11話
トオルがいつも通り中庭で朝のひと時を過ごしていると、リーリエが突然謝ってきた。
「すまない。トオルには今日から数日、少し屋敷の仕事も手伝ってもらいたいのだ」
ニクルたちの好感度上げるために、屋敷の仕事を手伝っていたので支障はなかったが疑問はあった。
「構いませんけど。そういえば、ニクルたちは?」
「暇を出したのだ」
トオルはそう言われ、ニクルから昨日、数日留守にする、と聞いたような記憶があったことに気づく。彼女は昨日、これもニクルからリーリエに関する秘密を知り、有頂天になっていたのだ。
そのことを気取られないよう、笑ってごまかす。
「そういえばニクルから聞いていました」
「クロとニクルは両親や兄弟がスラムに住んでいるからな。ふた月のうち数日は臨時の使用人を雇って対処している。頼みというのは、彼女に仕事を教えてほしくてね」
またしても仰天発言である。使用人に暇を与えることは滅多にない。貴族からすれば買ったモノで消耗品なのだ。特殊な加護持ちならあり得る扱いだが、加護なしの少女には特例と言える扱いだろう。
一般的な貴族とは大きく異なると思っていたが、ここまで徹底しているとはトオルも予想だにしていなかった。この世界で絶対的支配者であるリーリエという少女がどうしてこうなったのか、気になるところだ。
トオルがリーリエの端正な顔を見ながらあれこれと邪推していた時、あることを思い出し頭が急激に冷えた。
「確か彼女たちの出身地はランクラーでしたよね」
「ああ。それがどうかしたか?」
トオルが思い出した時には、使用人たちの出身地がランクラーであることはわかっていたが、確認せずにはいられなかった。
スラムではどこも治安が悪いため、場所は問題ではない。が、ランクラーでこの時期はまずかった。
トオルはリーリエがいたので、舌打ちの代わりに人差し指の爪で親指を刺した。スラムの小競り合いでランクラーが標的にされている、とステラに忠告したばかりではないか。平和ボケという奴だ。
トオルはニクルたちを未然に助けられなかったことをまず悔やんだが、次には彼女たちをリーリエから失わせれば、隙が出来るのではないか、と思った。同時にそんなどこまでも利己的な自分が気持ち悪かった。
そんなことをスラムにいた頃なら思わなかったかもしれない。しかし、目の前にいる陽の存在が、トオルの薄汚い影を照らしていたのだ。
急に表情を険しくしたトオルを心配するように、リーリエがトオルの前髪をそっと払った。
「光の加減じゃないようだね。何か気に障ることをしたかな?」
心の底からそんなことを言える仮初の主人の存在が、トオルから打算を取り払った。
「ランクラーが襲撃されます。スラム内の小競り合いの情報です」
何故、スラムの小競り合いについて知っているのか、と疑われる可能性も、使用人たちを失わせることでリーリエと距離を詰めるという考えも捨て去った。
そして、トオルにはこの発言が自分に危険を招くとわかっていた。主人を失う可能性があるし、自分が死ぬ可能性もある。
なぜなら、リーリエという少女は使用人を見捨てないからだ。
「ありがとう。いますぐ向かう。その、トオル」
トオルの予想通り、リーリエは使用人たちの救出を即決した。しかし、その後がどうにも歯切れが悪い。何を言うのか推測もできなかったので、トオルは大人しく待つことにした。
リーリエは顔を赤くして、トオルのほうをちらちらと見る。いつもクールな麗人である彼女とは真逆の女の子らしい態度だった。
「君も来て欲しい。どうやらスラムについてよく知っているようだし、私は万能じゃない。もちろん強制ではないよ。無理だというなら私一人で行くから」
放っておけば、リーリエはずっとトオルを気遣う言葉を紡ぎ続けていただろう。そうならなかったのは、トオルが返答をしたからだ。
「もちろん。お供させていただきます、お嬢様」
リーリエの屋敷からスラムまでは騎車で3時間といったところだ。汽車ではなく、騎車なのはこちらの移動手段は馬が主だからである。普通の馬であれば馬車、この世界の工業品で、機械仕掛けの馬であれば騎車と分類される。トオルの人騎と同じ原理の製品だが、移動することに特価しているので武装はない。形状も一般的なものであれば機械仕掛けの馬に荷台がついているだけのシンプルなものだ。多機能の人騎に比べれば安価だが、庶民が持つことは滅多にない。
なので、トオルは存在を知っていたが、実際乗ったことはなかった。車や新幹線といった乗り物と比較しても、乗り心地はそう悪くない、というのが彼女の評価だ。自分の現代知識はやはり役立ちそうにない、と感傷に浸る。
騎手は臨時の使用人が務めているため、騎車の荷台でトオルとリーリエは待機している。車内ではリーリエが置物のように背筋を張って座っているため、トオルも姿勢よく座っていた。救出という目的なので、そういう雰囲気になるのはわかるのだが、根がニートのトオルには緊迫した空気で長時間黙っているのは耐えられそうになかった。
「トオル、ランクラーに入る前に話しておくことがある」
