97 山本大地の過去
けっこう残虐な描写があります。
苦手な方は、ご注意ください。
あの日は家族四人で外出する予定だった。
しかし銀行員の父は取引先に呼ばれてしまい、泣く泣く仕事に行った。その日はショッピングセンターに併設された映画館で、幼児向け人気アニメの映画試写会が上映されることになっていたので、日を改めることが出来なかったのだ。四歳になった妹の加奈は、父親と一緒に出掛けられないことを最後まで拗ねていた。
俺も「そんなお子さま向けのアニメなんて」と言いながら、楽しみにしていた。
七歳になっていた俺も、加奈ぐらいの年の頃は愛と勇気を友達にしている彼が大好きだった。彼のアニメはテレビ放送されていたので、よく加奈が一緒に観たいと言ってきた。渋々一緒に見てやっているようにしていたが、本当は俺も一緒に彼の活躍を観るのが楽しみだった。
普段は仕事が忙しくて夜も遅い父親と外出するのも楽しみにしていたが、加奈に兄貴らしいところを見せたくて我慢していた。
映画を見終わると、加奈の機嫌は良くなった。
そのままショッピングモールのレストランで食事をして、キッズコーナーで遊んでから帰ることになった。ハンバーグを食べて汚れた俺の口を、母さんは苦笑しながら綺麗に拭いてくれた。
・・・あの日のことは、こんなにも鮮明に覚えているのか。母さんの笑顔は優しかった。
加奈が眠そうにし始めたので、昼過ぎにはショッピングモールを出た。三人で手を繋ぎ、駅に向かった。彼のテーマソングを口づさみながら。
幸せだった。
今更ながらに、そう思う。
その幸せが一瞬で崩れた。
通りの向こうで悲鳴が上がった。続いて怒号が飛び交い、人が波のように押し寄せてきた。
何事かと立ち尽くしていると、人が逃げてくる向こう側にナイフを持った血だらけの男が、こちらに向かって来ていた。
母さんが息を飲むのが分かった。
次いで周りからも悲鳴が上がり、我先にと逃げ出す人々。母さんも俺たちの手を引いて逃げようとするが、加奈は恐怖で泣きじゃくり動かない。
仕方なく母さんは加奈を抱え上げ、俺の手を引いて走り出した。男が歩いて来た方向には、血を流して倒れている人が三人は居た。
母さんは必死に走ったが、せっかくの外出だったこともあり、その日はヒールを履いていた。押し寄せる人に当たり、加奈を抱き抱えていたこともあってバランスを崩し倒れてしまった。
転倒した痛みのためだろう。加奈の更に大きな声は、男の注目を集めてしまった。数歩先でそれを見ていた俺は、全く動けなかった。
大丈夫だから、大丈夫だからと母さんは加奈を必死にあやしていた。その背後に男が立った。何か訳の分からないことを叫ぶと、母さんを殴り飛ばした。
加奈が更に泣く。男は加奈を怒鳴り付けると、突き倒した。うつ伏せに倒れる加奈。顔を上げた加奈と目が合った。
「お兄ちゃん、助けてぇぇ! 痛いよぉ!」
今でも忘れられない加奈の声。その声が唐突に止み、加奈は力無く頭を下げた。加奈の背中に男が手にしたナイフが突き刺さっていた。男の足にすがりついていた母さんの絶叫が響く。男はそんな母さんを蹴り飛ばした。
俺は泣いていた。
傷つけられる加奈に、暴力を振るわれる母に。
男は、そんな俺に目をつけた。俺は動けなかった。目の前で男がナイフを振り上げる光景を、泣きながら見ていた。
その腕が降り下ろされる瞬間。何かが俺を覆い隠すように抱き締めた。
―――母さんだった。
その背中にナイフが肉を裂いて突き刺さったのが、音で分かった。
男は半狂乱になりながら、何度も母さんにナイフを突き立てた。しかし母さんが俺を抱き締める腕の力は、最後まで緩むことは無かった。
男はその直後、駆けつけた警察に取り抑えられた。暴れて、何人かの警官も傷を受けたようだった。
加奈も母さんも駆けつけた救急隊員に状態を確認されていたが、加奈はピクリとも動かなかった。
母さんは息があったが、子どもの目から見ても助かるとは思えなかった。泣く俺の頭を、血で染められた手で優しく撫でると、「強く生きて」と言った。その言葉を最後に、母さんも動かなくなった。
俺も救急車で運ばれたが、外傷は無かった。職場から駆けつけた父親は霊安室で号泣していた。俺は母さんの母、祖母に抱き締められていた。祖母も泣いていた。
数日後には母さんと加奈の葬儀が営なわれた。父は脱け殻のようだった。最後の別れとして棺桶に入った二人の顔は、あんな死に方をしたと思えないほど安らかだった。だが俺の脳裏には、加奈の泣いて助けを求める姿が焼き付いて離れなかった。
俺は既に小学校に通っていたが、しばらく休み、入院してカウンセリングを受けることになった。一ヶ月ほど掛かったと思う。その間、祖父母は顔を見せてくれたが父親は面会に来なかった。
祖父母の家に引き取られた俺は、一日を母さんと加奈の遺影を見ながら過ごした。数日すると母さんの弟である正道伯父さんが頻繁に来るようになった。伯父さんは何も言わず、俺の横に座るとマンガを描き始めた。伯父さんはマンガ家のアシスタントを仕事にしていた。
あまりにも良く来るので、何となくだが俺もマンガを描き出した。伯父さんの影響で、もともとマンガは描いていた。母さんに上手いと褒められたことを思い出し、泣いた。伯父さんは何も言わなかった。
