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114話-どうしてそう両極端なんだ?

 トオルは女酒場から出て、アルーシェの家の近くの路地の壁にもたれ掛かった。

 首を絞めさせた後、セレノに命令を繰り返し、あの場を治め、すぐに出てきたのだ。


「ボクのことを忘れろ」


 つい数分前に呟いた言葉を反芻する。トオルはセレノに、そう命令した。そしてそれは遂行された。


「演技だよな。セレノさんは冷かそうとしただけだよな」


 自分の呟きでは慰めにならない。トオル自身がそうでないと確信している。

 キスには強制的に魅了させる能力があるとわかっていた。好意を植え付けているという自覚はあったが、ここまで強力な能力だと考えもしなかったもしなかった。

トオルが自分の力が強力でないと思っていたのにはわけがある。加護がないということは弱いと思い込んでいたのであった。彼女もメリド大陸の常識に囚われたのである。神様に祝福されていない人間には、大した能力を与えられていない、と。

 そして、何の条件かは不明だが、どうやら能力が徐々に上がってきたというのも、能力の強力さに気づけなかった理由の一つだろう。


 だから、淡い好意を植え付けただけで、ステラやリルたちがここまで慕ってくれているのは培った時間によるものだと信じていた。

 ステラ、クロとニクル、そしてリル。彼女らとの関係性は、トオルがメリド大陸で育んだものとして、達成感と満足感を覚えていた。彼女らから本当に愛してもらえるように邁進しようと誓えるぐらいに大切に思っていた。

 むしろ、それしかないと言っていい。スラムという死がどこに潜んでいるかわからない場所から逃げようとしていた彼女には、自分の命と絆だけが譲れないものだった。

 元ニートで恥も外聞もなく、2度目の生に貪欲に生きてきた。家族もいない。矜持も、大それた信条もない。

 再度生まれ落ちて、ただ脅かされることなく生きていたいと思った。それが変化して、愛する者に愛されたいと思った。

 が、今のトオルには、どちらも不可能という虚無に蝕まれているように、思えた。


「こうしたいって理想がどうしてこんなに遠いんだよ。ただ彼女たちと普通に生活したかっただけなのに、どうしてだよ」


 トオルの嘆きは虚しく路地に響く。

 だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。時間は無駄にできないのだ。

 迫りくる危機に立ち向かうための駒を調達しなくては。

 

「不幸中の幸いだよな。これでアルーシェは楽勝だよ。あーあ、でも白けた。虐めっ子を倒したいからって細菌兵器を貰っても困るんだよ。もっと細やかなものをくれよ。どうしてそう両極端なんだ?」


 自分の体にトオルは語り掛けた。

 キスの力は魅了どころではない。相手の意識を掌握する力こそ、トオルが持っていた真の能力だった。




「ただいま」

「お帰りなさいです」


 トオルがアルーシェの家に戻ると、真っ先にリルが出迎えてくれた。手にはジェラートの入ったグラスがある。ジェラートは暑いフォルドアでよく食べられるデザートだった。リルは甘いものが好きなので、ウキウキしているのが伝わってくる。

 そんな微笑ましい姿を見ても、トオルの頭は全く違うことを考えていた。

 初めてリルにキスをした時、急に従順になったが、意識はハッキリしていた。初めは話した方が変だと思ったが、あれはデフォルトである。あの時は、灰色のクリクリとした目はキチンと輝きを放っていた。彼女にキスした段階では、まだ能力がそこまで強くなかったのだろう。意識を奪うほどではないが、敵に従順になる程度の改竄というレベルだったのだ。

 これだけでも強力だ。トオルは笑いだしそうになるのを必死で堪えた。どうしてこんな事にも気づかないんだよ、間抜け。スラムで気付いた時は、失敗もあったほど弱い能力だったのに、ここまで変わっていたら、例外じゃなくて進化と考えろよ。


