1章 『スタートラインのさらに後ろ』
『プロ野球』
日本のプロ野球リーグであり、国内最高峰のレベルを誇るリーグ。近年ではさらにレベルが上がり、メジャーの3Aよりも高いレベルとも呼ばれている。
そのプロ野球選手とやらになれる確率は、約0.16%〜0.2%。およそ500人に1人。
ただ野球をしてるだけじゃもちろん、強豪のスタメンになって注目選手になったからと言ってなれるものではない。そして初心者なら言わずもがな。
──その数字は、遠い世界の話だった。
500人に1人。
0.2%。
画面の向こうで笑っているプロ野球選手は、まるで別の生き物みたいだった。
だがその日、テレビの前でそれを見ていた少年は、一つだけ違うことを考えていた。
「俺もこの人達みたいに、なれるのかな」
──いや。
正確には、こうだった。
「どうやったら、あそこに行けるんだ?」
その疑問の答えは、まだ誰も教えてくれなかった。
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そしてその答えとは、まるで関係ない場所で。
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「おい!松本!こっちパスだ!!」
響き渡る声。
気持ちよく鳴るサッカーボールの音。
勝てば全国大会が決まる試合の熱気。
だが、その熱の中心にいるはずの少年は、別のことを考えていた。
(いや……ここでパスは違う)
(得点の確率を上げるなら、自分で行くべきだ)
「松本!早く出せよ!」
(これが最後の試合だ)
(ここで勝てば全国)
(ここで勝てば──)
(いや、、ここで負けたら)
(俺はサッカーをやめられる)
その言葉だけが、やけに鮮明だった。
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「悪い、新西」
「これからの人生かかってるんだ。未来は俺が決める」
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全力でグラウンドを駆ける松本。
ドリブルは鋭く、まるで稲妻のようだった。
(ゴールエリアまで運べた)
(ここが……別れ道だ)
(俺は、、サッカーが嫌いな訳じゃない。なんなら好きだよ)
(でも⸻俺が求めてる熱狂はこれじゃない)
(試合に負けたい訳ではない、ここまでついて来てくれたみんなに悪いとは思ってる。それでも、勝ちたいと思う訳でもない。)
(俺はどうしたい、俺はどこに行きたい?)
その時、足が一瞬止まった
そこにすかさず相手はボールをクリアする。
それと同時に、、
ピー!!
試合終了のホイッスルが鳴る。
辺りが一瞬静寂に包まれた後、歓声が鳴り響く。
(あぁ俺達は負けたのか、、)
(いや、、負けたのは俺だ)
相手チームのゴールエリアまで突っ立ったまま足が動かない。
(俺は今...どこに居るんだ?)
(どこに居たいんだ?)
視界が揺れ、目から涙が溢れそうになった
でもその理由は分からない
(これは負けたからじゃない)
(じゃあ、、なんなんだ?)
しっかりとした答えは出ない
ただ一つだけハッキリとしていた
(俺の居場所は、、ここじゃない)
サッカーの試合が終わったあと、しばらく動けなかった。
足は鉛みたいに重くて、呼吸だけがやけにうるさい。
歓声はもう遠い。
勝ったチームの声も、負けた自分たちの声も、全部ぼやけていく。
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(ここじゃない)
そう思ったまま、グラウンドを出た。
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更衣室に向かう途中だった。
誰かがつけっぱなしにしていたテレビが、廊下の隅で光っていた。
最初は、ただのニュースだと思った。
でも──
そこに映っていたのは、さっきまでの世界とはまったく違う景色だった。
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白いユニフォーム。
広すぎる球場。
満員の観客席。
そして、乾いた打球音。
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「カキンッ」
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一瞬で、音だけが頭に残った。
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(……なんだ、これ)
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ボールが、空を裂いていく。
外野手が走る。
観客が立ち上がる。
そのすべてが、スローモーションみたいに見えた。
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「ホームラン!!」
実況の声が遅れて届く。
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歓声が爆発する。
なのに、不思議と耳にはうるさくない。
むしろ静かだった。
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(……同じ“球技”なのに)
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さっきまでの泥臭いグラウンドと違う。
さっきまでの迷いと後悔とも違う。
ただ一つだけ、はっきりしていた。
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(これ、なんだ……)
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誰かが通り過ぎる。
「今日のプロ野球、すげぇな」
そんな一言が流れていく。
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プロ野球。
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その言葉だけが、やけに引っかかった。
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(昔アイツキャッチボールとかしてたよな、、)
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テレビの中の世界。
500人に1人の世界。
別の生き物みたいだった世界。
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でも今は、違った。
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(……これを“やる”人間がいるのか)
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さっきまで「遠い」と思っていたものが、
少しだけ「現実」に変わった瞬間だった。
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そのとき、ふと気づく。
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さっきの試合の“迷い”が、頭から離れていない。
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(俺は、どこに行きたいんだ)
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答えはまだ出ていない。
でも──
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テレビの中の打球音だけが、やけに残っていた。
そして月日が経ち、、高校生に成った。
俺はサッカーを辞めた
両親との昔からの約束だった。
中学までサッカーをすれば後はなにをやっても良い、だからそれまではサッカーをやれと。
今思えばふざけた約束だった
そのせいで高校の野球部に入る事も出来ない。今から野球をするには荷が重すぎる。
何をするにも、今からじゃ遅かった
放課後。
校舎の中はもうほとんど人がいなかった。
部活の掛け声だけが遠くで響いている。
その声が、やけに遠かった。
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松本少しイライラしながら校門を出て、そのまままっすぐ家には帰らなかった。
代わりに向かったのは、誰もいない公園だった。
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ベンチが一つだけある、小さな公園。
遊具は錆びていて、砂場には雑草が生えている。
昼間なのに、人の気配はほとんどない。
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(ここなら、誰にも見られない)
