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笑ってエンジェル

作者: 愛田美月

御堂清良(みどうせいら)、五度目の破局』

『恋多き女優、御堂清良離婚』

 そんな見出しのついた女性週刊誌が、登校途中に通りかかった本屋の軒先に並べられていた。

 僕はつい足を止めて、苦々しい思いでそれを見つめる。

「おっす、モッチー」

 足を止めていた僕の肩に、どんっと誰かがぶつかった。この声は、知っている。

 僕はぶつかってきた相手を見やった。小学校の時からの友達、吉沢晴喜(よしざわはるき)だ。晴喜はいつものように、僕の着ているものと同じ中学の制服をだらしなく着崩している。

「おはよ。ってか、モッチーって呼ぶなよ」

 望月怜生(もちづきれお)っていう僕の名前をもじったあだ名で呼んだ晴喜に、仏頂面を向けた。けど晴喜は僕の言うことを聞いていないのか、別のことを口にする。

「なーに見てたんだよ。エッチな雑誌?」

 僕が本屋の前で足を止めていたのを、妙な風に勘ぐったらしい。僕は大きく溜息をついて、歩き出した。

 一拍遅れて、晴喜がついてくる。

「なぁ。モッチー」

「僕はモッチーじゃない」

 歩くスピードを上げた。慌てて、晴喜が足早に僕の横に並ぶ。

「じゃあ、怜生。どうしたんだよ。機嫌悪いなぁ。まだ朝だぜ」

「機嫌が悪くなるのに朝も昼もないだろ」

 そう言い返したとき、晴喜の苦笑いが目に入って。僕は晴喜に八つ当たりしてることに気付いた。

 小さく息を吐く。

「御堂清良、五度目の破局だってさ」

 ふてくされたような声が出た。晴喜は、聞いてはいけないことを聞いたような顔で頬を掻く。

「あ、そうか。おばさん離婚して戻ってきたんだっけ?」

 僕は唇を歪めて肯定した。

「そうだよ。コブを二つもくっつけてさ」

「コブ? なんで? ストレスで? 女優生命の危機じゃん」

 晴喜は的外れなことを言っている。

 僕は呆れて、晴喜には答えないまま、さらに足を速めた。

 恋多き女優とうたわれている御堂清良。

 御堂清良は芸名で、本名、望月梅。

 彼女は僕の母親だった。




 眠たい授業を終えて、サッカーをやろうという友人たちに断りをいれて。僕は寄り道もせずに家に帰った。

 憂鬱だけど仕方がない。

 母さんが離婚したことで、僕の生活は一変したんだから。

「ただいまー」

 ガラガラと引き戸を開けて、家の中に入る。大きな日本家屋であるこの家は、今は亡き、母方の曽祖父が建てたものらしい。

 つまりすごく古いってことだ。それなりに、修繕を繰り返しているから、廊下がぎしぎしなったりすることはないけれど。

 長い廊下を進んで、庭に面した部屋に通じる襖を開ける。

「おう。お帰り」

 棒付きキャンディーをなめながら、柱に寄り掛かるように座って、赤ちゃんを足蹴にしている金髪のヤンキーが僕に向かって手を上げた。

 顔立ちはそこらのアイドルよりよっぽど整っているのに、その眼は鋭い。

 これが僕の兄であり望月家の次男、(しょう)だった。

 僕は魚みたいに口をぱくぱく開いたり閉じたりしてしまう。

 咄嗟に声が出なかったんだ。ようやく声が出た時。その声は怒鳴り声になっていた。

「ちょっと、翔兄! ハルとカナを足蹴にすんなっていつも言ってるのに!」

 しかもこんな軒先で。ご近所さんに見られたら虐待してるように思われるだろ。

 まったく。翔兄はただでさえ目つき悪いからご近所さんに怖がられてるのに。

 座った兄の両足の下でもぞもぞと動きながら、大きな声を上げて笑っていた赤ん坊が、僕の大声に驚いたように笑いを止めた。あと二カ月ほどで二歳になる双子の弟、(はるか)奏太(かなた)。この二人が、母さんにできたコブだった。

