34 多尾狐
原初の大森林中央部。
そこには広くて小高い丘が広がっていた。周囲を見渡せるほどの丘で、ところどころに穴のようなものが空いている。
その穴は多尾狐たちの住まいに繋がっていた。
多尾狐は魔法に特化した種族であり、生まれながらに高い魔力を持つ。特に火属性と闇属性に高い親和性を持ち、種族の規模に反して強い影響力を持っている。
しかし彼らとて万能ではない。高い魔力とは裏腹に、あまり身体能力は高くないのである。
魔法を駆使すれば単独でもオーガに匹敵する個体もいるとされているが、接近戦は苦手としていた。
また種族の数も決して多くはない。南側のクレイジー・ゴングや北西部のアンデッドは彼らにとって無視できない勢力だった。
このため多尾狐族は南側を黒狼族に、北西側を半魚族に防衛してもらい、何かあれば加勢するという同盟を結んでいた。黒狼族や半魚族が崩壊すれば、自然とその脅威は自分達に向かって来るからである。
これを彼らは<三種同盟>と呼んでいる。
「黒狼族が全面撤退じゃと?」
多尾狐の長は、<五尾姫>と呼ばれる雌の個体だった。
多尾狐はその名の通り、いくつもの尻尾を持つことが特徴だ。
通常の個体なら2~3本の尻尾を持っている。
尻尾の数は魔力の高さに比例しており、例えば尻尾が2本の多尾狐と3本の多尾狐とでは大人と子ども程に差があると言われている。
4本の尾があれば族長クラスとされるが、それが5本である。彼女は歴代の中でも最強に近い多尾狐ではないかと言われていた。そんな彼女が多尾狐の族長となるのは自然な流れだったと言える。
ちなみに<五尾姫>というのは彼女の名前ではない。他の種族がつけた通称のようなものだ。
彼女の名前は紅葉という。
「こちらに救援を求めることなく逃げの一手とは、よほどの事態か」
黒狼族は南側、クレイジー・ゴングたちに対する防波堤である。しかも黒狼族が軍隊のように統制がとれた種族であるというのは周知の事実だった。
そんな彼らが戦いもせずに撤退を決めたということであれば、事態はかなり深刻であると言えた。
「黒狼族からは伝令で、<皇帝種>が現れたと伝えよとのことでした」
「なんじゃと?」
―――皇帝種。
その言葉に紅葉は目を見開いた。
「なるほど。真の魔王同様、伝説の類いと思っておったが、まさかお目にかかることになるとは思わなんだ」
<皇帝種>とは、原初の大森林における伝説の一つである。
クレイジー・ゴングやクレイジー・モンキーの特性については前回述べた通りである。つまり数は多いが、それぞれの群れがバラバラなので恐れるほどではないということだ。
ではバラバラに行動している彼らが、一つの個体の下で意思統一されてしまった場合、どうなるだろうか?
