第一話 元勇者受付嬢のはじまり
「ミサー! 薬草採取の報酬頼むー!」
「はいはい、今行きます」
朝から騒がしい冒険者ギルド『銀麦亭』。
木造の建物に響く声を聞きながら、私はカウンターの奥から顔を出した。
私の名前はミサ・レイン。
二十歳。
職業は冒険者ギルドの受付嬢。
趣味は読書と昼寝。
最近の悩みは給料日前になると財布が軽くなること。
そんな、ごく普通の受付嬢だ。
……ということになっている。
実際には違う。
本当の名前は神代美咲。
異世界から召喚された勇者。
三年前に魔王を倒した張本人である。
もちろん誰も知らない。
知られては困る。
だから私は今日も笑顔で受付をする。
「薬草十束ですね。品質良好。銀貨三枚です」
「おう、ありがとう」
冒険者が報酬を受け取り去っていく。
私は帳簿に記録を書き込んだ。
平和だ。
実に平和である。
私はこういう生活が好きだ。
命懸けで戦うよりも、薬草の査定をしている方がずっと良い。
本当に。
心の底から。
「おい、ミサ」
奥から低い声が飛んできた。
ギルドマスターのガルドだ。
元S級冒険者。
筋肉の塊みたいなおっさんである。
「なんです?」
「昼飯まだか」
「まだ十時です」
「腹減った」
「我慢してください」
ガルドは不満そうな顔をした。
この人は昔からこんな感じだ。
私が勇者だった頃から。
そう。
この人は知っている。
私の正体を。
そして、私がここにいる理由も。
◇
魔王を倒した後。
私は元の世界へ帰れなかった。
帰還儀式は失敗した。
原因は誰にも分からない。
神官たちは謝った。
王様も謝った。
私は泣いた。
でも、どうにもならなかった。
だから私は諦めた。
この世界で生きていくしかないのだと。
その時までは。
問題はその後だった。
魔王がいなくなった。
世界は平和になった。
そして貴族たちが暇になった。
「勇者殿を我が家に」
「ぜひ娘との縁談を」
「我が派閥に加わっていただきたい」
「王国軍顧問への就任を」
「領地を献上します」
毎日毎日。
朝から晩まで。
会食。
舞踏会。
面会。
縁談。
政治。
派閥争い。
私は嫌になった。
魔王軍との戦争の方がまだ単純だった。
敵を倒せば終わりだったから。
だが貴族は違う。
笑顔で近付いてくる。
そして面倒臭い。
とても面倒臭い。
だから逃げた。
ある日突然。
王都から。
何もかも放り出して。
◇
結果から言う。
失敗だった。
私は世間知らずだった。
勇者だったけど世間知らずだった。
野宿を甘く見ていた。
所持金は尽きた。
食料も尽きた。
仕事もない。
身分証もない。
知らない土地。
知らない町。
知らない人々。
気付けば私は森の中をふらふら歩いていた。
三日まともに食べていない。
四日目には草を食べようか本気で悩んだ。
勇者なのに。
世界を救ったのに。
餓死寸前だった。
そして――
道端で倒れた。
情けない話である。
◇
「おい」
声が聞こえた。
「……」
「死んでるか?」
「死んでません……」
「そうか」
薄く目を開ける。
そこにいたのは大男だった。
無精ひげ。
傷だらけの顔。
大きな斧。
どう見ても怖い。
しかし、その顔には見覚えがあった。
「ガルド……さん……」
「ん?」
相手が目を丸くする。
「お前……」
しばらく見つめ合う。
そして。
「勇者じゃねぇか」
第一声がそれだった。
◇
その日の夜。
私は銀麦亭で死ぬほどご飯を食べた。
パン。
スープ。
肉。
パン。
スープ。
肉。
パン。
スープ。
肉。
「落ち着け」
「無理です」
「誰も取らねぇ」
「信じられません」
「どんな生活してたんだお前」
ガルドは呆れていた。
私は泣きながら食べていた。
本当に死ぬかと思ったからだ。
◇
事情を聞いたガルドは一言だけ言った。
「王都の豚どもか」
その顔は本気で嫌そうだった。
「知ってたんですか?」
「あいつらは昔から変わらん」
ガルドは鼻を鳴らした。
「戦争中は安全な場所で偉そうにしてやがる」
「……」
「終わったら英雄の取り合いだ」
私は思わず笑ってしまった。
久しぶりに。
心から。
「どうする?」
ガルドが聞いた。
「帰る場所あるか?」
私は首を横に振った。
ない。
日本には帰れない。
王都には戻りたくない。
行く当てもない。
するとガルドは当然のように言った。
「じゃあここに住め」
「え?」
「受付嬢足りねぇんだ」
「そんな理由ですか」
「十分だろ」
確かに十分だった。
◇
それから二年。
私はミサ・レインという名前で生きている。
勇者ではない。
受付嬢だ。
給料は安い。
残業もある。
だが平和だ。
それだけで十分だった。
「ミサー!」
「今行きます!」
冒険者に呼ばれ、私は席を立つ。
窓の外では子供たちが遊んでいる。
空は青い。
風は暖かい。
平和だ。
私は少しだけ微笑んだ。
――世界を救った後に手に入れたものが、この平凡な日常だったとしても。
きっと悪くない。
そんな気がしていた。