 このコブ、もとい、双子の赤ちゃんは翔兄に虐待されている訳ではなく、足の裏で撫でられて喜んでいるのである。

「うるせー奴だな。いいじゃねぇか。ハルとカナはこうやって足で揺らしてやると喜ぶんだからよ」

 翔兄は、自分の足を赤ん坊の上から除けて、二人を右腕と左腕にそれぞれ抱きあげた。

 抱きあげられた赤ん坊は、きゃっきゃとはしゃいでいる。

「でも、ぱっと見怖いお兄さんに虐められてるようにしか見えないんだよ。翔兄。柄シャツだし」

「柄シャツの何が悪いんだよ。ったく心配性だな。大丈夫だって、家ん中なんだからよ。ほれ。ハル、カナ。レオ兄ちゃんにお帰りーって」

 言いながら、翔兄は双子の小さな腕を取って、僕に手を振らせる。

 僕を見た双子の表情が急に変わる。

 眉をぎゅっと内側に寄せ、口をへの字に曲げた。そろって、変な顔をした二人を見て、僕の顔も強張った。

「おい、怜生。そんなしかめっ面してんじゃねーよ。双子が怖がってんじゃねーか」

 眉間に皺を寄せて、翔兄が僕を見る。初対面だったらちびりそうな程の迫力だ。

 これで本人は普通に見てるだけなんだよね。僕は、長年の付き合いで分かってるけど。

「翔兄の方がよっぽど怖い顔してると思うけど」

「んだと、テメー」

 ほら、そうやってすぐ凄むし。

 僕は小さく溜息をついた。

「翔兄、今から学校だろ。早く支度しろよ。双子見てるから」

「おう。頼むな」

 そう言って、ガキんちょ二人の頭をぐりぐりと荒っぽく撫でて、部屋を後にする。翔兄は、今から学校なんだ。夜間大学に通ってる。中学でグレて、族に入り、一年でトップ……じゃなくて、ヘッドって言うんだっけ? になった兄は、何がきっかけか知らないけど数年前に更生して、今は二十二歳にして立派な大学一年生だ。

 そんな兄の跡を追って、ハルとカナがうんちょと立ち上がり、トテトテと拙い足取りでついていこうとする。

 慌てて僕は両手を広げて、二人を捕まえた。

「いーやー」

 ダブルで声を上げて暴れる二人を抱いたまま、僕は立ちあがってまた大きく溜息をついた。背中や脇腹に、双子の足や腕が当たって痛い。

 翔兄には、いつもニコニコした笑顔を向ける弟たち。でも、僕の前では、いっつも不機嫌なんだ。

 僕は弟たちに嫌われている。

 その原因がさっぱり分からなくて、僕は途方に暮れていた。




 恋多き女優と呼ばれる母親は、五度目の再婚をしてから、僕らを日本に残し、アメリカで暮らしていた。

 さびしくなかったと言ったら嘘になる。でも、僕には父親は違うけど、姉が一人と兄が二人いたし。生活費はきっちり送ってもらっていたから何不自由なく暮らしていけた。それに、末っ子として、それなりに大事にしてもらっていたと思う。

 十一歳の時、遥と奏太が生まれて、僕はお兄ちゃんになったけど。あまりその自覚はなかった。だって、母さんが送ってきた写真の赤ちゃんたちは可愛かったけど、実際に動いたところを見たことはなかったし。感慨がわかなかったんだ。

 いつものように、学校が終わったら好きなように遊んで、家に帰ったらちょっと宿題してまた遊ぶ。そんな自由気ままな生活が変わることもなかったし。

 でも、今年。

 中学一年になってすぐの五月。

 母さんが離婚して、ハルとカナを連れて日本に帰ってきたんだ。

 それから僕の生活は一変した。


 僕に向けられていた関心は全て双子の弟たちに向けられた。

 写真で見ている時は、ただ可愛いだけだった赤ん坊は、実際に会ってみるとちっとも可愛くなかった。

 僕のノートはぐちゃぐちゃにするし。宿題のプリントに落書きするし。コップは割るし、泣くし、喚くし、我儘だし。とにかく煩い。

 母さんは、母さんで日本に戻ってきて早々に仕事を始めてしまって。ほとんど家に帰ってこない。

 そりゃ、誰かが稼がないと暮らしていけないのは分かるけど。仕事があることもありがたいことだけどさ。母親が居ないってことは、必然的に家に残っている人たちが、双子の面倒を見る羽目になるわけで。

 家に残っている。つまり、中学生の僕と、大学生である兄が子守を押しつけられたってわけ。一番上の毅兄こと望月毅は社会人で、お姉ちゃんは去年結婚して家をでて、大阪に住んでいるから頼れない。


