3.日泉の野望
夜である。
結局あの後、象のぬいぐるみ『イルザ』は見つからなかった。夜湖さんはかなり傷心だったご様子。今日は隣国の王からの贈られたお気に入りのぬいぐるみ、パンダの『カンカン』を抱いて眠るらしい。傷心を癒すために。
わたしは、と言うと夜湖さんから一室を貸し与えてもらって、今はその部屋にいる。お香の匂いがふわわんと香る中、わたしは綴じそうになる瞼をなんとか上に押し上げながら『イルザ』のことを考えていた。
あのとき、夜湖さんが象を元の大きさに戻して駆けつけた時間はあまり長くなかった。つまり、イルザは短時間に消えたことになる。そのことから考えると、誰かがぬいぐるみを奪い去ったとは考えにくい。ある可能性を除いては。でも、
「って、こんなくだらない兄弟喧嘩に魔族が関わってるはずないか」
いや、待てよ?
そういえば珍しいことに、ハーディーもゼンも、別れてから一度も姿を見せていない。普段はあれほどしつこく付きまとってくるハーディーがこれだけ姿を現さないとなると……ちょっと気になるな。
「嬢ちゃん、夜分にすまん。ここか?」
ん? 今の声は――
「ゼン、どうしたの?」
扉越しに声が聞こえた。そのまま話すのも何だから中に入れる。と、ゼンの奴は顔を赤らめながらわたしの姿をジロジロと見た。
「何よ」
「いや、そういう姿もいいなぁ……と思って」
言いながら口元に手をやるゼン。
「あぁ、この格好のことね。これにはちょっと事情があって――って、こんな時間に訪ねてくるなんて何かあったの?」
「それがだな、あの後ハルディクスの奴が日泉という奴に付き従っていてな。面白いと思わないか? あの男が他人にへりくだっているなんて……ん? 嬢ちゃん?」
わたしが頭を抱えたのを見て、ゼンが不思議そうに首をかしげる。
案の定と言うか、何と言うか。人の期待を裏切らん奴だよ、あいつは。
「イーグルとクロウのこと、あんた覚えてる? 日泉は夜湖さんの弟なのよ。今はちょっと確執があるみたいなんだけど」
厄介な事になりそうだなぁ。あいつの力の大きさを考えると、敵対するのは得策じゃない。
「で、どうして奴は日泉に従ってるの? ハーディーのことだから面白がってって言われても納得するけど」
「それが……俺にもよくわからんのだ」
むぅ、何か弱みでも握られたのか? でも、あいつに弱みなんかあるのかなぁ。
「ま、いいわ。わざわざありがとね。明日、日泉の所に乗り込むつもりだから奴に手加減しろって言っといて。念のため、日泉には悟られないようにしてくれるとありがたいわ」
「何故だ? 日泉についたってことは奴は敵だってことじゃないか。やっぱり嬢ちゃんはハルディクスのことを……」
急に真顔になるゼン。わたしはゆっくり首を横に振った。
「ゼン、あんたまで勘違いしちゃ困るわ。わたしは単に奴と敵対したくないだけ。あんな桁外れに強い奴、敵に回したらこっちの命が危ないもの」
「俺が死んでも守る」
真っ直ぐ見つめる赤い瞳にちょっと押されながら、わたしは肩をすくめた。
「バカタレ。こんなことで一々死んだりしてたら、命が幾つあっても足りないわよ。大体あんた、魔族なんだから死ぬって言うよりも、消滅するって言った方が正しいんじゃない?」
「嬢ちゃん……それはいくらなんでも冷たいよ」
自分から言い出したんでしょ。べそかくな。
「ところで、行ってくれるの? それとも行ってくれないの?」
確認すると、ゼンは慌てて答えた。
「行く行く、行かせてもらう。俺だって嬢ちゃんの役に立つことは嬉しいんだ。ハルディクスの言葉を借りるようで癪だけどな」
そこまでハーディーにこだわらなくてもいいのに。ゼンにはゼンの良いところがあるんだけどなぁ。まぁ、わざわざ口に出すようなことじゃないか。
「頼むわよ」
ゼンが姿を消すのを見届ける。
あいつが関わっているなら、多分イルザは日泉の手に落ちたのだろう。きっと明日は色んな意味で騒がしい日になるに違いない。
そう思って、わたしはげんなりと肩を落とした。
翌日。
この日は朝からどんよりとした雲の立ち込める天気だった。今にも雨が降り出しそうで、まるで今の夜湖さんの心境を写し取ったかのようだ。
「もう駄目アル。きっとイルザは瞳をくりぬかれて……アイヤーッ! 可哀想アルぅ」
