「冤罪だというなら証明して見せろ!」「殺してないのが証明です」
4月、5月と拙作が電子書籍として刊行されました。ありがとうございます!
詳細は下部にてまとめてます。
煌びやかなシャンデリアの下、卒業記念パーティーは華やかな熱気に包まれていた。
音楽。
笑い声。
グラスの触れ合う音。
その中心で、王太子クライヴは、まるで舞台役者にでもなったかのように高らかに声を張り上げる。
この世の全ては自分中心で回ってる、そう思い込んでいるような力強さがあった。
「――公爵令嬢セレイナ・フォン・クラウゼル! お前との婚約を破棄する!」
ざわり、と夜会場が揺れた。
クライヴの腕には、勝ち誇ったような笑みを浮かべる男爵令嬢がぶら下がっていた。誰の目にも明らかなほど、彼女は王太子へ身体を寄せて。
「セレイナ様は、私へ陰湿な嫌がらせを繰り返していたんです……っ」
震える声。
潤んだ瞳。
庇護欲を誘う、完成された弱者の演技。
対して名指しされた公爵令嬢は、ただ静かに立っていた。
氷の令嬢。
そう陰で囁かれる女は、非難の視線を浴びてもなお、表情ひとつ変えない。
その態度が、クライヴの癇に障った。
「何か申し開きはないのか!」
苛立ちを隠さぬ声に、リリアーヌはゆっくりと瞬きをする。
「冤罪ですので」
「……は?」
あまりにも淡々とした返答に、クライヴの顔が引き攣った。
何も動揺などしていない、いつもの凪いだ顔が変わらずそこにある。その顔が、クライヴはとても――嫌いだった。
ずきんずきん、と頭が怒りで割れるほど痛くなる。
「ならば証明してみせろ!」
頭痛を堪えながらも、それでも威勢だけはよく大声を張り上げる。
並々ならぬ様子の王太子の姿に、会場が静まり返っていく。彼は、憎き敵を見定めるように、公爵令嬢を見据えていた。
誰もが、そんな王太子に対する氷の公爵令嬢が、取り乱す瞬間を待っていた。
しかし、彼女は小さく溜め息をついただけだった。
まるで出来の悪い生徒を相手にする教師のように。
「簡単なことですわ」
そして、男爵令嬢へ視線を向ける。
「その方が、今なお生きていることです」
「な、に……?」
「公爵家と王家の結びつきを強めるための王命の婚約。仮に王太子殿下がその男爵令嬢を選んだとすれば、その障害となる人間を、我が家が本気で放置するとお思いで?」
会場が静まり返る。
一人、最早気だるげとも取れるように息をついた彼女は、静かに首を傾げる。
「仮に嫌がらせがあったとしても、少なくとも我が公爵家の手によるものではありませんわね」
「なっ……!」
「だって」
その瞬間、彼女は初めて薄く笑った。
冷たく。
美しく。
そして、どうしようもなく恐ろしく。
「公爵家であれば、殺します。嫌がらせなど細かいこと、わざわざするまでもないでしょう?」
誰も、声を出せなかった。
クライヴが唇を震わせて、よろ、と体を仰け反らせる。その拍子に、男爵令嬢の手が外れた。だが、男爵令嬢はもうか弱い女を装って、王太子にしなだれかかることもできない。
ただ、臣下が慈悲を願うように王太子に救いを正しく求める青い顔があった。
貴族社会のピラミッド、公爵家に君臨する令嬢と、最下層の男爵家に生まれた令嬢。何を以て同じ舞台に立って渡り合えると思っていたのか。
持って生まれたものが違う。知略の立て方が違う。土台が、違う。
自分の手元にあるのは、王太子の愛という普遍的ではないものしかないということを、やっと今、彼女は理解した。その愛だって、果たして続くかはわからない。だって彼は、王太子は学園生活を始まる前までは、仲が非常に良好でお互い研鑽しあっていたという公爵令嬢を捨て置いた。人が変わったように、たまたま出会った市井育ちの男爵令嬢にいれあげて、成績をもどんどん落として愛に殉じたのだ。
愛が彼を変える。
そして、男爵令嬢に向けた愛を今度は捨てれば、……その時捨て置かれるのは、当然――。
男爵令嬢はよろめいて、やっと現実を直視したかのような顔をした。
クライヴは頭を押さえて、蹲り、苦悶の顔を浮かべている。
その二人を順に見てから、セレイナは大きく息をついた。
カツカツ、と彼女にしては大きな足取りでクライヴへ向かう。クライヴは、彼女を捉えた瞬間、怯えたような顔をした。それに、セレイナは優しく――笑う。殊更柔らかく。
クライヴの目が、見開かれていく。
彼女は蹲ったクライヴの元に屈み込み、そっと耳元に顔を寄せた。
「さあ眠れる王子様。夢の時間は終わりですよ。いい加減、現実に戻ってきてくださいませ」
――セレイナが、小さく小さく、毒のように言葉を落とす。
その瞬間、クライヴの視界がぶれる。一瞬強く、世界が白ばんで、そして耳には確かにパキンと、何かが割れる音がした。彼の目が一度、限界まで見開かれ――そして、耐えきれず、彼の意識は失われた。
◆◇
「手間をかけたな、セレイナ」
そう言いながら、公爵家のガゼボで優雅な手つきでティーカップを持ち上げるクライヴに、セレイナはため息をひとつついた。
苦笑して、言葉では謝罪の言葉を口にしているが、思ったほど反省の色はない。
「いくら信頼している側近といえど、油断しすぎるのはよくないですわよ、殿下」
「ああ。父上にも大分絞られたよ」
「当たり前です」
ピシャリと言ったセレイナに、クライヴは肩を竦めさせた。
氷の令嬢、セレイナ・フォン・クラウゼル。