「びぃえぇー」


 ぼうっとしていた僕は、突然大きな泣き声が背後で響いて、思わず、宿題のノートに思いっきり縦線を引いてしまった。驚いて手元が狂ったんだ。

 慌てて振り返った僕の目に、積み木で奏太の頭をガンガン叩く遥が映る。

「こーら。ハル。何やってんだよ」

 立ち上がる気力がなくて、僕は四つん這いで双子のもとへ行くと、遥が手にしていた積み木を取り上げた。

「やー」

 積み木を遥の手の届かないところまで掲げて、必死にそれを取り返そうとしている遥を睨んだ。

「ダ、メ」

 区切るように言ってやると、不意に遥の大きな目が潤む。

「う、うえぇえ」

 あ、泣いた。

 泣き声がダブルになって、かなり煩い。ご近所迷惑だ。

「もう、煩い。泣くなよこんなことぐらいで、カナもやられたらやり返せよ」

 なーんて言っても分かんないかな。っていうか、やり返せっていうのは間違ってるか。

「もう、泣くなよー」

 どうしていいか分からなくて、情けない声が出た。

 僕は溜息をついて、遥と奏太の頭を撫でることにした。




「はぁ」

 ホームルームが終わって、皆が帰り支度をしている中。僕は、机に突っ伏して盛大に溜息をついた。

 また、これで幸せが一つ逃げていった。最近溜息ばかりついてるから、逃げるような幸せも、もう残ってないかもしれないけど。

 あー、憂鬱だ。

 また、家に帰らなきゃならない。

 またあの双子に振り回されなきゃならないんだ。

「あーやだ」

「何がやなんだ?」

 不意に上から声が降ってきて、僕は机に伏せていた顔を上げた。

「何だ。晴喜か」

「何だってなんだよ」

「別に」

 そう言ったあと、また溜息がついてでた。そんな僕をどう思ったのか。晴喜は一度首を傾げたあと、気を取り直したように笑顔を作った。

「今日これから、皆で野球やるんだけどさ、怜生も来るだろ?」

 誘われて、行きたいと思った。

 思ったけど、行くっていう一言は僕の口から出なかった。

 これから、翔兄は大学へ行かなきゃならないし、そうなると双子の面倒を見る人がいない。

 そう、僕しかいないんだ。

「ごめん、ムリ。弟の世話」

 晴喜が残念そうな顔を作って何か言いかけたとき。

 教室の入り口付近に固まっていた、クラスメイトの一人が声を上げた。

「おい、もう行こうぜ吉沢。最近望月、付き合い悪りぃんだって」

「そうそ。お坊ちゃんは俺達庶民とは遊べねーんだと」

 そんな風に言って、笑いあうクラスメイトたち。僕は腹が立つより悲しくなってくる。

「おーい。やめろよそういうこと言うの」

 晴喜が僕をかばってくれる。僕は晴喜の肘を指でつついた。

「ん?」

「いいって、僕は気にしてないから。皆と一緒に行けよ」

 でも。と、晴喜は躊躇うような表情を見せる。

「行けって」

 もう一度強く言うと、晴喜は決心したように頷いて、僕に「悪いな」って言葉を残すと、皆と教室を出て行った。

 これで、いいんだ。

 僕はまた溜息をついて。

 自分を納得させるように、これでいいんだと心の中で繰り返した。




 僕がただいまーって声をかけてから、靴を脱いでいたら、双子がとことこと歩いて玄関先までやってきた。

 僕が双子に目を向けると、眉を寄せて、口をへの字に曲げた変な顔をする。本来はモデルにでもなれそうなくらい愛らしい顔立ちだから、普段の顔とのギャップが凄い。

 こんな変な顔するくらいなら、部屋から出てこなきゃいいのに。

 それとも僕を誰かと間違えたんだろうか。

 例えば、毅兄(たけにい)と間違えたとか。そう考えて、長男である毅兄の大きな身体を思い出した。毅兄は僕や翔兄みたいな細身の体じゃなくて、まあ、ぶっちゃげマッチョ体型なんだ。毅兄のお父さんが元アメフト選手らしいから、きっと毅兄は父親似何だと思う。僕は会ったことないけど。