「ステラは?」


 自分に悪態をつきながらもトオルは、普通に質問することが出来た。人を騙す事ばかり器用になっている。


「ステラ姉は日用品の買い物に出ましたよ」


 ジュ―ブルから着の身着のままで来たわけではなかったが、生活に必要なものを全て持って来たわけではない。トオルはどこかのタイミングで買い出しに行かなければ、と思っていたがアルーシェの攻略ばかり考えていて忘れていた。

 ステラはそういうことによく気づく女性だった。自分に出来ることを把握している。どこでも通用する人材というのは彼女のような人を指すのだろう。

 トオルはこれからどうするかはまだ考えていなかったので、とりあえずソファーに座ることにした。リルも隣に座る。


「リル、全裸になって町を逆立ちで一周してきてくれないか?」


 トオルが突然そんなことを言ったので、リルはきょとんとしていた。聞き間違いか何かと思っているらしい。

 だが、その反応こそ、トオルが見たいものだった。まだ彼女らは人形のようになっていない。


「ごめん、冗談だ。何かふざけたくなってさ」

「そうでしたか。可笑しくなったのかと心配した」


 リルの少しムッとした顔を見て、トオルは平謝りした。

 本当は次に自分のことをどう思っているか、と訊きたかった。

 能力が作ったのはきっかけだけでなく、自分を慕ってくれている動機さえも作り出したのではないか? 1から10まで能力によって、支配されているのでは?

 そんな不安を否定し、解消してほしかった。

 だが、そんなことは訊けない。確かめられない。もし、彼女が望む答えが返ってこなければ、トオル自身ではなく、能力によって愛されていたということになる。

 いつかはその事実を受けとめなければならないのかもしれない。だが、今は駄目だ。まだ折れるわけにはいかないのである。

 自分が愛されているか愛されていないのかは二の次だ。一番重要なのは、彼女らを救うこと。そのために出来ることをまずしなければ。


「はい、姉様」


いつの間にかトオルの口元にスプーンがあり、彼女は反射的にそれを咥えた。ジュ―ブルで介護されていたことを思いだす。

スプーンにはジェラートが乗っていて、口の中が爽やかな甘さで包まれた。


「かき氷とはまた違った甘味です。こっちの方が滑らかでとっても美味しいのです」


 いつもの口調を忘れて興奮気味にリルは言った。こうしてはしゃいでいる姿は、彼女にとてもよく合う。

 トオルはリルの気づかいに感謝した。きっと暗い顔をしていて、甘いもので食べればよくなるだろう、と思ったのだ。

 お返しにリルの頭を撫でると、彼女は目を細めて笑った。

 そして、ジェラートにスプーンを突き刺し、自分の口に運ぼうと――。


「きゃっ」


 リルが短い悲鳴を上げた。

 トオルがリルの握っていたスプーンを叩き落したからだ。それは気づけば体が動いたせいであった。

 怯えた眼をリルはトオルに向ける。彼女の意識はハッキリしている。

 そのことにホッとしたと同時に、自分がどうしてこんなことをしたのかトオルは気づいてしまった。

 今やキスの力は強引に人を惹きつけ、飲み込んでいく。リルは、現在トオルの命令を無視できるが、これからずっとそうだとは限らない。体液を摂取させれば人形のようになる可能性はあるのだ。

 自分が使ったスプーンで食べるだけで、どうなるかわからない。とても試そうなどと思えない。


「あ、姉様?」


 何も言わないトオルに、リルは恐る恐る笑いかける。先ほどまで天真爛漫に輝いていた笑みは引きつっていた。

 それはトオルが最も望んでいないことだった。すぐさまどうにかしたいと思ったが、解決策が見当たらない。事情を話すわけにもいかないし、嘘をついてもその場しのぎだ。

 だが、何もしないというのは、トオルにはできなかった。リルの怯えた眼を浴び続けることは辛かった。


「ごめん、ちょっと寝不足みたいで、よろめいたんだ。少し寝てくる」


 逃げるようにトオルはその場を立ち去り、寝室へ向かった。

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