1話 別れ
「―――以上が、今回の神格闘争の詳細である。」
きらびやかな宮殿の奥、玉座に座っている男がそう言った。
男の隣には、2人の騎士が控えている。
―――ヴァルハラ。彼らのいる神域を、人々はそう呼ぶ。
【神々の住まう城】の2つ名の通り、この場所には最も多くの神々が住む。
玉座に座っている男は【主神】オーディン。
騎士は【勝利の神】フレイ、【雷神】トールといった。
「では、解散。」
普段より長めの会議が終わる。
「フレイ、トール。」
ほかの神々が退出し、残ったものがオーディンの側近の数名だけになったとき、主神が2人の名を呼んだ。
「はっ。」「はい。」
2人は主神の前に跪く。
「お前たち2人には、神格闘争を辞退してもらいたい。」
この言葉の意味は、主神側近の極数名しか知らない。
「わかりました。」「よろこんで。」
そして2人は迷うことなく返事をする。
唯一、主神のそばに控えている少女だけが、複雑そうな顔をした。
彼女はイズン。【黄金の林檎の管理者】という特別な神格を保有している。
複雑そうな表情をするものの、彼女は何も言わない。言える立場ではない。
「2人ともすまないな。」
そう短く、主神は詫びた。
「父上、詫びは必要ありません。」
トールがそう言い、フレイもうなずく。
「本当はお前たちこそ、“向こう側”へ行くべきだというのに。」
「御気に病む必要はありません。我らは自分の意思でこの場に残るのです。」
「…そうか。トール、この場に残る神々を集め『第一師団』を形成せよ。フレイ、同じく『第二師団』を形成し、このヴァルハラの守護を任せよう。」
『はっ。』
2人が声をそろえる。
「神格闘争の始まりは“3日後”だ。2人とも、それまでに準備を。」
それだけを言い残し、主神は玉座の間の奥へと消えて行った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「フレイ…トール…。」
主神がいなくなった後、イズンが2人に話しかける。
「なーに、こっちは心配ないさ。」
にこやかな笑顔でトールが言う。
神格闘争で神々が出払うということは、その分神々の世界の守りが薄くなるということ。いくら神々の世界だからと言って、彼らに敵がいないわけではなかった。
「上層の神々で主神がお声をかけてくれたのは我ら2人だけだ。これはとても誇るべきことさ。」
「上層の神々すら出払うということは、それだけ守りがつらくなるわ…。」
「それが父上の狙いなのだろう。」
「でもっ!今回は――――。」
悲痛なイズンの叫びを、フレイは制した。
「それ以上は、口に出すな。」
「――ッ。ごめんなさい。少し取り乱したわ。」
「気にするな。私も心配でならないことがあるしな。」
フレイが少しだけ表情を崩した。
「ああー、妹君のことか。」
「きっとあなたと離れたがらないでしょうね。」
フレイの妹はフレイヤといい、【豊饒の女神】と謳われる女神だ。
このヴァルハラにおいても、一番仲の良い兄妹と言われている。
「…。」
フレイは目を閉じると、少しだけ表情を和らげて、こういった。
「…そこにいるのだろう?ロキ。」
「おや、気づいていたのか。」
柱の影から出てきた人物はロキといい、【狡知の神】と謳われている。
「ロキ…。」
イズンがとても嫌そうな表情を浮かべていた。
フレイはそれに気にすることなく、言葉を続ける。
「ロキ、君に妹を頼みたい。」
「は?」「なっ。」
2人の驚きの声。
「いいのか?幾度となく君たちを騙してきた私に、君の一番大切なものを託すなど。」
「いいんだ。幾度となく我らを助けてくれたお前だからこそ、私の一番大切なものを託すんだ。」
そう、フレイは笑顔で答える。
「…君はいつだってそうだ。」
フレイに聞こえるかどうかという声で、ロキはつぶやく。
「ロキも向こう側へ行くのだろう?」
「…ああ、そうだな。」
「私からの“最後”の頼みだ。パートナーを見つけるまででいい。妹を見守ってやってほしい。」
ロキが急に真面目な表情をする。
「最後…か。縁起の悪い言葉だ。【勝利の神】の言葉とは思えないな。」
「やはり、こんな頼み方は私らしくないか。」
笑顔でフレイが言う。
この笑みが無理をしているものだと、この場にいる全員がわかった。
「…見守るだけだぞ。」
ボソッとぶっきらぼうにロキが言う。
「ありがとう。“親友”。」
「…ふん。」