 そんなことを考えていたら、ぼうっとしていたらしい。

「おちょとー」

「いくー」

 ハルとカナが一言ずつそう言って、僕の背後にある引き戸を指さした。

 思わず引き戸を振り返った僕の耳に、足音と声が届く。

「おう、怜生。ちょうどいいや。ハルとカナ外に連れてってやってくれ」

「えー」

 不満の声をあげて、正面へ顔を戻すと、寝癖のついた金髪に手をやって頭を掻いている翔兄がいた。

「えーじゃねーんだよ。俺は今から飯作って大学行く用意しなきゃなんねーの。おまえ、お兄ちゃんだろ」


 お兄ちゃんだろ。


 その言葉が、何だが胸に突き刺さった気がした。

 そう。僕はお兄ちゃん。

 でも、だからって何でもかんでも弟たちに合わせなきゃならないんだろうか。まだ着替えてもいないし、宿題だってあるのに。

 遥と奏太の小さな顔を見下ろす。

 上目使いに僕を見る二人の口はやっぱりへの字に結ばれている。

 やっぱり可愛くない。

 僕は溜息をついた。

「分かったよ。行ってくればいいんだろ」

 僕の返事に満足したのか、翔兄はよろしく頼むと言い残し、台所へ消えて行った。

 あとに残された僕は、また大きく溜息をついた。鞄を廊下に放り投げると、遥と奏太の靴を靴箱から取り出した。

 しゃがんで二人に真新しい小さな靴をはかせると、手を引いて家を出る。




 公園や駅のある方向へ足を向けた。双子のちょこちょことした足取りに合わせてるから随分ゆっくりだ。

 三叉路にでた。

 まっすぐ行けば公園。右に行くとスーパー。

 左に行くと、駅前のショッピングモールに行ける。

「で? どこ行くんだよ」

 二人を見下ろして聞くと、二人はきょとんとした顔を左右から僕に向けた。

「あっちー」

 二人同時に声をあげ、別々の方向を指さした。奏太は右。遥は左だ。

「ムリ! どっちかにしろよ」

 声を上げると、二人は唇を突き出して不服そうな顔をした。

「もう、変な顔すんなよ! もっかい聞くぞ。どっち?」

 すると今度は奏太が右。遥がまっすぐ先を指さした。

 そろわなくてもいい時はそろうくせに、何でこういうときはバラバラなんだよ。

 僕はちょっと考えて、奏太を抱き上げると、遥の手を引いてまっすぐ先に進むことにした。

 右に行ってもスーパーしかないし、鞄、家に置いてきたからお金もない。

 ってことで、タダで済む公園に行くことにしたんだ。

 あー、どうせなら砂遊びの道具とか持ってくればよかったなー。

 機械的に足を動かしながら、ちょっとした後悔をしていた時。

 自転車に乗った女の人が、急にブレーキをかけて僕らの横で止まった。

 驚いてそちらに顔を向けると、その女の人は僕ににこやかな笑顔を向けた。

「望月君、でしょ?」

「あ、はい。こんにちは」

 よーく見て、分かった。晴喜のお母さんだ。晴喜と目元が良く似てる。

「こんにちはー。可愛いわねぇ。弟さん?」

 聞かれて頷く。晴喜のお母さんはにこにこと笑顔を双子に向ける。双子もにっこりと無邪気な笑顔を見せた。僕に向かっては絶対にしない笑顔だ。

「かーわーいい! 双子ちゃんなのね。天使みたい」

「よく言われます」

 つい、口に出た。だって、本当に見た目だけは可愛いんだよ。この二人。

 晴喜のお母さんは少し目を見開いて僕を見た後、こんなことを言った。

「ふふふー。そうよねぇ。いいわね、可愛い弟さんが居て」

 ちっとも良くないですが。

 思わず出かかった言葉を飲みこむ。

 遥が僕の手を離して、おばさんの着てるズボンを引っ張った。