原初の大森林において、最強の軍団が生まれることになる。
それが皇帝種。カイザー・ゴングと呼ばれる個体である。
カイザー・ゴングはクレイジー・ゴングを無条件に支配下におくことができる。クレイジー・ゴングを支配下に置くということは、つまりクレイジー・モンキーも従えるということである。
2万を越えるモンスターを、である。
想像してほしい。それだけのモンスターが一斉に攻めてくる光景を。
「すぐに半魚族へも同様の通達を出せ」
「はっ!」
「緊急招集じゃ。全てにおいて優先せよ。戦の準備を早急に整えるのじゃ。一秒とて無駄にするな」
「御意!」
紅葉の命を受け、多尾狐たちが散る。
「妾も、うかうかしておれんな」
おそらく原初の大森林始まって以来の大戦争になる。紅葉はその事実に武者震いを感じた。
自分が強いチカラを持っていることは知っていた。
おそらく霊峰シルバーピークに棲むとされる最強の存在、竜巻龍と渡り合えるのではないかと思っている。しかし原初の大森林では既に勢力が固定されており、知性の無いモンスターぐらいしか戦う相手は居なかった。
そういった意味において、この戦は彼女の真価を確かめる絶好の機会と言える。
「ふふん。妾の火術、存分に振るってくれよう」
「残念だけど、その機会は無いよ。姉さん」
暗闇から声が響いた。
「誰じゃ!?」
「僕だよ。」
多尾狐は穴蔵の中で暮らしており、暗がりを見渡せる<暗視>のB級スキルを所持している。暗闇の中から突然姿を現すように見えることなど、有り得ないはずだった。
更に紅葉は姿を現した存在に驚いた。
「白葉か? 何をしておる?」
それは彼女の実弟、白葉であった。
最近、とある魔族に<魔獣契約>され力を増した多尾狐だった。
しかし<魔獣>となって力を増したと言っても、尻尾の数は変わっていない。尻尾の数は4本で、五尾姫に次ぐ実力者だった。
「お主、どこにおった? それに『その機会は無い』とはどういうことか?」
「一度に質問し過ぎだよ、姉さん」
激しい戦を予感し、軽い興奮状態にあった紅葉は白葉の言葉に不快感を覚えた。
「貴様、妾に対する敬意が足りんぞ?」
言葉と同時に、白葉の周囲で蒼い炎の玉が浮かび上がる。
「少し仕置きをしてやろう」
炎球が爆発し、周囲に爆風が舞う。
洞窟の中での爆発など危険極まりないが、爆発の規模自体は小さい。しかも紅葉は熱量を圧縮するという高度な制御を可能としていた。
<狐火>と呼ばれる多尾狐族のユニーク級スキルである。もちろん大事の前の小事である。少し火傷をするぐらいに手加減はしていた。
これが他の多尾狐であれば致命的なダメージを与えるところであるが、五尾姫が弟である白葉を溺愛しているのは、一族の間では有名な話である。
そもそも<魔獣契約>したモンスターは一族に戻ってはいけないことになっている。本来なら一族の長に仕えるべきであるところを、別の者を主としてしまうわけだから当然である。
しかし白葉はそれを許されていた。それだけで、紅葉は弟に甘いのだ。
「少しは反省したかえ?」
とはいえ紅葉は白葉の親代わりでもある。躾が必要になれば、甘いながらも手は上げる。
しかし、
「その程度かい? 姉さん」
「なにっ!?」
爆煙が晴れた後には無傷の白葉が立っていた。
「大した防御結界は張っていなかったんだけどな」
「ちっ。少しはやるようになったようじゃな。それが<魔獣契約>のチカラか」
白葉は不敵な笑みを崩さない。
紅葉は立ち上がると、魔力を高める。その姿が陽炎のように揺らいだ。
「【イリュージョン・フレイム】!」
紅葉の力ある言葉に従い、術が発動する。
これは<スキル>ではなく、【魔法】である。
あちこちに炎が燃え上がると、紅葉に似た多尾狐が十数体出現する。
「面白い魔法だね」
白葉は少しも慌てず、その中の一体に火球を放った。
しかし、あっさりかわされる。
「へえ、自律行動するのかい」
「もはや泣いても許さぬぞ? やれ」
紅葉の言葉で分身体が一斉に白葉へと襲い掛かる。
素早い動きで避ける白葉だが、分身体は絶妙な連携で追い詰めていく。
そして一体が白葉を捕らえた。
刹那、
ドオオオオン!
