第4話 数字のない人たち
第四話です。
寿命は、減ったままだ。
【寿命:残り344日】
洞窟の奥で、俺は苔の再生を待っていた。
踏み荒らされた床は、まだ湿っている。
苔は強い。だが、時間が要る。
時間。
俺にとって、それは数字だ。
減っていくもの。増えたり、奪われたりするもの。
だが――
人間にとっての時間は、違うらしい。
⸻
その日、洞窟の外に、見慣れない気配があった。
足音は軽い。剣の音もしない。
警戒しながら覗くと、
一人の人間が、岩に腰掛けていた。
若い。
冒険者だろうが、鎧は簡素で、
剣も腰に下げているだけだ。
「……出てこないのか?」
声がした。
こちらを見ている。
俺は一瞬、迷ってから、姿を現した。
「キュル」
相変わらず、情けない鳴き声だ。
人間は、俺を見て笑った。
「噂どおりだな。弱そうだ」
訂正してほしいが、
否定できないのがつらい。
「安心しろ。今日は苔を取りに来たわけじゃない」
そう言って、彼は地面に袋を置いた。
中から出てきたのは、乾いたパンだった。
「腹、減ってるだろ」
俺は、固まった。
――これは、何だ?
施し?
取引?
罠?
頭上の数字を確認する。
【寿命:残り344日】
動かない。
人間は、俺の視線に気づいたらしい。
「なんだ? それ」
俺は反射的に、首を振った。
いや、正確には、振ったつもりで体が揺れた。
「……見えてるのか?」
彼は興味深そうに、俺の頭上を指差した。
「それ。文字」
胸の奥が、ひやりとした。
見えている。
――この人間には、見えている。
だが、次の言葉で、分かった。
「いや、違うな。見えてる“気がする”だけか」
彼は笑った。
「昔さ、師匠に言われたんだ。
“生き物の頭の上には、みんな数字がある”って」
数字。
俺は、思わず前に出た。
「キュル?」
「寿命とか、運とか、そういうやつだろ」
軽い言い方だった。
あまりにも軽い。
「でもな、見えないんだよ。普通は」
彼は肩をすくめた。
「見えたら、たぶん、生きづらい」
……それは、否定できない。
⸻
彼は名を名乗らなかった。
俺も名を持たない。
しばらく、二人で黙って座った。
人間は、パンを少しずつ齧る。
俺は、苔を食べる。
【寿命:残り343日】
一日、減る。
彼は、それを知らない。
「なあ」
人間が言った。
「お前、ここにずっといるのか」
俺は、頷いた。
「外、行きたいとは思わない?」
その問いに、
俺は答えられなかった。
行きたい。
だが、行動すれば、寿命が減る。
彼は、俺の沈黙を別の意味で受け取ったらしい。
「まあ、いいか。
俺も、ずっと同じ場所にいるのは苦手だ」
彼は立ち上がった。
「今日、生きてればいいって思ってる」
その言葉に、
俺の中で、何かが軋んだ。
今日、生きてればいい。
俺にとって、それは
一番、無責任で、羨ましい言葉だった。
「明日のこと、考えないのか」
思わず鳴いた。
「キュル……!」
彼は、空を見上げた。
「考える日もある。考えない日もある」
それだけだ。
彼は、去ろうとして、立ち止まった。
「なあ」
振り返る。
「もしさ、
明日が見えてたら、
俺は今日、剣を振れなかったと思う」
剣を振る。
それは、命を奪う行為だ。
「見えないから、
間違えることもできる」
そう言って、彼は歩き出した。
⸻
彼がいなくなってから、
俺はしばらく、その場を動けなかった。
【寿命:残り343日】
変わらない。
彼と話したことで、寿命は増えもしないし、減りもしない。
だが、
心のどこかが、少しだけ揺れた。
数字が見えない人間は、
間違える自由を持っている。
数字が見える俺は、
正解を探し続けている。
どちらが、生きているのか。
答えは、まだ出ない。
洞窟の天井から、水滴が落ちる。
ぽた、ぽた、と。
時間は、
見えても、見えなくても、
同じ速さで流れている。
【寿命:残り343日】
俺は、数字を見上げて、思った。
――いつか、この数字を、
見ない選択肢はあるのだろうか。
その問いだけが、
次の実験の種として、
静かに残った。
誤字脱字はお許しください。