神童と名高かった王太子、クライヴ・ディーン・ガルシア。
彼らの婚約は幼い頃に整い、政略といえど仲は良好であった。お互い感情を出しすぎることはない、国のため、家のため、民草のため。その共通した思いは彼らは同じ強さで持っており、だからこそ同じものを見て、穏やかな信頼関係を築いていた。
盤石な縁組。枠を外れない模範的な二人。それらは好意的に見られていたはずだった。
だというのに、敷かれたレールを歩き、声を荒げることもできない。自分で婚約者も選ぶことができないのは可哀想だと、彼の乳兄弟の一人が暴挙に出たのだ。
故に、彼はクライヴに反転の魔法をかけた。
学園入学前に掛けた魔法は、魔女一人の命を犠牲にしただけあり、強力な呪いとなり、クライヴの在り方を歪めた。
乳兄弟である側近は、「やっとクライヴ様が自由になられた!」と歓喜し、「やはり規範的すぎるセレイナ嬢ではあのような殿下を引き出せなかったのだ!」と狂ったように笑っていた。己の罪を最後まで理解しない、謀反者であった。
セレイナはぎゅ、と噛んでしまった口元をそっとティーカップで隠す。
表情は変えていなかったはずだが、長年の付き合いであるクライヴはセレイナの小さな機微にすぐに気づく。
少しだけ、嬉しそうに頬を緩めるクライヴの視線から、セレイナは逃げるように目を背ける。――公爵令嬢として、感情を荒げそうになる時の、彼女の癖だった。
その、理性で抑えた表情がクライヴはとても――好きだった。自分と同じものを見据えている、そんな得難い女性が婚約者として出会えた喜びを感じるからだ。
ふと沈黙が場を満たす。
公爵邸の庭園は、王都でも指折りの美しさを誇っていた。
手入れの行き届いた芝生は柔らかな緑を広げ、白薔薇のアーチには春風がそよぐたび、甘やかな香りがふわりと漂う。庭園中央に建てられた白亜のガゼボには蔦薔薇が絡み、午後の日差しを程よく遮っていた。
その中で、セレイナとクライヴは静かに紅茶を口へ運ぶ。
銀のティーセット。
薄く透ける白磁のカップ。
三段スタンドには、小ぶりなケーキと焼き菓子が並んでいた。
数年前ならありふれた光景。ただ、このお茶会はクライヴが戻ってきてくれて、初めての場だった。
――在学中に評判を落としたクライヴだが、男爵令嬢を囮に使った、貴族社会の上下関係に対する啓蒙をはかるための演技だった、でなんとか押し通せる、だろうか?
王家の情報戦で、ある程度統制しなくてはいけない。
軽い問題とは思えないが……、しかしクライヴが真に戻ってきたのなら、優秀な彼のことだ。
実績を以て、次第に悪意を跳ね返せるだろう。
そう算段をつけているセレイナが、意味もなくテーブルへ目を向けていると、ひとつクライヴが息を吐いた。
「解呪に随分尽力してくれたという。すまなかった、……セレイナ」
父王から、側近の呪いを浴びても尚、王太子という座から彼を降さなかったのは、セレイナの必死な陳情があったからだと聞かされていたのだ。
この学園生活が終わるまでには必ず成果をあげる、だからまだ待ってほしい。そう、王に何度も頭を下げたと。
真正面からクライヴは頭を下げた。
その姿にセレイナが目を見開いて、――それから、堪えきれずその瞳に涙を浮かばせた。ぎりぎり、溢れはしなかったけれど。
怖かった。クライヴが違うものになったことが。
悔しかった。クライヴの外側を被ったモノが男爵令嬢に触れるのが。
早く、――早く、彼を取り戻したかった。
そのためには、徹底的にあの醜悪なクライヴを叩き潰す必要があった。吐き気がしようと、男爵令嬢を感情任せに始末する前に、舞台装置として使ってやることを思いついたのだ。
元より、ありもしない大望を抱き、人の婚約者を正規のルートも辿らず稚拙な愚策のみで向かってきた男爵令嬢だ。良心など痛みはしなかった。
そして、やっと……彼は帰ってきた。
クライヴが。
「……お姫様役を、あなたがとらないでください。それは私の席のはずですよ」
「ああ、悪かった」
クライヴがセレイナの手を取って、撫でる。
その労いが伝わる優しい手つきに、ついにセレイナは一筋だけ、涙をこぼすのだった。
少しして、二人は庭園を回ろうと席を立った。
午後の陽射しがやわらかく庭園を照らし、石畳の小径へ木漏れ日を落としている。噴水の水音は穏やかで、遠くでは庭師たちが低い声で作業の相談をしていた。
セレイナは日傘を差し、その横をクライヴがゆったりと歩く。
白薔薇。
青いデルフィニウム。
淡い薄桃色の芍薬。
咲き誇る花々の間を抜けるたび、香りが静かに移ろっていく。
「……そういえば、あの側近はどうなった?」
ふと、クライヴが口を開く。
不自然なほど、側近の処遇については聞かされていない。ただ、重苦しく父王は「王家が手を出す前に姿を消した」とだけ言った。
普通なら、悪意がないといえど王太子を害しておきながら放置はありえない。
しかし、王家は側近の足取りを追うことすらしていないのだ。
だとすれば――ある程度、彼の罪は裁かれている。王家ではなく、何者かによって。
セレイナはクライヴをちらりと見上げてから、実に優しく、……子供を寝かしつけるような声色で囁く。
「殿下を思い遣ってのことと理解してます。……殺しては、いませんよ」
そう言って艶やかに笑う婚約者の顔。
クライヴは耐えきれず、くつくつと笑いながらその顎に手をかけて、そっと唇を寄せるのだった。
end.