頭を抱えて悶える夜湖さん。周りにいるわたし、ゼン、イーグル、クロウは呆然としている。そんな中、ゼンがポツリとこんなことを言った。
「こいつ、あまり係わり合いにならない方がよくないか?」
わたしを端とする他二名も大きく頷いた。
「ま、そんなことはどうでもいいとして、さっさと日泉のとこに行かない? こんなところで悩んでたって始まらないんだから」
「……わかってるネ。ちゃんと用意はしてあるヨ」
と、背中に背負ったリュックを見せる夜湖さん。その口からはパンダのカンカンの手がはみ出している。
「他にもこれだけあるネ」
袖から出した両手の指には、一握り大のマスコットが指の数だけぶら下がっていた。
「右から兎のルカ、亀のラン、猫のヨリ、熊の……」
「もういい、もういいわ」
まだまだ紹介し足りなさそうだったけど途中でさえぎる。このまま放っておくと際限なく紹介を続けそうだ。
夜湖さんは渋々それらをしまった。
「で、あっちには面倒なことにハーディーの奴が味方してるんだけど、何か勝算はある? 無駄死にはしたくないわ」
ゼンは戻ってきた時こう言っていた。
ハーディーの奴には何やら事情があるらしい、と。
「日泉の弱みならたくさん握っているアル」
うーん、でもそれって役に立つのか?
「ま、いいわ。けど……この一件、単に翡翠だけの問題じゃないわね? あの翡翠、確かに上物だったようだけど、収集家が目の色を変えて欲しがるほどのものじゃなかった。第一、小さすぎるもの」
わたしがそう指摘すると、夜湖さんは悪戯が見つかった子どものように項垂れた。
「アイヤー、シュミットさんは気づいてしまったアルか。そうアル。あの翡翠には秘密があるネ」
「そんなこと一言も……」
イーグルが食ってかかる。ま、真実を教えられずに働かされるのは、あまり気持ちのいいもんじゃないからなぁ。イーグルが腹を立てるのも無理もない。
「すまなかったアル。『この事は内密に』と死んだ父上に言われていたネ。この家を継ぐ者だけが口伝で教えられることアルよ」
あっさりと謝る夜湖さん。
「それを夜湖さんは弟の日泉にも教えてしまったのね」
「そうネ。日泉を信用した私がバカだったアルよ。以来、私は口伝の鍵となるイルザから目を離さないようにしていたアル。けれどイルザは……ああ! イルザっ、イルザぁ」
まったくもう。人に頼み事をするなら最初から隠し事なんかしないでよね。
「で、日泉はどこにいるの?」
「カジャル海の近くに使っていない別荘があるネ」
というわけで、早速わたし達はその別荘とやらに向かった。
もちろん、意気込んでいたのは夜湖さんだけだったのは言うまでもない。
移動手段は地道に徒歩となった。
少し離れているとはいえ、別荘が同じ街の郊外にあったこともある。こんなことにゼンの力をわざわざ借りるまでもない。
「ここ? なんかいやに寂れたところね」
薄暗くぼろっちい屋敷が、人家もまばらな場所にポツンと建っていた。白亜の壁は見る影もないほど煤けていて、朱色に塗られていたはずの柱の塗料は剥げちょびれている。青い瓦の屋根はところどころに穴が空き、雑草や苔などの培地になっていた。
「人形使いの一族は平和な時代が来てからはあまり貴ばれなくなったアル。最近は主上からもあまりお声がかからなくなったネ。数々の別荘を充分に管理するだけの財産はもうないアルよ」
そういえば本宅もやけにうらびれてたなぁ。
「人形を売ればよかったんじゃないの? アンティークのものもあるならそれなりに値段が付きそうだし、背に腹は代えられないでしょ」
わたしがそう提案すると、夜湖さんはとんでもないと言わんばかりに首を振った。
「アイヤー、それはできないアル。人形は我が一族にとって家族も同然ネ。家族を売ることはできないアルよ。にもかかわらず、日泉は口伝を聞いてイルザの目をくりぬこうとしたネ。これは許せない事アル」
真剣に切々と訴えかける夜湖さん。まぁ、理解はできないけれど、彼にとって一大事であることはよくわかった。
「で、その口伝ってのは何なの? ここまで来たら話してもらうわよ?」
「……本当に金に困ったなら象の眼を光に透かすアル。すると、財宝が埋められている地図が浮かぶのだそうネ。日泉は財宝を狙ってイルザの瞳を欲しがったアル」