話題を振ろうとしていたトオルより先にリーリエが言った。しかし、雑談というわけではないらしい。
「私はスラムへ行くこと自体禁じられているのだ」
「それはどうしてですか?」
「話せば長くなるのだが、一言で言ってしまえば家の事情だ」
そう言うリーリエの表情には、苦悶と疲れの表情が浮かんでいた。
「知っての通り、私はイノ家の3女だ。嫌味に聞こえてしまうかもしれないが、様々ものが与えられてきたし、そういう面では不自由はない生活が保障されている。が、私はそういうものをただ享受することができないらしい」
リーリエは本当に辛そうに言った。嫌なことでも思い出したのか、歯がゆい顔をしている。
自分が口を止めているのに、リーリエはようやく気付いたようで、謝ってから話を続けた。
「しかし、親から与えられたものを受け入れないというのは、ものの不手際になるのだ。だから、表面上不満のないよう取り繕った。嘘をつくのは嫌だったけど、なんとか2年前の春まで過ごしたのだ」
「そしてバイル学園に入学した、と」
「ああ、その際屋敷だけ用意してもらい、使用人は自分で集めたのだ。が、それがスラム出身の者や、姓がないものだということは報告していない。そうすれば反対されるであろうことは理解している。だから、実家から遠くイノ家の監視下から外れる場所であるバイル学園を選んだというのもある。が、そのことを前任の従者は納得してくれなくてな。あまりにも強引なので押し返してしまった。トオルに出会えたことは幸運なことだけど、彼女には申し訳ない事をした」
リーリエの言いたいことがハッキリとわからなくて、トオルは頭を働かせていた。そのため、返答をするのを忘れていた。
それを怒ったと勘違いしたのか、リーリエは頭を下げた。
「すまない。私は君を中傷するつもりはなかったんだ。身分が人の価値と直結するとは考えていない。ただ、母様や姉様たちはそう考えていなくて、それに同調し続けるのが辛かったから逃げてきた。それに近い従者も私情で切り捨ててしまった、ということさ」
「いえ、私の方こそすいません。リーリエ様の話をまとめていただけで、中傷されたなどと感じていませんよ」
「ありがとう、トオル。君は優しいんだな」
そちらこそ、とトオルは言いたいところであったが、これ以上脱線すると話ができないので会釈だけで済ませた。
「本題だが、私はリーリエ・イノであることを隠しながら行動しなくてはならない。無論、君らの命が天秤に掛けられたら身分など、どうだっていい。が、これまでの生活を送るためにできるだけ隠したいのも事実だ」
リーリエの話についてトオルは、納得はできなかったが、理解はできた。リーリエは与えられた人々をそばに置くのが息苦しく、それから逃れるためにバイル学園にきた。彼女からすればようやくつかみ取った平穏を終わらせたくない。だから、身分は隠す、ということだろう。
トオルが納得できなかったのは、リーリエが何故、不自由のない生活をただ享受することができないか、である。
緊急事態は人の普段見れない一面を垣間見る絶好の機会ではあるが、そのことを追求する時ではない。成果を焦ると失敗する、というのがトオルの考えだった。
「つまり、名前を使って小競り合いを止めることはできないということですね」
「そうだ。争いがないにこしたことはないが、今の私ではそれを止めることはできない。不甲斐ない話だが、できることは限られている。なので、クロとニクル、あとは彼女らの家族を安全な場所へ避難させることが目的だ」
変に欲張らず、目的がハッキリしているので救出計画を立てるのも難しくないだろう、とトオルはホッとした。
「トオル、避難先の候補はないか?」
「お屋敷はダメなのでしょうか」
「いや、不可能ではない。だが、選びたくないのだ。今以上に、彼女らから恐縮されるからな。それに輸送の問題もある。騎車では全員運べないだろう。君はスラムの事情に詳しいようだから、案があるならそちらにしたい」
もちろんないわけではなかった。トオルがステラにお願いすればいいだけの話である。イノ家の名前を出すまでもない。しかし、素性を探られる可能性があった。それはトオルにとってまずいことである。
だが、リーリエ・イノという少女を見ていると、断る気がなくなってきた。リーリエはあくまで真摯に、打算など思いつきもしないような態度で懇願している。そうなると、根っからの悪人というわけではないトオルは揺らぐのだ。
この世界で隙を見せれば危険だとトオルはよくわかっている。たった一言で路頭に迷うことも、場合によっては首が飛ぶことまであるだろう。だからこそ、冷徹でいなければならない。が、どこかで人を信じてみたい、と思うのも事実だった。人を疑い続け、一定の距離を保ち続けるのは熱がいるのだ。
「わかりました。アテがないこともないので、ご案内しましょう」
「ありがとう。従者に君を選んだ私の見立ては間違っていなかった」
リーリエは雅に微笑んで、トオルの手を取り、その甲へそっと口をつけた。全ての所作がスムーズで違和感なく行われた。そのせいで、トオルが何をされたか気づくのは手を離された時だった。