「あい」

「ん? なーに」

 遥が何かをおばさんに差し出している。それはいつの間に拾ったのか、小さな丸い石だった。

「これ、くれるの?」

 笑みを浮かべたまま晴喜のお母さんが聞く。

「あげゆ」

「おい、遥。そんなのいらないって」

 小声で注意した僕に、いいからと手を上げて、おばさんは遥の差し出した石を受けとった。

「ありがとうねー。えっと、遥君で、よかったかしら」

 聞かれて頷く。

「おばさん嬉しいわー。遥くんありがとね」

 遥の頭を撫でてくれる。何ていい人なんだろう。こんな石貰ったって、ちっとも嬉しくない。むしろ迷惑だろうに。

 遥は照れたような笑顔だ。

 奏太はそれを不思議そうに見ている。

「こっちの子は、お名前は?」

「あ、奏太です」

「奏太君。可愛いー。ほっぺもぷにぷにしてるわね」

 僕に抱きあげられてる奏太の頬を、嬉しそうに指先でひとしきりつついたあと、(奏太は超とまどってたけど)頭を撫でておばさんは僕らに別れを告げた。

「じゃあ、おばさんスーパー行くから」

「はい。じゃあ」

 僕は小さく頭を下げて、歩き出そうとした。その背中に、おばさんの声がかかる。

「あ、望月くん」

 振り返ると、おばさんが少し表情を曇らせて口を開いた。

「この先の公園に行くの?」

 頷くと、おばさんはこんなことを言った。

「別の公園にした方がいいかもよ。最近あの公園。柄の悪い中学生だか高校生だかが溜まり場にしてるらしいから」

 そんなの初耳だ。

「あ、じゃあ。外から見て、そういう人居そうだったら、別のトコ行くことにします」

 親切に忠告してくれた晴喜のお母さんに頭を下げて。僕らは公園に足を向けた。




 公園は無人だった。

 おばさんの言ってた噂のせいかもしれない。

 もともと小さな公園だし、遊ぶ子も少なかったけど。

「ほら、ハル、カナ。行ってこーい」

 遥の手を離して、奏太を砂場の近くに下ろす。

 二人は砂場の中央部分まで歩くと、ちょこんと座りこんだ。

 僕は、砂場を囲っているコンクリートの縁に腰をおろして、二人を見守ることにした。

 さすがにこの年で、二人にまじって砂遊びをしたいとは思わない。

 遥は右手で砂を掴んでは、左にぽいっと投げるという動作を繰り返していた。

 ……いったい何がしたいんだろう。

 奏太は砂を手にとってじっと見つめている。砂が珍しいとでもいうかのように。

 何ともなしに、そんな奏太を見つめていると、奏太が不意に動いた。

「あー! ダメ、ダメだってカナ!」

 僕は慌てて、奏太のもとへ走った。奏太が砂を持った手を口に近付けたからだ。

 ぜったい砂を食べる気だ。

 間一髪。奏太が口に運ぼうとしていた手を掴んだ。

 驚いた奏太の顔がふにゃりと歪む。小さな手から砂がこぼれおちた。

「う。うぇ」

「泣くなー。カナ」

 僕は砂場に膝をついた格好で、奏太の汚れた手を綺麗にはたいて、また砂を食べないように抱き上げた。

 その僕の背中に何かが当たる。

 結構痛い。

 何だと思って振り返ると、遥が僕に向かって砂を投げていた。

 しかも、嬉しそうに。

 ムカツク。

「くぉーらハル! 人に向かって砂を投げるな!」

 そう言って注意すると、遥はいつもの変な顔をした。

 ホント嫌なガキ。

 何で僕、こんなガキンチョに振り回されなきゃなんないんだろ。

 あ。しかも、僕、今制服じゃないか。遥のバカ。結構頑張って汚れないように綺麗に着てたのに!

