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110話-想定内



 トオルたちが口を開くのをアルーシェは手で制した。


「6柱のリルがこの国に来た時点で何が言いたいのかはわかっています。ジューブルへの援助は致しません」


 きっぱりとアルーシェは言い切った。こちらから目を逸らしもしない。


「誤解なきよう。次にこちらが攻められても勝てる蓄えが、兵力があります。どちらについても利のない状況では動く必要がないというだけです。私が意固地になっているわけではありません」


 アルーシェは何かを要求したりせず話を切る。魔石があるフォルドアには蓄えがあるのだ。ジューブルを出る前にトオルは調べたのだが、砂漠地帯でも国民分の作物は収穫する術があるらしい。困っているものがないのだ。故に、協力する必要がない。恩を売っても、将来的に享受できる何かがあるわけではない。

 そして、ジューブルは差し出すものが何もない。特産物を差しあげますじゃ無理だろうとわかっていた。

 アルーシェが王だったことは予想外だったが、こうなることは想定内だったのだ。

 だからトオルがここにいる。不可能を可能にする突破口としてキスの力でこの国を落とすために。





「自分のためではなく、今度は人のために、か」


 トオルは部屋で呟いた。

 以前、トオルたちが滞在していた家をアルーシェが貸してくれたのである。

 無礼な要求をしても、余計な行動をしなければ、使者として扱ってくれるらしい。その隙はトオルにとってありがたいものだった。

 が、難しいことには変わりない。

 自分一人の生活のために、口づけを目指していたあの頃とは勝手が違う。トオルがしくじれば国が一つなくなるのだ。

 重責はある。目眩もしそうだ。でも、悪くない。

 そう思える精神をトオルはいつのまにか培っていたのだった。


 アルーシェと謁見が終わり、すぐに家に戻ってきた。案内人であるバネッサもである。

 アルーシェとバネッサの関係は主従関係というより、友人そのものだった。いくらフランクな王がいたとしても、全員にああいう態度ではないだろう。

 リビングにいるはずなので、部屋から出てバネッサに会いに行く。

 近しい者から話を聞く。リーリエの時と同じだ、とトオルは思い出して笑ってしまった。


「楽しそうだね。ああ、驚きか。アルーシェも意地悪だよねー」

「意地悪?」

「だって、トオルにもステラっちにも自分が王だって言ってなかったんでしょう」


 トオルは頷いた。てっきり自分だけ教えられていないのかと思っていたが、ステラもだったらしい。

 知らなかったのではなく、知らされなかったのではなく、知られないようにしていたのだろう。

 初めから断られるつもりだったというのは、トオルだけだったので、すっかり落ち込んでしまっているリルにステラがついている間に、話を進めておくべきだろう。


「バネッサさんとアルーシェさんは王と錬金術士という関係ではなく、友達なんですよね?」


 トオルが尋ねてもバネッサは答えようとしなかった。ムッとしたかと思えば、顔を赤くしていて、どういう感情で黙っているかがわからなかった。


「バネッサ」

「え?」


 小さい声だったのでトオルは思わず聞き返した。聞き取れた内容がわからなかったのもある。名前がどうかしたのだろうか?


「お師匠、バネッサさんも止めて、バネッサって呼んで」

「わかりました」


 そんなことか、と拍子抜けするトオルだった。


「それで、どうなんです?」

「友達だね。学校で仲良くなったって奴だよ。王との仕事がない時は、ここで寝起きしていたしね。ご飯も基本的に一緒に食べてた。トオルたちが帰ってからは食べれてないけど」

「忙しい時期なんですか?」

「忙しくなったの。お隣で戦争が始めれば考えることが多いみたいだね」


 不満そうな態度を隠さず、バネッサは言った。嫌味ではないだろうが、リルが聞けばそう取るとは限らない。


「勝てそうにないなら亡命したら? 私が養ってあげるよ? お金はたくさんあるし」


 理想的なヒモのお誘いだが、トオルは頷かない。まだ、手だてはある。逃げるには早すぎた。


「ネメスにいるはずのトオルとステラっちがどうしてジューブル側の人間といるのか、とか詳しいことは聞きたくないから、言わないで。ただ私はトオルが無事ならいいの」


 トオルは戸惑った。自分とバネッサの関係はそれほど親密なものだっただろうか、と。ステラと、ではなく。トオルがと言い切っている。それほどまでに思われる理由が――――。

 もしや、とトオルは思った。リルに続き、オネットと、敵対していた人間を魅了してきた。特にオネットは完全に国を裏切るほどだ。

 スラムで実験した時は、そこまで依存させるには、かなり相手に体液を断続的に与えなければならなかった。

 それが今はたった一度で、従順になってしまう。トオルが命令しないから効果はないように思えるが、リルたちに極端な命令を聞かすこともできるはずなのである。

 そうまで能力に差があるのは、体質の違いかとトオルは思っていたが、そうではないかもしれない、とも思い始めていたのだ。

 加速を使っても副作用が薄れたように、キスの効力も上がっているのではないか?


「バネッサ、熱いな」

「そ、そうかなー。あまり暑くないけど」


 トオルの冷えた声を聞いて、バネッサは驚きと共に媚びた目をする。

 キスをした相手がする蕩けた表情をバネッサも浮かべている。

 バネッサは勘違いしているようだが、トオルが熱いと言ったのは気温を指したものではなく、体温を指していた。

 火照っていますか、と聞いていたのだ。さらに言い換えれば、欲情しているか、ということである。

 顔から火がでるぐらい恥ずかしい。が、トオルはそれ表情に出さず、冷酷さを顔にのせる。


「何かして欲しいことがあるんじゃないか?」


 トオルの心は寒かった。とびきり格好つけた声で、勘違い野郎のような台詞を吐いている現状が笑えない。

 バネッサとキスはしていないが、一度、体液を接種させている可能性があった。初対面の時、トオルの顔をバネッサの腹が覆い被さった時だ。

 効力があがり、それだけで落ちてしまったのでは、という推論の元、トオルは勘違い野郎になりきっているのである。


「何もないの?」


 そう言ってトオルはバネッサの顎に手をやった。男性ならばそれで様になるのかもしれないが、トオルは女性で、バネッサより背が低いので変な体勢である。

 しかし、バネッサにはそんなことはどうでもいいようで、少し屈んで唇を突き出していた。

 可愛らしい正直者に、トオルはキスをするのであった。


キスで成り上がるというテーマを初志貫徹できていないこの作品ですが、この部は剣ではなく口説きで進めたいと思います。

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