第26章 Countdown5
第28章:マクロの潮目――インフレとデフレが反転させる投資の鉄則
財務省・主計局、特別審議室。
国家の新しい経済防衛システムとしての「プール論」から始まった議論は、やがて生々しい「金融市場とマクロ経済のダイナミクス」へと突入していた。
「主計官……デリバティブや株式保有が『国家の蓄財プール』としては機能しない理屈は痛いほど分かりました。ですが、そもそもインフレとデフレというマクロ経済の局面そのものが、金融市場における企業の収益力、リスクの所在、そして資産の価値を根底から変えてしまいます。
であれば、国家がどのような経済介入を行うにせよ、市場に生きる投資家たちが『インフレ』と『デフレ』の環境下でどのように投資方針を180度転換させているのか、そのメカニズムを正確に把握しておかねばならないはずです」
主席主計官は深くうなずき、手元の資料に目を落とした。
「その通りだ。インフレ(物価上昇・通貨安)とデフレ(物価下落・通貨高)、そしてそれに伴う金利の変動は、すべての金融商品の生存戦略を書き換える。株式投資、オプション、CDSのいずれにおいても、マクロ経済の局面によって方針は真逆になる。その基本構造を整理しておこう」
一、株式投資における方針の変化――「価格転嫁力」か「キャッシュ」か
「まずは株式だ。企業がインフレに強いか、デフレに強いかによって、選ぶべき銘柄やセクターは全く異なる」
インフレ局面の方針
「強みを持つのは『価格転嫁力(値上げしても売れる力)』を持つ企業、資源・エネルギー関連、不動産、バリュー株だ。コスト上昇を製品価格に上乗せできる企業が買われる。逆に弱みを持つのは、金利上昇を伴うインフレで将来の利益期待がディスカウントされるハイテク株や成長株(グロース株)だ」
デフレ局面の方針
「強みを持つのは『現金』を潤沢に持っている企業、ディフェンシブ株(食品、医薬品、通信など)、生活必需品セクターだ。景気が冷え込んでも一定の需要がある企業が好まれる。逆に弱みとなるのは、多額の借金を抱えている企業や景気敏感株であり、モノの値段が下がることで売上が減り、借金の相対的な重みが経営を直撃する」
二、オプション取引における方針の変化――ボラティリティと保険の需要
「次にデリバティブの代表格であるオプションだ。オプションの価格は、市場の『ボラティリティ(価格変動の激しさ)』や金利に強く影響されるため、戦略の組み方が一変する」
インフレ局面(高インフレ・高金利)の方針
「インフレや金融引き締めの影響で市場の先行きが不透明になり、ボラティリティが急上昇しやすくなる。オプションの売り手にとっては高い保険料が狙える一方、相場が激しく動くためリスク管理が極めてシビアになる。買い手側は、商品価格や金利の上昇に備えたコールオプション(買う権利)を活用する」
デフレ局面(景気後退・低金利)の方針
「デフレや不況が深刻化すると、市場が急落するリスクに対する恐怖から、プットオプション(下落に備える保険)の需要が急増する。市場の急落に備えてプットを買い占めるヘッジ戦略や、逆に相場が動かないことを前提としたオプションの売り戦略が選ばれるようになる」
三、CDSにおける方針の変化――信用リスクの動的変転
そして主席主計官は、最もダイナミックに方針が変化するCDSについて言及した。
インフレ局面(急激な利上げを伴う場合)の方針
「金利が急上昇すると、借入金の金利負担に耐えられなくなった『体力の弱い企業』が一気に破綻リスクに直面する。投資家はリスクの高いハイ・イールド社債や脆弱な企業のCDSについて、プロテクション(保険)を買ってリスクヘッジする方針を強める。結果として、CDSのプレミアムは高騰する」
デフレ局面(不況・売上激減を伴う場合)の方針
「モノが売れず、企業の売上やキャッシュフローが枯渇することで、景気敏感セクターなどで連鎖倒産の危険が高まる。この局面でも企業の信用リスクが跳ね上がるため、『どの企業の信用が安全で、どこが危険か』を見極めてCDSで的確にプロテクションをかけるか、あるいは売り抜けるかという高度なリスク管理が求められる」
まとめ
主計官はホワイトボードに力強く線を引いた。
「インフレとデフレでは、『お金の価値が目減りするか』『現金の価値が重宝されるか』という大前提が変わる。
株式のセクター選択から、オプションのボラティリティ狙い、CDSの信用リスクヘッジに至るまで、すべての投資方針はマクロ経済の環境に合わせて最適化させなければ生き残れない。
――市場がこれほどまでにマクロの潮目に敏感である以上、我々が構想する国家の経済政策もまた、この市場の生態系を完全に踏まえたものでなければ絵に描いた餅にすぎんのだよ」