軽く舌打ちをしてロキが去っていく。
「あのロキに頼みごとなど、よくやったものだ。」
「私とトールが神格闘争に参加できない現状では、ロキが一番頼りになるさ。それに、あいつは面倒見がいいからな。」
フレイはそう言って笑う。
「それ、ロキに言ったらすねますよ。」
「確かに。」
くくっとトールも笑う。
「ほら、行って来いよフレイ。妹君のところへ。」
「ああ、そうするよ。」
軽く片手をあげて、フレイはその場を後にした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ヴァルハラの内部、そこにフレイとフレイヤの部屋もあった。
「あ、お兄様!お帰りなさい!」
無邪気な笑顔でフレイヤが迎える。
「ただいま、フレイヤ。」
【勝利の神】という強力な1つの神格を持つ兄のフレイ。
対照的にフレイヤは【豊饒の女神】と謳われているが、保有している神格の数はとても豊富だ。美、愛、豊饒、戦い、魔法、月、そして死。
保有神格数なら主神であるオーディンさえもしのぎ、神々の中でもトップだ。
「今日の会議はどうでした?」
会議に参加していないフレイヤは兄に聞く。
「神格闘争が開始されるそうだ。」
「まあ、そうなのですか?お兄様も行くのです?」
一瞬だけ、フレイは複雑そうな表情をする。
「ああ、出場するよ。フレイヤと一緒に、ね。」
フレイヤは顔を綻ばせる。
「私もお兄様と一緒に出場できるのですか!楽しみです!」
フレイはフレイヤの頭をなでながら、言う。
「神格闘争はつらいぞ?」
「はい、わかっています。でも、お兄様と一緒なら、私は大丈夫です!」
「そうか…。」
フレイは、それ以上は何も言わず、ただいつも通りにその日を過ごした。
その日常こそが、自分の幸せだとかみしめながら。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――翌日。
「では、これより転送の儀を執り行う。」
祭壇の中央、オーディンが言う。
「参加する神々よ、前へ。」
多くの神々が参列する。
「フレイヤ。俺たちの順番は最後の方だからな。」
小声で妹に伝える。
「はい、わかりました。お兄様。」
―――それからさらに1時間。
大半の神々が姿をけし、フレイヤ達の順番が回ってきた。
「次の者、前へ。」
オーディンの声。
「フレイヤちゃん、先に行くね。」
声をかけてきたのはイズンだった。
「イズンお姉さんも参加されるのですね。一緒にがんばりましょう。」
「ええ、そうね。」
ちらっとだけフレイの方を見て、イズンは祭壇へ登って行く。
「【黄金の林檎の管理者】イズン。神格闘争へ参加いたします。」
イズンはこちらに向けて手を振りながら、光に包まれて行った。
「次は俺が行こう。」
言ったのはトールだ。
「トールさんも行くのです?」
トールは笑いながら首を振る。
「【雷神】トール。神格闘争への参加を辞退する。」
一礼し、祭壇から降りてくる。
「ほら、お前達で最後だぞ。仲良く行って来い。」
トールがフレイの背中を押す。
言葉と裏腹に、つらい表情をしながら。
「行きましょう、お兄様!」
「ああ。」
祭壇まで、仲良く手を繋いで登る。
「フレイヤから言いなさい。」
「はい!」
目を閉じて、誓うようにフレイヤは言葉を紡ぐ。
「【豊饒の女神】フレイヤ。神格闘争へ参加します。」
そんなフレイヤの頭に手を乗せ、フレイは言う。
「ごめんな、フレイヤ。」
「…兄様?」
「【勝利の神】フレイ。神格闘争への参加を“辞退”する。」
「………え?」
フレイヤの表情が凍りつく。
「辞退ってどういうことですかお兄様!」
フレイヤはフレイの元へ詰め寄る。
「私は、お兄様と一緒ならどんなに辛いことでも耐えられるって!そう思って…。なのに、辞退ってどういうことですか!!」
「………ごめんな。」
短く、フレイが謝る。
「お兄様が行かないのなら、私も―――」
「主神。妹を、“向こう側”へ飛ばしてください。」
フレイヤの言葉を遮るように、フレイは主神に向けて言った。
「…わかった。」
「お兄様!!」
フレイヤが手を伸ばす。その手をフレイは、
――パシィ。
振り払った。
「おにい、さま…。」
悲しげな表情を最後に、フレイヤは光に包まれて消えた。
「―――すまない、フレイヤ。でも、お前だけはせめて、生き延びてほしい。」
そうつぶやいたフレイの目から、1粒の滴が落ちて行った。