「あ! 怜生発見」

 突然声がかかって、僕は不機嫌丸出しの顔で公園の入り口に目を向けた。

「おっと、何。また怒ってんの?」

 私服姿の晴喜が苦笑しながら僕らの方へ歩みよってきた。

 野球するって言ってた晴喜が、何でここにいるんだろ。

「晴喜、野球は?」

「んー。つまんねぇから抜けてきた。人数余ってたしさ。んで、さっき母さんが帰ってきて、おまえここにいるっつうから来てみた」

 晴喜は、僕の横で膝をつくと、僕が抱き上げてる奏太に気付いてさらに笑顔になった。

 その顔はさっき出会った晴喜のお母さんそっくりだ。まあ、親子だから当たり前か。

「へー、おまえが散々憎たらしいとかいうから、どんなかと思ってたけど。相当可愛いじゃん」

「別に憎たらしいとは言ってないだろ」

 思わず反論した僕に、晴喜はにやりとした笑顔を向けてきた。

「口では言ってないけど、顔がさ。こう、眉間に皺寄って怒ったような顔してたからさ。相当憎々しく思ってんだろうなって思っただけ」

 僕は絶句してしまった。

 確かに、遥と奏太に付き合ってるとイライラするけど、憎いとは思ってなかったんだ。でも、他人からみると、そう見えるのか。ちょっと反省しなければ。

「なあ、怜生。コレだっこしていい?」

 不意に呼びかけられて、僕は我に返った。晴喜は、なぜか砂をばしばしと叩いている遥を指さしている。

「コレって、遥のこと?」

「遥っていうの? こいつ」

「ん。そう。でも、抱っこするならこっちのがいいよ。奏太の方が大人しいから」

 そう言って、僕は腕の中にいる奏太を差し出した

 晴喜は怖々と奏太を受け取ると、奏太に顔を近づけて、にっこり笑った。

 それにつられるように、奏太も満面の笑みを見せる。

「うおー。笑った。こいつ可愛いじゃん。怜生。」

 何だが少しむっとした。何で他人の晴喜には笑顔を見せるのに、僕には変な顔なんだよ。

「おい、怜生。何か怒ってる?」

「え?」

「ほら、こいつも怖がってんじゃん」

 言われて見ると、奏太がいつもの変な顔をしてこっちを見ていた。

「怖がってんじゃないよ。僕を見るときはいつもこんな顔なんだよ双子は」

「ふーん。じゃあ、おまえもいっつもそんな顔してこいつら見てるんじゃないの」

「……そ、そんなことないよ」

 た、たぶんそんなことない……はず。

 僕は息を吐くと、二人から視線を離した。

 そこで、気づく。

 あれ? 遥が居ない。

 さっきまで、そこに座ってたのに。

 慌てて辺りを見回した。

 公園から出て行こうとしている遥を目の端にとらえた。

 まずい!

 反射的に走り出そうとしたとき。遥は公園に入ってきた人とぶつかった。

 短い髪をツンツンと立てたトサカ頭。でっぷり丸い顔の中にある小さな目の中学生が、遥を見下ろした。

 ぶつかった勢いで、ぺちゃんと尻もちをついた遥は、大きな声を上げて泣き出した。

「ああ? 何だ? うっせーなガキ。ぶつかってんじゃねーよ」

 柄の悪い声が辺りに響く。

「うわっ。サイアク」

 晴喜が呟く声が耳に届く。

 遥がぶつかった相手は、僕の一年先輩に当たる、僕の学校でも評判の悪い連中の頭だ。その彼の後には、同じように制服をだらしなく着崩した仲間が三人いた。

 一瞬怖気づいたけど、僕は遥に走り寄った。

「大丈夫か? 遥。すみません弟がぶつかって」

 一応頭を下げる。その間も、遥は大きな声を上げて泣いている。あーもう。制服濡れるっていうの。

 でも、まあしょうがないか。たぶん、怒鳴られて怖かったんだろう。

 僕は遥を抱き上げて、背中をさすった。

「おい、こら。そのガキの知り合いか?」

 ドスの聞いた声で話しかけられ、僕は口をあけて相手を見た。

 今、僕、弟がって言ったよね?