伯父さんの描くマンガはヒーローもので、悪いやつを次々に倒していく。俺も同じようなマンガを描いた。母さんを、加奈を殺したやつが憎かった。何度もマンガの中で奴に見立てた悪者を殺した。伯父さんは何も言わなかった。
マンガの中のヒーローは強かった。悪者が暴れて人を傷付けても、颯爽と現れてやっつける。
どうして自分はヒーローになれなかったのか。あの時、母さんや加奈を助けられなかったのか。マンガを描いていると、そんな想いでいっぱいになった。
そして母さんの最後の言葉を思い出した。
「強く生きて」
涙が止まらなくなった。
伯父さんは何も言わなかった。
泣き止んで、明日から学校に行くと言うと、笑ってくれた。そして母さんの話をたくさんしてくれた。
「俺が漫画家になろうと思ったのも、姉さんが後押ししてくれたからなんだ。残念ながらアシスタント専門になっちまったけどな」
そう言って、伯父さんは泣いた。俺も泣いた。この涙を最後に、俺は泣かないと心に誓った。こんな理不尽には、絶対に負けないと思った。
宣言通り、次の日から学校に通い始めた。みんな優しかった。
無理を言って空手を習い始めた。強くなりたかった。
マンガを描き続けた。おぼろげに、将来は漫画家になりたいと思うようになった。母さんとの絆のような気がしたから。
だが半年後、父が転勤することになった。
父は母さんたちが亡くなった後、何かに憑りつかれたかのように仕事に打ち込み始めた。そしてローンの残っているマイホームを手放し、知らない間に解体してしまっていた。これを知った俺は父親に殴りかかったが、祖父に止められた。
後になって聞いたことだが、転勤は父の希望したことだったらしい。周囲は息子さんがいるのにと言ったらしいが、聞く耳を持たなかったらしい。
父親は母さんのことを深く愛していた。だから耐えられなかったのだろう。今なら分かる気がする。父は逃げたのだ。母さんと加奈の死からも、俺からも。
俺は母方の祖父母と暮らすことになった。父とは母さんたちの命日ぐらいしか顔を合わせなくなった。父方の祖父母とは疎遠になった。
それから三年後。祖父が死んだ。心不全だった。
母さんが死んでから心労が溜まっていたのだろう。浴室で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
祖母も体調を崩し、俺は空手を辞めた。
その頃から、俺と祖母が暮らす家に一人の女性が出入りするようになった。近所に住む母さんの友人だ。
彼女は昔、母さんに世話になったと言って、いろいろ助けてくれた。その人に料理やら家事全般を仕込まれた。
「いまどき、男の人も料理ぐらいできないとね」
が彼女の口癖だった。
何故かケーキ作りまで教えてくれた。女の子は甘いものに目がないらしい。当時は何を言っているのか意味が理解できなかった。
彼女が家に出入りするようになると、伯父さんもまた家に来るようになった。笑い合う二人を見ると、母さんと父親が仲睦まじくしている様子を思い出した。
数年後、ふたりは結婚した。伯父さんはデレデレだった。
しかし、それを見届けるように祖母も亡くなった。俺が受験を控えた年だった。
俺の引き取り先が問題になった。
父は既に再婚し、転勤先で落ち着いた暮らしをしていた。母さんが亡くなってから、父を支えてくれた人だった。
二人が結婚したのは俺が中学に入る前だった。その時に俺を引き取っても良いと彼女は言っていたが、俺と祖母、今は伯父さんの奥さんが丁重にお断りした。彼女の目に不安が宿っていたことを俺たちは見逃さなかったのだ。
俺も体調の悪い祖母を置いて出て行きたくは無かった。
だが祖母が亡くなり、伯父さんの奥さんは妊娠していた。伯父さん夫婦は一緒に暮らそうと言ってくれた。
父も自分達の近くで暮らせば良いと言ってくれた。
だが、俺はそれらを断った。
伯父さん夫婦には迷惑をかけたくなかったし、今さら父に父親面をされるのも嫌だった。祖父母と母さん、そして加奈が眠る町の近くで暮らしていたかった。
家事もできるし、一人でやっていけると言った。その代わり、父には大学を出るまでの経済的な援助を約束させた。父は俺に謝った。俺は、もういいとだけ言った。
そして俺は高校生となり、一人暮らしをしながら漫画家を目指して歩き出した。
―――強く生きて。
その言葉を胸に、これからも生きていこう。
たとえ異世界に飛ばされたとしても。
掛かって来いよ理不尽。
俺は―――負けない!
※ お詫びとお知らせ ※
約3カ月にわたって連載させていただきました
『勇者として異世界にクラスメイトたちと召喚されたんだが、いつの間にか俺だけ魔王になっていた(仮)』
ですが、今話をもって休載させていただきます。
理由としては、序盤の内容が『スライムに転生した件』に類似しているためです。
小手先の変更で対応いたしましたが、これではダメだと思いまして、新たにプロットを組み立てる必要性を痛感しております。
完成したところまでは勿体ないので公開したのですが、お楽しみいただいていた方々、申し訳ありません。
ほぼ一からの書き直しとなっており、修正作につきましての公開は未定です。
ブックマークしていただいた方々、更新を楽しみにしていただいた方々、申し訳ありませんでした。
そして、ありがとうございました。




