105話-捕虜になるためには
キスの件を避けられても、故郷を襲撃してきたオネットを許させることは難しいように思えた。何一つとして上手くいく要素がない。
黙っていても事態は好転しないとわかっているのだが、言い訳すら浮かばない。
そうやってトオルが答えあぐねていると、リルが言った。
「姉様、ネメスの騎士長を殺すつもりはないんですね?」
「ないな」
それだけは決めていた。オネットを殺すつもりなら、わざわざ拾ったりしないのである。
だから、誤魔化しの前に告げておく必要があった。
「ボクはオネット騎士長を殺すつもりはない。何があってもだ」
「ならよかったです」
予想だにしていない発言に、トオルはポカンとした。
リルはクスクス笑って、何故かを教えてくれる。
「このような誇り高いお方を殺すだなんて無益なことです。敵味方ではなく、一個人として尊敬」
「オネットさんが褒められるのは嬉しいんだけど、どうしてかな?」
「騎士だから」
「騎士だったら許す?」
「トオルは勘違いしてるぜ」
オネットはそう言ってから噴き出した。面白がっているわりに顔を赤くしたり、上唇を突き出したりしまったりしている。それが何度か続き、よし、と小声で呟いてから彼女が話し始めた。
「この子は俺が騎士だから尊敬してくれているんじゃなくて、騎士と称せる行動を取ったからそう言ってくれてるんだ。貴方は騎士と名乗る資格があるってな」
自分への賞賛ってのは小っ恥ずかしいな、と照れながら笑う。
リルもオネットの言っていることがわかるのか、口元に手をやってフフと軽く笑っていた。
トオルはさっぱりわからない。その行動とやらがわからないのだ。そのことに先に気づいたのは照れているオネットではなく、リルだった。
「姉様は見てないのでわからないですよね。ネメスの騎士長はこの戦いで多分、誰も殺していない」
「村があんなことになっているのに、死者が一人もいないって?」
「はいです。あまりに強すぎて、歯が立たないから男たちは戦うのを早々に止めた。神旗持ちも悉く負けた。それでも、騎士長は手を下さなかった。国を落すなら、二度と立ちあがれぬ傷を負わせるか、殺すべきなのにそうしなかった」
リルは平静に言おうとしているようだったが、感謝と共に語気が強まっていた。それに釣られてオネットは顔を赤くしている。褒められ慣れていないらしい。
戦場で不殺を貫くのはリスクでしかないが、いくら強いとはいえ、オネットは自分は負けないと不遜な態度を取る人間ではない。勝負事には全力を出すはずだ。なので、危険性を理解して、殺さなかったのだろう。それは生半可な覚悟でできることでなかった。
だからこそ、リルは敵ながら賞賛しているのだ。
「おい、トオル。これから、俺の言う事に乗れよ」
突然オネットが小声で言った。トオルが訊き返すよりも先に、彼女はリルに向かってこう言った。
「負けたら勝った方に従うっていう制約を交わした。だから、捕虜と言うよりモノだ。な、ご主人?」
トオルに向かってウインクする。これで誤魔化せるだろう、ということだ。
リルがオネットをそこまで恨んでいないとなると、問題は一つだけだった。元敵兵を無害だと信じ込ませることだ。それを嘘でどうにかしようとしている大胆さに、その策の鮮やかさにトオルは痺れた。
この世界で制約と言えば遵守せねばならない契約だ。どんな条件でも、結ぶ当人の合意があれば成立する。
逆に言えば、2人が制約を交わしたと言えば、嘘か真かはわからないのだ。
「なるほど、それなら歓迎です」
リルもあっさりと騙されてしまうのであった。