 太い眉を上げ、細い目を鋭く光らせた不良がさらに声を上げる。

「そのガキにぶつかられて。足、痛くって歩けねーんだよ、おい慰謝料よこせ」

 僕はそのセリフにさらに呆れて、相手を見返した。

 それを、僕が怖くて声が出せないのだと勘違いしたのか。彼の後にいる不良仲間の一人が僕の前に立つと、僕の左肩に手を置いた。

「おい、悪いこと言わねぇからさ。有り金全部出せって。痛い目みたくねぇだろ」

 大分、泣き声が小さくなってきた遥が、ぎゅっと僕の制服を掴んだ。不良たちの悪意を感じ取ったのかもしれない。僕は腹に力を入れると、目を細めて相手を見返した。

 母さんがドラマでよくやってる、相手を見下したような表情を、ちょっとだけ意識したんだ。

「お金なんて持ってないよ。例え持ってたって払う気なんてないね。ちょっとぶつかったくらいで、足が痛いなんて、どんだけひ弱なんだよ」

 僕の反論が気に食わなかったのだろう。僕の肩に手を置いた男が、僕を片手で突き飛ばした。

 危うく倒れそうになった体を、なんとか立て直し、僕は相手を睨んだ。

「何するんだよ。赤ちゃんだっこしてるんだから。危ないだろ!」

「てめぇ、生意気なんだよ年下のくせに」

「痛い目みるかぁ?」

 口々に、僕を威嚇する不良たち。でも、ちっとも怖くない。翔兄が凄んでるときは、こんなのと比べ物にならないんだから。

「怜生! 俺、行くわ」

「え、晴喜?」

 声を掛けられて振り返ると、晴喜の後ろ姿が目に映った。公園のもう一つある出入り口から晴喜が走り出て行く。

「何だよ、おい。可哀相だなぁ、お友達に見捨てられて」

 不良の頭がそういうと、仲間が嫌な笑い声を上げる。

 こっちが笑いたいっての。トサカ頭のくせに。それがかっこいいとでも思ってんのか。

 なーんてことは口が裂けても言うまい。僕は翔兄と違って平和主義者なんだ。

「じゃ、そういうことで。可哀相な僕はこのまま帰ります」

 どさくさにまぎれて帰ろうと思ったけど、やっぱりそうはいかなかった。

 背を向けて歩き出した僕の前に、今度は坊主頭の男が立ちはだかった。通せんぼするように、両手を広げる。

 んー。どうしよう。

 とりあえず僕は、遥を地面に下ろした。ずっとだっこしてると重いんだもん。

「このまま帰れると思うなよ」

「ちょっと顔いいからって威張ってんじゃねぇぞ」

「いや、意味分かんないから」

 いつ僕が顔がいいことで威張ったっていうんだ。それに僕別に顔がいいと思ったことないし。

「とにかく、おまえ見てるとイライラすんだよ」

 トサカ頭が地団太を踏んだ。

「何だ、やっぱり足が痛いっての嘘だったんだ」

 つい思ったことが口に出た。

 やばい。

 トサカ頭とその子分たちが俄かに殺気立つ。

 と、同時に、僕は頬に強い痛みを感じて、地面に尻をついていた。

 じわじわと頬が熱くなり、痛みも増す。

 頬を殴られたんだ。

 しかも拳で。

 僕は初めての経験に、しばし呆然としてしまった。

「ばかー」

 急に大きな声が聞こえて、僕は呆然としたまま、その声の方を見た。

 そして、度肝を抜かれた。

 遥がトサカ頭の足をぼかぼか殴っていたのだ。

「痛っ。いてぇってこのっ」

「きゃう」

 あろうことか、赤頭が遥を蹴飛ばした。

 遥は一度尻をつき、勢いのまま背中も地面についてしまった。

 遥の泣き声が耳に届いて、僕は立ちあがっていた。

 今までにない怒りが僕を支配した。

「頭打ったらどうすんだよ!」

 僕はトサカ頭の襟首を掴むと、ぐっと顔を近づけて力いっぱい睨んだ。

「な、何だよ離せよ」

 狼狽した声を上げたトサカ頭。

 その声にかぶさるように、背後から大きな足音と、それ以上に大きな声が僕らの耳に届いた。

「どこだぁ! ケンカ、ケンカはどこだっ!」

 思わず振り返った先に、僕の良く見知った人物がいた。

 僕たちを見つけると、その人物はこっちに走り寄って来る。

「翔兄……なんで?」

「いや、ケンカやってるって言うから、混ぜてもらおうと思って……って、おい。その顔どうした」

 僕を赤頭から引っぺがすように離した翔兄は、僕の顎に手をかけてぐいっと傷が良く見えるように顔を右に向けた。

 ちょっと首が痛いんだけど。

「誰にやられた?」

 やばい、目が据わってる。

 でも、ま、いいか。

 もうここまできたら開き直ってやる。

「あそこの赤い変な頭した人」

 僕は翔兄に顎を掴まれたまま、赤頭を指さした。

「そうか、てめぇか」

 翔兄の周りに黒いオーラが見える気がする。ボキボキと指を鳴らして、不良達に近づいていく。

 明らかに怖気づいた不良たち。一歩二歩と後退る。

 それでも、さすがと言うべきか。

 赤頭は胸を、というよいは、ぶっくりとでた腹を突き出すようにして、翔兄を睨んだ。

「だ、だったら何だよ」

「ま、まずいって。アイツこの辺の不良締めてた奴だぜ」

「え?」

「ほら、伝説の疾風の翔だよ」

 ぼそぼそと、仲間たちがトサカ頭に耳打ちする。

「え? この辺で悪の限りをつくしたっていう、あの?」

「五千人の舎弟したがえて、バイクで大暴走した?」

「そうだよ。夜にご近所の車に大量の空き缶くっつけて回って、翌日大騒音を奏でさせたり」

「俺、よぼよぼのじいちゃんを無理やりブリッジさせたって聞いたぜ」

 何だそれ。っていうか、不良達。だんだん声大きくなってるけど。

 そして、内容がだんだんしょぼくなってる気がするけど。

「誰が、そんなくだんねぇことするか!」

 翔兄が一喝した。

 不良達は一斉に声を上げると、公園から逃げ出した。

 なんだかほっと力が抜けた。

 はーっと息を吐いて、僕はしゃがみこむ。

「良かったな。さっすが翔兄。翔兄が来たら一発じゃん」

 その声に顔を上げると、奏太をだっこした晴喜の姿が目に映る。

「あ、晴喜いたんだ」

「いたよ。ずっと! 俺が翔兄連れてきたんだろ」

 そう言われて、しゃがんだまま翔兄を見上げると、翔兄がにやりと笑う。

 なんか、ちょっとカッコいい。

 でも。

「翔兄。大学は? あと、さっきの話全部本当?」

 本当だったら、僕翔兄のこと軽蔑する。

 お爺さんにブリッジはやりすぎだよね。

「大学は休講だ。あと、そんなくだんねぇことする訳ねぇだろ。昔は荒れてたからな。俺には身に覚えのねぇことでも、全部俺のせいにされてたんだよ。俺も否定しなかったしな」

