17話
トオルは帰ってすぐ、リーリエの自室に行き、剣術大会のことを切り出した。
「そういえば知らせていなかったね。私は君に出てもらいたいと思ってるんだが、どうだろう?」
「大変、光栄なことなのですが、私よりも相応しい者がいます」
「誰だい?」
勉強の途中だったので、椅子に座わっていたリーリエは、特に怒った様子もなく訊いた。
「セネカ・ローウェルです。彼女の剣の腕は卓越しています。私より適任かと」
「確か、彼女の家は代々騎士の家系だからね」
トオルは知っていましたよ、というような顔で頷く。スラムに住んでいた彼女はそういう事情に疎かった。当然知らない。
「でも、以外だな。君は勝負事が好きだと思っていたけれど」
「私情よりもバイル学園の勝利の方が重要です」
「残念だなあ。私は君と出たかったんだが」
そう言われれば無下にできないのがトオルの身分であった。さて、どう切り抜けるか、と思案しているとリーリエが吹き出した。
「意地悪すぎたかい? 少しは私も理解しているつもりだよ。武道に優れ、利口な君が文官を目指すということは、戦いに向いた加護をあまり持っていないということだろう」
リーリエの悪戯だとわかり、トオルはホッと息をついた。
ここまで理解を示してくれるのはもちろん、普通ならまず加護の検査があるものだ。主人として、従者の加護を知りたがるのは至極当然のことである。
でも、リーリエは違う。そのおかげで、キスを強行しなくていいから、丁寧に攻略できるのだ。恩を仇で返すとはまさにこのことだった。
リーリエに話をしてから2週間、トオルはリーリエにセネカを交えて剣の訓練を行った。
その後、剣術大会が行われる首都ネメスへ3人は騎車で移動していた。大会自体は2日後で、3日間行われる。闘技の方も3日間だ。
今回騎手はトオルだった。クロとニクルは屋敷で待機し、大会中、リーリエの世話はトオルが行うことになっている。
荷台ではリーリエとセネカが普通に会話をしていた。突如、剣術大会のメンバーに選ばれたことをセネカは驚き、恐縮していたが、今ではすっかり打ち解けていた。
「トオルはネメスに行ったことがあるのかい?」
「いえ、お恥ずかしい話、バイルから出たことがなくて」
「私も似たようなものです。幼少のころに訪れたきり、行ったことがありませんでした」
「セネカも詳しくはないのか。なら、私が案内できそうだ」
きっとホクホク顔で言っているに違いないとトオルは思いつつ、機械仕掛けの馬の手綱を握る。
メリドにはいくつか地域があり、その一つがネメスだ。首都の名前にもなっているネメスは、この国の神の名であった。混乱しやすいため、首都は単に首都と呼ぶ場合が多い。
スラムは地区として数えられていないので、ネメスは首都を含め4つの地域に別れている。イリツタ、キンギ、バイルに首都ネメスだ。それぞれに一つずつ中高一貫の学園があるので、4校の総当たり戦で勝利数の多い学園が優勝となるらしい。
リーリエもセネカも気合い十分で、身近にいたトオルは気迫に当てられそうになるくらいだ。できれば優勝してほしいものだが、こればかりは祈るしかない。
途中で休憩を挟み、半日ほどでバイルから首都に到着した。既に日が落ちている。バイルがネメスの中で首都から最も離れた地なので、移動時間がかかるのは仕方ないことである。
「それじゃあ、宿に行こう。イノの屋敷でもいいんだが、堅苦しいから大会の前には宿の方が向いている」
宿泊費は学園から出ているので異論はなかった。それよりも、トオルにはイノ家が首都にある、という事実に驚かされた。
首都の町並みは美しかった。建物の配置はスラムに似ているし、同じような造りのタウンハウスが多いが清潔で小洒落た雑貨や装飾が施されている。
リーリエが案内したのは普通の宿だった。横長の2階建ての建物である。汚くはないが、綺麗というわけでもない微妙なラインだ。てっきり高級なところに行くと思っていたトオルは拍子抜けだったが、リーリエらしいといえばらしい。
3人は扉を開け、宿の受付に向かう。
「予約していたバイル学園のリーリエですが」
受付にリーリエが言うと慌てて奥から肥えた女が出てきた。
「お待ちしておりました、リーリエ様。すぐご案内致しますね」
そう言いながら女はリーリエにすり寄ってきた。
「ほら、あんたち」
女が受付に言うと、今度は受付にいた若い女が奥から少年たちを連れてきた。
少年たちはすぐにトオルやセネカが持っていた荷物を受け取ろうとするが、体が小さく上手に持つことができない。危なっかしいのでトオルは肥えた女から隠れるように支えてやった。
恐らく、少年たちは普段、客の荷物運びなどしないのだろう。外観とサービスは一致しているのだ。
過剰なサービスは、リーリエに媚を売りたいが為に違いない。
しかし、リーリエも慣れたもので、女の話を軽くあしらっていた。
階段を登り、一番奥の部屋につく。
「ご準備していたお部屋は二つでよろしかったですか」
「ああ、ありがとう。荷物を置いたら精算しにいくよ」
メリドの宿は、未払いや帰ってこないことが多々あるので、先払いが常識だった。トオルでも知っている。
「いえ、滅相もありません。リーリエ様からお代をいただくなんて」
「そう言わないでくれ。今後も利用したいし、次回も気が楽な状態でいたいんだ」
「勿体なきお言葉です。出すぎた真似でした」
「気持ちだけ受け取っておくよ。予約の際に伝えたが、昼食と夕食は外で食べてくる。朝だけ用意してもらえるからな?」
「もちろんでございます。おい、小僧供、粗相のないようにな」
女はそう言って何度も礼をしてから、1階へ降りていった。
「リーリエ、少年たちはいいよね」
「ああ、セネカもいいだろう?」
「もちろんです」
許可を得たトオルは少年たちにチップを握らせて返してやった。
「それじゃあ、こちらに私とトオルが泊まるから、セネカはもう1つの部屋で泊まってくれ」
「わかりました」
セネカは返事をし、少年たちから受け取った彼女の荷物を持って、部屋に入っていった。
その背中をトオルは呆けて眺めていた。
「どうした、トオル。入らないのかい?」
「入ります入ります」
トオルはリーリエと同室だと想定していなかったのである。考えてみれば当然だが、従者が主人から離れる方が可笑しいのだ。
屋敷にいる時より一層気を引き締めなければならない。下半身を見られたら終わりだ。
気合をいれているトオルにリーリエが話しかけた。
「セネカには人騎の中で話したのだが、この宿には浴槽がないのだ」
「シャワーはあるみたいでよかったですね」
「いいや、ここじゃなくて近くの公衆浴場で入るよ。私はそれを楽しみにしていたんだ」
嬉しそうに話すリーリエとは対照的に、トオルは顔を青くし、背には悪寒が走っていた。