そう思った。
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カバンの中には、今日買ったばかりの道具が入っていた。
貯金を崩して買った、木製バット。
新品のグローブ。
そして硬球。
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重い。
でも、それが少しだけ嬉しかった。
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(これで、やっと始められる)
そう思った瞬間、少しだけ胸が熱くなった。
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バットを握る。
素振りを一回。
風を切る音が、やけに大きく聞こえた。
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もう一度。
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そのときだった。
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「……その構え、初心者?にしては悪くないな」
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声がした。
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心臓が一瞬止まる。
振り返る。
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ベンチに、男が座っていた。
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年齢は……たぶん20代前半。
ジャージ姿。
どこか力の抜けた座り方。
でも目だけが、妙に鋭い。
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松本は反射的にバットを握り直した。
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「誰ですか、あなた?」
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男は少しだけ笑った。
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「ここ、たまに来るんだよ。静かだからな」
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「で、お前は?」
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松本は言葉に詰まる。
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「……野球、やろうと思って」
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言った瞬間、自分でも少しだけ違和感があった。
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男は少しだけ目を細めた。
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「へぇ」
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バットを見た。
グローブを見た。
そして最後に、松本の目を見た。
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「その感じだと、今日初日だろ」
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「……なんか悪いすかね」
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「いや」
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男は立ち上がる。
ゆっくりと近づいてくる。
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「むしろ、ちょうどいい」
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松本は一歩引いた。
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男はバットの先を軽く指で弾いた。
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「それ、まともに振れるようになるまで結構かかるぞ」
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「……知ってますよ」
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即答だった。
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男は少しだけ笑った。
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「いいな、その目」
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一瞬、沈黙。
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風が吹く。
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男はベンチの方に視線を戻したまま言った。
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「でもな」
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「プロ野球って、そんな簡単な世界じゃないぞ」
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その言葉だけが、妙に重かった。
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松本はバットを握り直す。
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(知ってる)
(500人に1人だろ)
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でも口には出さない。
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男は少しだけ間を空けてから、続けた。
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「……昔、信じてくれるか分からないけど俺、、プロ選手だったんだぜ?」
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「怪我して、やめたけどな」
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その言葉で、空気が少し変わった。
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松本は男を見た。
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「今は?」
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男は軽く笑った。
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「今はただの暇人」
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でも、その言い方は嘘っぽくなかった。
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ベンチに戻りながら、男は言った。
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「まぁ、振ってみろよ」
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「見ててやる」
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松本は一瞬だけ迷ってから、
バットを握り直した。
(俺の野球人生はここからだ)