 そうか。ならよかった。

 ほっとした時、いつの間にか泣きやんで、自力で起き上がったのだろう遥が、僕の方までとことこと歩いてきた。この様子なら、怪我の心配はなさそうだ。

 遥の動きに合わせたかのように、奏太が晴喜の腕の中でむずがった。たまらず晴喜は奏太を地面に下ろす。

 その奏太も僕のところまでよちよち歩いてきて立ち止った。

 なんだろうと思って見ていると、二人がいつもの変な顔で僕を見上げる。

 一体何だっていうんだ。

「れおたん」

「いちゃい?」

 僕は目を見開いた。

 今、れおって、僕の名前呼んだ。

 そんなこと初めてで。

 一瞬耳を疑った。

 『お兄ちゃん』じゃなかったのは、多分、母さんが僕のこと『怜生ちゃん』って呼ぶからだ。

「いちゃいのぉ」

 奏太が変な顔のまま僕に聞く。

 戸惑ってる僕の横に来て、しゃがんだ晴喜がにっこり笑った。

「ほら、まーた眉間に皺寄ってるって、笑ってやれば? こいつらに」

 僕は晴喜から双子にゆっくりと視線を向けた。

 笑ってやれって。

 晴喜の言葉で、僕は双子に笑顔を向けたことがなかったことに気づく。

 じっと僕を見つめてくる双子に、僕はたぶん初めての笑顔を向けた。

「ありがと。もう、痛くないよ」

 砂のついた手を払って、双子の頭を撫でてやる。

 すると……。

 双子が満面の笑みを僕に向けてきたんだ。

 今までどんなに望んでも変な顔しかしなかった双子が。

 今までで一番と言ってもいいくらい、無垢な笑顔を僕に向けてる。

 胸がドキドキして、頬が熱くなるのが分かる。

 うわっ。

 どうしよう。

 僕は今、初めて。

 双子のお兄ちゃんで良かったと。

 弟を可愛いと、思った。




 不良に絡まれてから、数日が過ぎた。

 あの翌日、僕が『伝説の不良』の弟だという噂が、学校中に広まった。

 同じ小学校の同級生たちは大抵知っていたので、大した被害はなかったけど。

 あれ以来、あの不良たちが大人しくなったのは、翔兄効果だろう。

「翔兄! 早くしないと遅刻するって」

 僕はいつまでも、双子とじゃれてる翔兄に声をかけた。

「れおたーん」

 僕の姿を見たとたん。翔兄の腹の上に乗っかっていた双子が、僕の方に走り寄って来る。

 僕はそんな双子を両手で抱きとめた。

 双子はきゃっきゃとはしゃいでいる。

 僕はといえば『双子を見ると笑顔』が、すっかり条件反射になっていた。

「何だよ。怜生にべったりになっちゃったな」

 苦笑を浮かべた翔兄は、立ちあがって部屋を出て行った。

 支度をしに行くんだろう。

「じゃ、今から何する」

 翔兄の背中を見送って僕が尋ねると、双子は口々にこう言った。

「おちょと」

「いくのー」

 元気な声を上げた双子に、自然と笑顔になる。

 すると双子が無邪気な笑顔を僕に向ける。

 そんな些細なことが凄く嬉しい。


 今僕は、最高に『お兄ちゃん』を満喫してる。


ここまでごらんいただき、ありがとうございました。


いかがでしたでしょうか?


今回は久々の短編でございました。


今作はブログ一万ヒットを記念して募集したリクエストに、「赤ちゃん」のリクをいただいて書かせてもらった作品になります。


最初はファンタジーで考えていたんですけども、どうしても上手くいかず、結局いつものような感じになってしまいました。


一人称は苦手なんで、変な個所とかあったらすみません。

でも、この作品は一人称で書いてみたかったんですよね。挑戦です!


もしよろしければ、ご感想などいただけると嬉しいです^^


それではまた。お会いできることを願って。


愛田美月でした。


*パソコン版のみ、下にイラスト載せてます。ここまでご覧いただきありがとうございました♪

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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました! まずは双子ちゃん、とっても可愛かったです! 漫画の「赤ちゃんと僕」を思い出しながら読んでいました。主人公のレオくんは等身大の少年で、いきなり一緒に住むことになった弟…
2010/09/24 16:06 退会済み
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