財宝が眠る場所が記されているのか。意地を張らずに、それ掘り返したらいいのに。わたしだったらきっと日泉と同じことをしたと思うなぁ。
「でも夜湖様、つい先月、北区の別宅を売ったばかりではありませんか。その半分は日泉様にお譲りになったはずでは」
クロウが横から口を挟む。すると、夜湖さんは口を尖らせた。
「ちゃんと渡したネ。でも、日泉はそれをすぐに鉱物に換えてしまったアルよ」
うーん……日泉も計画性がなさそうだなぁ。
「わかりました。ところで、夜湖様の取り分はどうされましたか?」
静かに尋ねたクロウに対し、夜湖さんの表情が固まった。その様子を見て、イーグルが「おいおい」とぼやく。
「まさか私達がガルディナに行っている間に、また人形を買い足したんですか?」
クロウのこめかみの辺りがピクっと神経質そうに動いた。
「し、仕方がないアルよ。これには深い事情があるネ」
「どうせ競売に欲しかった人形が出てたとかだろ」
イーグルの言葉に夜湖さんは押し黙った。
「どうりでおかしいと思ったよ。帰って来てみれば以前働いてた奴らはほとんどいなくなってるし、給料は減らされるし……」
ははは。お気の毒としか言いようがない。
「まぁ、何というか……元気出せよ」
それまで様子を見ていたゼンが言いにくそうにそう告げると、イーグルとクロウは互いに顔を見合わせ、ほぼ同じタイミングで肩を落とした。
一段落付くと、わたし達はその屋敷の中に乗り込んで行った。行ったまでは良かったんだけど……
「何これ。ホントにこんなところに日泉がいるの?」
中はクモの巣だらけだった。まるで何年も人が足を踏み入れたことがないように見える。頭に吸い付いてくる白い糸状のそれを払いのけながら聞くと、クロウがコクリと頷いて見せた。
「日泉の密偵がここに出入りしているのは幾度か見ている」
まぁ、そういうことなら気は進まないけど探すか。でも、こんなところを埃まみれになりながら歩き回るのは嫌だな。
そう思って辺りの気配を探る。と、余りにも簡単になじみの妖気は見つかった。ハーディーの気配だ。
「いた。こっち」
どうやら奴はわたしの言付けを聞き入れてくれたらしい。普段はこんな風に自分から魔力を漂わせたりしないしね。
「ここよ」
かなり痛みの激しい、風通しの良さそうな薹製の扉の前に立ってわたしはそう宣言した。つま先から這い上がってくるような寒気が全身を包む。扉の向こうから漏れ出てくる魔力は人を不安の底無し沼に引きずり込むようだった。
息を飲み、扉を開ける。蝶番は錆びていたが、それは思った以上に楽に開いた。
壁一面に天井まで届く棚が設えられた空間がそこには広がっていた。棚のどれもに幾つもの標本箱が並べられ、さらにその一つ一つの枠の中には様々な鉱物が収められている。窓から漏れる日光に反射し、それらはキラキラと硬質的な光を床へ、天井へと投げかけていた。
えぇっと……どこかで見たような光景だな。
「おやおや、これはこれは。兄さんじゃないアルか」
日泉と思われる男は侵入者に気付くや否や、そう声をかけた。部屋の一番奥のデスクの上に座っていたその男の後ろには不敵な笑みを浮かべたハーディーが立っている。
「あんたが日泉ね」
格好は夜湖さんとあまり変わりはない。顔も結構似てるから見分けにくい、と言えば見分けにくい。ただ、髪はお団子にはせず、三つ編みにしていた。
「そうネ。そういうお前は誰アルか」
横から口を出されて、日泉が目を眇める。
「ん~……まぁ、一応夜湖さんの護衛?」
素直に答えると、日泉は警戒心をあらわにした。
「ムム! さてはぬいぐるみを取り返しにきたアルね!? ハルディクス、こいつらを束縛するアル!」
敵と認識するや否や、日泉さんはビシッとわたし達を指差した。
自分から自供するなんて間抜けにもほどがある。けれど、何というか、一々動作が芝居がかっていて、段々どうでもよくなってきた。
そんなわたしにはお構いなく、ハーディーは日泉の前に進み出た。
「レンちゃん、その格好………可愛い♪ 食べちゃいたいくらい」
……もう嫌。こいつと付き合うの。
「あんたは今現在わたしの敵なの。寝返るなら今よ。でも、そのつもりがないなら気安く声かけないでよね」
