2.消えた象のぬいぐるみ
案内された宝物庫はいやに暗かった。窓はカーテンで閉ざされ、その透き間から漏れている日光によって、辛うじて足元がわかるくらい。一歩進むたびに闇の中で何かがキラリ、キラリと光る。
「いやに暗いのね」
思ったことを言葉にすると、夜湖さんが答えを返してきた。
「日の光に当たると色が褪せるアルよ。我が家にはおよそ12,000体の人形が保管されているネ」
「ってことは、このキラキラ光ってるのは……全部人形の目!?」
「そうネ」
背筋がゾッとしてわたしは身を縮めた。ものには限度というものがあるだろうがっ!
「何千年もの前のアンティークから現在に至るまで、あらゆる人形を世界中から集めてあるヨ。中には目から血の涙を流すものから髪が伸びるものまで――」
なくてもいいわっ!
「それよりその象のぬいぐるみってのはどれなの? こう暗くちゃ、何が何やらわかんないわよ」
「間違えたアル。こっちの宝物庫ではなかったネ」
まだこんな所がいくつかあるのか……
「夜湖様……あれは昨日、夜湖様ご自身が抱いてお休みになっていらしたではありませんか」
宝物庫の外でクロウがこめかみを押さえながら言った。
「自慢したいならそう言えばいいのによ」
続いて投げやりっぽく言うイーグル。まぁ、気持ちはわかる。
「二人とも私に仕える身でありながら意地悪アルよ」
ちょっと拗ねたように言う夜湖さん。何かやたらと気疲れする。
「ということで部屋に戻るネ。アイヤー、すまなかったアル」
しっかりしてくれ。
わたしはイーグル達と顔を見合わせると肩をすくめた。
で、今度こそわたしは象のぬいぐるみと対面した。それは布張りの、所々に繕った跡のある両手で包み込めるくらいの大きさのぬいぐるみだった。灰色だったはずの布地は茶色く変色している。ただ、その瞳だけは依然美しいままだ。落ち着いた緑色の宝石で、細かな内包物によって象の優しい視線を余すところなく伝えていた。
「日泉は鉱物マニアなのネ。我が家の人間にあるまじきことヨ」
人形マニアよりはマシだと思うぞ?
「でもさ、このぬいぐるみ。小さすぎるんじゃない? この国を救ったにしては」
「それは全く問題ないアル。ちょっと離れて見ているネ」
そう言ってわたしから象を受け取ると夜湖さんは片手で印を結んで何やら唱え始めた。
「おい、本当に離れておいた方がいぞ?」
わたしがその様子をまじまじと見ていたら、クロウがそんな警告をした。
わたしはとりあえず相手の言うことを聞いて後ろに下がった。と、同時に詠唱が終わる。夜湖さんはサッと袖からお札のようなものを取り出した。ポウッと一瞬にしてそれは燃え、灰に変わった。
「んな!?」
ずずずん、とぬいぐるみが大きくなる。天井を破り、それは勝手に歩き始めた。
「アイヤー、大きくなり過ぎたネ」
夜湖さんはそう言って、もう一度術を唱えて札を取り出そうとした。が、
「こ、困ったアル。お札がきれてるネ」
ば、ばかたれっ。ちゃんと自分の商売道具ぐらい管理しとけっ!
「クロウ、イーグル。私はお札を作るネ。その間頼むアルよ」
無責任にそう言うと、夜湖さんは自分の机に向かった。悠長というか何というか……
「レン=シュミット。この象、どうしたら良いと思う?」
呆れ笑いを浮かべながらイーグルがわたしに問いかける。
「わたしに聞かないでよ」
そうこうしている間に象のぬいぐるみは一歩前進した。
ズドオオオオオオオオン!!
すさまじい縦揺れと、打ち上げ花火の音よりも大きな音がわたし達を襲う。何とかしようとしてもどうにもできない。というか、手をだそうものなら踏み潰されかねない。
「あれ? あの象、さっきの宝物庫の方に行くわね」
そう、二歩、三歩と歩を進める象の道筋の上には先程わたし達が出て来た宝物庫があった。
「それは本当アルか!?」
夜湖さんはあわててお札を書き上げると、今度こそ象を元の大きさに戻すことに成功した。象は空気を抜かれた風船のようにシュルシュルとしぼむと終いにはポテッと地面に落ちた。
「アイヤー、大丈夫アルかぁ!?」
象のぬいぐるみの落ちた辺りに駆け出す夜湖さん。わたしもクロウもイーグルもそれをポカン、とした顔で見送った。
「なんかさ、生きるの疲れない?」
わたしがそう言うと、二人ともがっくりと肩を落とした。
「アイヤァァァァァァァァ!?」
ところが、勢いよく駆け出した夜湖さんだったけれど、現場に着いたとたん断末魔のような雄叫びを上げた。
「いない、いないアル!」
象が踏み荒らした跡をそこらじゅう転々と捜し回ってから、夜湖さんは半べそかいてこちらを見た。
「私のイルザがいないアルぅ」
……あのぬいぐるみに名前付けてたのか。
まぁ、人の趣味をとやかく言いたくはないけど、外見からすると……二十歳を越えた男がぬいぐるみ一つに右往左往する姿は正直滑稽に見える。
「はいはい。じゃ、わたしはこっち探すから、イーグルはあっち、クロウはそっちを探して」
「わかった」
溜め息交じりに頷く二人と同じく、わたしは苦笑いを浮かべた。
ホントに何が悲しくて……
「シュミットさん、本当にすまないアル」
しょぼくれた表情で謝る夜湖さん。どうもこの人、憎めないな。
「いいわよ、そんなこと。夜湖さん、あんたはお札をもう二枚用意してきて」
「お札を、アルか?」
夜湖さんの悲しみにくれた顔がキョトンとしたものに変わる。
「そっ。もう一度大きくして、またすぐに元に戻せば探す手間も省けるでしょ?」
「わかったアル」
即座に顔に広がった喜びの色に、わたしは再度苦笑した。
駆け足で自室に戻って行く夜湖さんを振り返ることなく、わたしは『イルザ』捜しを開始したのであった。