第8話 高所
トールの巨大な肩。視界いっぱいに広がる獣皮マント。
「えっ!?...」
言葉が出るよりも早く、身体が持ち上がり、視界が急上昇!
「うわぁっ!」また情けない声。こんなの雪乃に聞かれるのは嫌だ
完全に不意打ちだ。
トールの腕が俺を軽々と担ぎ上げている。高い。
足元の雪原が一気に遠ざかった。
足場の悪い屋根の端っこで、下を見下ろすような恐怖!
「ちょ、ちょっと待って!」必死に抗議する
でも声が上ずってしまう。
「座っていれば良い」トールが即答。自信満々
いや、そういう問題じゃない!
高さが、感覚が、いろいろと無理だ!
視線の端...雪乃。
彼女も持ち上げられる。細い身体がふわりと宙へ浮く。
「え...っ」小さな悲鳴
珍しく、そしてひどく動揺している。
ああ、もう嫌だ、視界が別世界。高過ぎる!
雪原が広がる。果てが見えない白。
さっきまで立っていたはずの地面が、はるか下に。
息を呑む。怖い。
トールの広い肩幅とはいえ、人間が安心して座れる場所ではない。
動き出したら即転落するに決まってる!
「いやいやいや、無理無理無理!」
視界が揺れる。
横の雪乃も同じ状況になっていた。トールの顔の向こう側。
体がガチガチに固まっているのがわかる。
「白崎さん!」声をかける
返事が無い
いや、できないのだな。
顔が明らかに青ざめている。
そりゃそうだ。この高さはダメだ。無理!足がすくむ。
「降ろして!」雪乃が叫ぶ
声がかすれている。
トールが僅かに首を傾げる。
その動きだけで、こっちの体勢が崩れる。
落ちる!
やめろ怖い。
「何故だ」
なんで不思議そうなんだよ!
「怖いから!」即答してしまった
理性より本音が先。
「怖い?」巨大な男は心底理解できないという顔をした
「落ちぬようにつかまれば良い」
違う。そういうことじゃない
高さが怖いんだよ!
「自分で支えないといけないし...とにかく怖い...」必死に説明を試みる
だが、思うように声が出ない。
その時、
「...無理」
雪乃が息も絶え絶えに小さな声で言った「これ、無理」
トールがしばし黙る。珍しく考えている気配。
そして、
「むぅ...」低い唸り
次の瞬間、巨大な腕が動き体をつかまれた。
「うわっ!?」体が持ち上がる
そして横方向に。
「ぐえっ」
潰れる!呼吸が止まる。
トールの左腕に閉じ込められた。
あ、雪乃がこっちに!
俺と雪乃はまとめて抱え込まれた。
雪乃が近過ぎる!という問題ではない。
ほっぺたとほっぺたが激しく合体。
圧が、圧迫が...
「く、苦し...っ...!」必死に声を絞る
胸が押しつぶされる。
「う...ぎ...」雪乃の口から変な声が漏れる
限界を超えてる。
「...む?」トールは腕の中を覗き込み、
困惑した声で「苦しいのか?」
真顔だった。
「潰れ、ま...す...!」雪乃の苦悶のうめき
巨大な腕が緩む。
助かった...
雪原へ降ろされる。
相変わらず足元の雪は踏み応えが変だ。
トールが腕を組む。
巨大な男が悩んでいる。
「乗れぬ」
「抱えられぬ」
「どうすればよい」
その時、「あの...」雪乃の声。遠慮がち
わずかにためらいの響き。
トールの視線が雪乃を見下ろす。
雪乃が怯んだ。
それでも「マント」と声を出す。
「む?」トールが眉間に皺を寄せる
「その...」言葉を探す雪乃
視線がトールの肩へ向く。
焦茶色の獣皮の分厚い毛皮、巨大なマント。
「それ...」少しだけ言い淀む
なぜか雪乃の頬が僅かに赤い。気のせいか?
「使えませんか...?」
「使う?」
「はい、その...袋みたいにして」
なんだか非常に言いにくそうだ。
そして、俺は理解してしまった。
あ...これ賢いやつだ。
雪乃はマントの裾を指さした。おずおずと。
「めくって...前で結べば...」
トールの視線がマントへ落ちる。
そして、数秒の静止。
トールが目を瞬かせた。
「なるほど...」低くつぶやいた。納得した声
次の瞬間。
マントが持ち上がった。広い毛皮が豪快に舞う。
「おお!そうか、これは良い」
にわかにトールの機嫌が良くなった。
マントの裾がまくり上げられ、両端が前へと引き寄せられる。
分厚い毛皮がきしむ。
そして、グイッと胸元で結ばれた。
「入れ」
いや、ちょっと待って。
心の準備が。




