12話
その後、二人は騎車の中でクロとニクル救出計画をしっかりと詰めた。
お互いに知っている情報を交換し合った結果、それなりのものになったという自負がトオルにはあった。
といっても、問題の性質上何が起こるかわからないということで油断は全くできない。そのこともトオルとリーリエは共有していた。
なので、彼女らが決めたのは役割分担だ。
トオルがクロとニクルたちを誘導、リーリエが陰からサポートするというものだ。
これはリーリエの強い要望で、トオルが説得したが変わることはなかった。
スラムというのはそれなりに広く、地区ごとを統括する存在がいる。しかし、管理しているのはスラムの入り口である歓楽街のみで、他の地域、スラムの住人の居住区は管理しないという建前である。実際は管理者たちの冷戦として使われていた。ある地区の住民の質が落ちれば、他の歓楽街が儲かるというシステムである。
小競り合いを起こさせることで住民の怒りを管理者たちでなく、外へ発散させる目的もあるだろう。
スラムは大雑把に東西南北の4つの地域に分かれていて、東から順にランクラー、リクス、ハイフ、ラッドという名だ。
ステラが統括しているのはハイフでトオルもそこの出身である。今回、ランクラーを襲っているのはラッドの住民なので南に逃げるのは他の地域に避難することを比べればまだ容易だろう。
歓楽街という土地柄、襲撃が行われるのは朝が多い。仕事終わりで寝入っている所を襲うのだ。
トオルたちは騎車だけ回収し、操っていた臨時の使用人を巻き込まないために分かれた。 神旗だけでなく、人騎や騎車なども、展開していない時はアクセサリーになるのが一般的だった。持ち運びには困らない。
臨時の使用人を途中で置いてきた時間のロスのせいか、ランクラーについた頃には黒煙が一部立ち上っていた。
この世界は女尊男卑だが、それはあくまで加護を持った女だ。スラムにいる加護を持たない女は男に支配されている。
町で行われていたのは、暴虐だった。売り物である男は痛めつけられ、質のいい女や子供は攫われる。数を用意していたラッドの人間に寝込みを襲われたランクラーの住民たちは反撃することもできない。逃げるのが精々だ。
憎悪の渦巻く空間にリーリエは縛り付けられていた。
そうなると、的でしかない。リーリエを襲おうとするが、彼女は自衛した。呆けていても危機感は忘れていないらしい。
スラムで暮らしてきたトオルにとっては珍しくない光景だったので、冷静さを保つことが出来た。そのせいか、あることに気づいていた。
「リーリエ様、その男を気絶させてください」
「あ、ああ」
トオルの指示に従い、リーリエは組み伏せていた男の額に手を置き昏睡させた。何かの加護によるものだろう。トオルはそんなものがないので、近くにいたラッドの人間を剣の柄で数回叩いた。素早く、彼らの右腕から青い布を奪い、各々の右腕に巻き付ける。
「どうやらこれで敵味方の区別をつけているようです。急ぎましょう」
「すまない。観察不足だった」
手筈通り、トオルが先行し、大きく重い灰色のローブを被って顔を隠したリーリエがついてくる。
青い布の効果もあって、誰にも襲われずクロとニクルの実家へと急いだ。彼女らの家族構成は男娼の弟が二人と病で伏せがちの母の五人家族である。
リーリエに雇われる前は極貧生活だったので、住まいは歓楽街から離れた場所にある。仕事場から離れた場所にいくほど、歓楽街でも底辺の仕事をしている人間ばかりなので、ラッドの猛威はまだそこまで酷くない。
襲うのならば、損失を多く与えられる箇所をということだ。
「トオル、もうすぐだ」
「ええ、リーリエ様の説明通りですね。迷うことはありません」
「なら、私は距離を取る。後から追うから気にせず進んでくれ」
「わかってます。けれど、リーリエ様も自身を守ってくださいね。身の危険を感じたら」
リーリエはわかっていると微笑んで言葉を継いだ。
「神旗を限定展開させて、知らすだろ。君は意外と心配性なのだな」
息をこぼすように笑って、リーリエは姿を消した。
トオルがクロとニクルの家につくと、彼女らはまだ家にいた。
「何をしている騒ぎには気づているだろう?」
「トオル姉さま、どうしてここに?」
「それは後だ。早く準備をしろ」
そういうが、クロたちは動こうとしなかった。
トオルは急いで室内を見渡す。家にいたのはクロとニクル、母と弟が一人だった。
スラムで身一つで飛び出すというのは死を意味するので、持ち運べる家財を見繕っているのかと思いきや、家財の整理は済んでいるようだった。あれもこれもと欲張らずコンパクトに収まっている。リーリエの使用人という破格の収入があるので、物品に対する執着は薄いのだろう。
つまり、彼女らは弟を待っているのだ。
「まさか弟を待っているんじゃないだろうな」
トオルの問いに誰も答えなかった。それは肯定したに等しい。問答無用で突き進むこともできたが、話だけでも聞こうと譲歩する。
「弟はどこに行ってたんだ」
「ラッドとの境の店で働いていて」
ニクルが初めて発言した。彼女の声は途切れ途切れで、何とか嗚咽を堪えているといった様子だった。
その様子を見て、クロも彼女の家族も顔を暗くする。つまり、彼女らは助からないと思っていながらもここを出られないのだ。
真っ先に襲撃されたはずの場所にいて、無事だと楽観するほどニクルも甘くない。スラムで生きてきたのだから、夢見がちが死を招くことも知っているだろう。
それでも、動けないのだ。一縷の望みに賭けたいと願ってしまうのだ。
だが、そんなことにトオルも付き合う余裕はない。彼女らの感情を唾棄すべきものだと批判することはないが、賛同する義理もない。人としての情だけで肩入れできる状況ではなかった。
行くぞ、とトオルが声を掛ける前に扉がノックされる。彼女にはそれが敵ではなく、リーリエだとわかっていた。
「外を見てくる。君らはここにいるんだぞ。いいな」
頷くのを確認した後、トオルは家を出て、路地で待機するリーリエの元へ駆け寄った。
「トオル、私はその弟の顔を知っている」
自らスラムでクロとニクルを雇用したのだから不思議なことではない。そうですか、とトオルは頷いた。
「だから、私が彼を救出する。名前を出さず、そのことを伝えておいてくれ」
そう言ってリーリエはトオルに騎車のリングを渡そうとした。
トオルは受け取ろうとしなかった。リーリエの行動を止めるつもりだったからだ。
争いの渦中に飛び込むなど正気の沙汰じゃない。神旗を持っているので、死ぬことはないだろうが、リーリエの望みが潰えることとなる。つまりは、トオルの従者というポジションも失われるのだ。
保身のために止めようとしている部分もあるが、それは僅かだ。神旗を持っていても万能というわけではないし万が一がありうる。それに、クロの弟がまだ無事である可能性が限りなく低いのだ。そのためにリーリエがこれ以上危険を冒す必要がどこにあるだろう?
しかし、トオルの考えが空気を震わせる前に、リーリエは騎車のリングを落として去ってしまった。
騎車を拾いトオルも覚悟を決めた。