白けながら相手を睨みつけると、ハーディーは何か思いついたように口の端を歪めた。
「敵同士っていうのもなかなか燃えるシチュエーションだよね」
まるで事の黒幕であるかのようにゆったり近付くハーディー。奴は妖しい笑みを湛えながらわたしの頤をつかんだ。静電気が起きたように、肌に軽い痺れが走る。
「ふざけないで。さっさと目を覚ましてもらうわよ」
けれどわたしは奴の手を振り払い、腰の短剣を抜いた。本気でやりあおうとは思わないが、多少お灸を据えるくらいはしたほうがいい気がする。
「ハルディクス、貴様の好きにはさせん」
がしかし、その言葉を真に受けてゼンがわたしをかばうように前に出た。
ちょっと待て。こんなところでハーディーとゼンがぶつかり合ったりしたら、こんな屋敷、藁小屋同然だ。
「ストップ! 本気で殺りあったりしないでよ!?」
慌てて止めると、日泉がクツクツと喉を震わせて嗤った。
「安心するアル。殺しはしないネ。ただ、私が財宝を掘り出すのを黙って見ていて欲しいだけヨ」
自身の圧倒的有利を感じてか、その表情は余裕に満ちていた。すると、そんな日泉の態度を見て我慢の限界に達したらしい夜湖さんが、突然床をダンッと踏み鳴らした。
「日泉、お前は何故そうアルか! 人形使いの一族に生まれた者として、してはいいことといけないことがあるヨ」
眉尻を吊り上げ、声を荒立てる夜湖さん。ところが日泉にその訴えは届かなかった。
「だったら口伝は何のために伝えられてきたアルか」
「まだ私達には生きていけるだけの余裕があるネ。鉱物を収集するためだけに楽して金を得ようとするその根性、私はそれが許せないアルよ」
矢継ぎ早に反論した夜湖さんに対し、日泉は一歩も引かなかった。
「兄さんは自分ばかり人形を買っているじゃないアルか! 次から次へとよく飽きないものネ」
憤然と言い放ち、日泉は飾り棚を指さした。
「私のコレクションなんて兄さんに比べれば微々たるものヨ」
……こいつらがやってるの、単なる兄弟喧嘩だな。
「何を言うアルか。人形使いが人形を買い集めて何が悪いネ。お前こそ、一体幾らその石ころに費やしたアルか! 甚だ情けないアル」
その言葉でとうとう日泉は切れたようだった。
「ハルディクス! 何してるアルかっ!!」
日泉の叱責が飛ぶ。その言葉にあからさまに不快感を示しながらもハーディーは「ハイハイ」と投げやりないらえを返した。
どういった経緯でこいつが日泉の言うことを聞いてるのかは知らないけど、その原因が解決した後、かなり怖いことが起こりそうな気がする。
「ということだから、レンちゃん。ちょっとの間、我慢しててね?」
笑顔にもかかわらずピリピリとした空気を纏わせながらどこからともなくロープを取り出すハーディー。
わたしは逆らわなかった。逆らって下手に怪我をするのも馬鹿らしい。たかが兄弟喧嘩に巻き込まれただけなのに。
「あんた達も怪我したくなかったら素直に縛ってもらった方が徳よ?」
で、わたしたちはかなりあっさりと捕まった。まぁ、ゼンや夜湖さんはかなり抵抗したけど。
「な、何か張り合いがないアルね……ま、いいアル。兄さん、これが何か分かるアルか?」
懐からなにやら取り出し、日泉はそれをわたし達に見せ付けた。親指と人差し指でつまみ上げられたそれは美しい碧色に輝いている。
「家宝の象の人形の目に使われていた翡翠アル」
「な、なんて事を……」
がっくりと肩を落とす夜湖さんには構わず、日泉はそれを卓上にある拡大鏡の台座に乗せた。
「折角だから兄さんにも見せてあげるアルよ」
台座の傾きを調整し、白い紙をその下に敷く日泉。付属のライトを点灯すると、淡い緑色の光が紙の上に落ちた。
「ん? インクルージョン(内包物)とは別に透かし彫りがあるネ」
まとめて縛り上げられたまま、わたし達は机の上の拡大鏡を覗き込んだ。映し出された緑色の影の中には屋敷の間取り図と思しき線画と、何かを記す濃い藍の点が見て取れた。
「これが財宝の在り処アルか。今から一緒に行って埋められたものを暴くネ。さぞかし兄さんは悔しいアルよ」
クヒヒヒヒ、と笑う日泉。夜湖さんはと言うと、
「許さないアル。イルザの瞳を元に戻すネ」
未だ意見は変わらないご様子。この人も相当頑固だなぁ。
