリエの言葉を思いだした。
「もしかして、会計は必要ないんですか?」
「え、あ、はい。花のお客様は館内のサービスは全て無料でお使いいただけます」
困惑しながらも店員は笑みを忘れず、質問に答えた。
「丁寧にありがとう。貴方の見立ては素晴らしいわ。触れてもいないのにサイズがぴったりだもの」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。それではお楽しみください」
店員は上品な笑顔で、トオルに礼をした。
トオルはリーリエたちと合流するために、脱衣所に戻った。