分身体が爆発し、凄まじい爆発が起こる。更にニ体の分身体が突っ込み、やはり轟音を響かせて爆発した。
紅葉の必殺とも言える火炎魔法、【イリュージョン・フレイム】。
その一体一体が<狐火>を遥かに越える熱量を帯び、生き物のような自律行動で対象を追い詰めるという【オリジナル・スペル】だった。
「すぐに謝れば許してやったものを。大事な戦を前に、戦力が低下してしまったわ」
彼女とて実の弟を本当に殺すほど残忍なわけではない。今回の躾は厳しくなってしまったが、後で白葉の好物であるホーンブル・ラビットの肉でも与えてやろう。そして、甘えてくる彼を優しく諭してやるのだ。その至福の時間を考えただけで、顔がニマニマとしてしまう。
そろそろ騒ぎを聞き付けて部下たちが集まってくる頃だろう。彼らに傷を手当てさせれば、死ぬことは無いはずだ。
「<契約>する前の僕だったら、けっこうなダメージだっただろうね」
「バカな!?」
爆煙を吹き飛ばし、白葉が姿を現す。
「無傷じゃと!? しかも、その姿は・・・!?」
今日は驚いてばかりだったが、その最大級の驚きが今だった。
爆煙から姿を現した白葉。その尻尾の数が六本に増えていたのだ。
「ろ、六尾じゃと! どうなっておる!?」
「もともと四尾だった僕が<魔獣契約>で力を得たのに、尻尾の数が増えないわけがないじゃないか。バカだなぁ」
言われてみれば、確かにそうだ。
しかし、
「先程まで尾の数は四本だったではないか!」
「僕らが幻術も得意だってことを忘れてないかい? 格下の相手を騙すことなんて、わけないだろう」
「そんなバカな・・・」
こと魔法について、紅葉は絶対的な自信を持っていた。それは火炎魔法に限らず、幻術においても同様だ。事実、【イリュージョン・フレイム】は火炎魔法と幻術の混合魔法なのだから。
それなのに白葉の幻術を見破れないとは・・・
「ここまで長かったよ。姉さんが先に生まれていて、しかも五尾で。
僕は雄で四尾なんだ。姉さんがいなければ、僕が族長だったはずなんだよ」
「お、お主、そんな風に考えていたのか!?」
多尾狐の族長は、最も力の強い雄が祭り上げられる慣わしだった。
しかし紅葉の圧倒的な力の前に、満場一致で彼女を族長とすることが決まったのである。
「しばらく前までは本当に尊敬していたし、畏れていたんだよ。でも、ある方に雌が族長をしていて悔しくないのかと言われてね。その方に力を与えられてからは、我慢ならなかったよ」
「貴様ろ契約した魔族か!」
「ああ、偉大なハッシュベルト様さ」
「ハッシュベルト。その名前、決して忘れん。妾の大事な弟をたぶらかしおって・・・」
「死んじゃう人に覚えられても、ハッシュベルト様が困るだろうけどね」
白葉の魔力が上がっていく。
「なめるなよ!」
紅葉も詠唱に入った。
「さようなら、姉さん」
白葉の術が発動する!
「【フレイムブラスター】!」
赤い閃光が走り、凄まじい衝撃が周囲を震わせる。分身体のことごとくが誘爆し、光の渦が紅葉を襲った。
「おのれぇぇぇぇぇ!」
閃光は洞窟の天井を突き破り、空に向かって消えていった。
「おや、転移で逃げられちゃったか。思いの外、逃げ足が速かったね」
光の中、紅葉が転移して逃げるのを白葉は見逃さなかった。
「まあ、いっか。姉さんに何ができるわけでないだろうし。今は猿どもの始末が先だしね」
「いかがなさいましたか!?」
なかなか良いタイミングで他の多尾狐たちが駆けつけてきた。
「は、白葉様!?」
「そ、そのお姿は・・・?」
「それに、族長は何処に?」
「一度に五月蝿いな」
『!?』
白葉から発せられた威圧で、多尾狐たちは平伏するように地に伏せた。
「姉さん・・・いや紅葉はクレイジー・ゴングの襲撃を恐れて逃亡したよ」
「ば、ばかな・・・!? ぐう!」
発言した多尾狐を強めた威圧で黙らせる。
「これから多尾狐の族長は僕だよ。戦の指示も、僕がとるからね」
「う・・・ぐ・・・!」
言葉を絞り出そうとするが、誰一人として口を開くこともできない。
それは五尾姫と呼ばれ畏れられた紅葉を優に越える威圧だった。
しかも他者を屈伏させようとする強い意思を感じさせる。
「さあ、族長会議を召集しようか。新しい族長のお目見えを兼ねて、ね」
その言葉に、多尾狐たちは顔を青くするのだった。
H28.7.27
前話までの内容に合わせて修正しました。