「ねえ、ハーディー。あんたどうして日泉なんかについてるわけ?」
兄弟の口論がまた始まったので、わたしはハーディーに疑問に思っていたことを尋ねた。
「それはね、レンちゃんがあまりにもつれないからさ。待つ恋もいいけど、奪う恋の方がロマンチックでしょ」
真面目に話せ。ほら、またイーグルとクロウが変な目でわたしを見てるじゃないか。
「ハルディクス、貴様――」
ゼンが何かを言いかけたが、その言葉はハーディーの言葉によって遮られた。
「俺はゼンみたいに余裕がないわけじゃないけど、できるだけ一緒にいる時間を楽しみたいしね」
で、あんなことやこんなことをするわけか。いい迷惑なんだけど。
「冗談はさておき、ホントのところはどうしたの?」
「冗談だなんて、俺はいつだって真剣なのにつれないなぁ。でも、それはな・い・しょ♪」
言いながらつんつんとわたしの鼻の頭をつつくハーディー。ホント、色々とイラつく奴だ。
「アイヤー、そっちで何話しているアルか! ハルディクス、屋敷に皆を運ぶネ。兄さんが守ったものを目の前で暴いてやるアル!!」
「はいはい」
ハルディクスは再び嫌々返事をすると、その場にいた面々を屋敷に移動させた。
ま、そんなこんなでわたし達は夜湖さんの家へと戻ったのであった。
地図の指し示す場所、それはちょうどわたしの泊まった部屋のすぐ前にある庭の辺りだった。特に目立つような風景ではなかったけれど、アクセントとして置かれていた石の周辺に日泉は目星をつけてそこを掘り出した。
何分が何十分になり、何十分が何時間になり、わたし達が雑談で盛り上がっていたとき、唐突に日泉の「あったアルっ!」と言う声が辺りに轟いた。
「これアルね。この箱の中に……」
現れ出たのは革張りのしっかりした造りの箱だった。補強の金具が既に腐食し始めていることから、かなり古いものであることがわかる。
「鍵は……こんなもの、すぐに壊れるネ」
日泉はそう言って手近にあった石を拾い上げると箱についていた鍵を叩き壊した。箱についていた鋼の錠前は脆くなっていて、簡単に壊れて地面に落ちた。
「日泉、やめるアル!」
夜湖さんが悲痛な声でそれを止める。けれど、身を乗り出しているところを見ると人一倍、中身が気になるようでもある。
「もう、遅いアルよ」
日泉は箱をわざとらしくゆっくりとした動作で開けた。蓋の裏に張られた赤いビロードの布がいやに眩しく目を射る。
「な……こ、これは……」
日泉の期待に膨らんでいた体の傾きが、失望のそれへと変わる。日泉が手にしたものはよく見ないでもそれとわかった。
「人形アルか!」
夜湖さんの顔にぐっと赤みが増す。これだけ反対していながらも、ただ中身が人形だったというだけでこれだ。何か非常に気が抜けてしまった。
「日泉さん、俺の宝物返してくれる?」
この機に乗じてハーディーがそんなことを日泉に言った。日泉の方はショックのあまりに易々とハーディーの言うところの『宝物』を奴に返した。
「ハーディー、あんたは腹が立ってるだろうけど、これ以上不幸にするのは日泉が気の毒だし、我慢しといてあげたら?」
「……ん? いいよ。俺はこいつが取り戻せただけで大満足だもん」
と言って、小さなお守り袋を見せるハーディー。
「何それ」
「戻ってきたから教えてあげる。これにはちょっと前にレンちゃんからもらった四ツ葉のクローバーが……ほら、ね?」
取り出して、押し花状態になっているクローバーをさも愛しそうにまた元に戻すハーディー。そういえば前にあげたことがあったっけ。
「『言うこと聞かなきゃ握り潰す』なんて言うんだもん。俺、不本意だけどレンの敵に回るしかなかったんだ」
そこですかさず抱き着いてくるハーディー。お決まりの動作だったので、わたしはこれをヒョイとよけた。
それまでちょこっとだけ感心していたのに一気に興が冷め、わたしは溜め息を一つ吐いた。
「結局、疲れるために海炎に来たって感じだぁ……」
ハーディーに縄の束縛を解いてもらいながらわたしは呟いた。
「……夜湖なんかに会いたいと言ったとき、俺が正気を疑ったのはこういうことだ」
ロープが解かれると同時に箱の方に走り寄って行った夜湖さんの後ろ姿を見て、わたしはもう一度、深い溜め息をつくことになった。