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不穏の影

 その日、屋敷の空気はいつもと違っていた。

 朝から父は執務室に籠もり、母の顔にも笑顔が少なかった。

 俺とセリーヌは庭で遊んでいたが、大人たちのざわめきが耳に残る。


「ねえ、ライアン。なんだかみんな慌ただしいね」

「……分からない。でも、父さんがああしてるってことは、よくないことがあるんだ」


 セリーヌが不安げに唇を噛む。その横顔を見て、俺は胸がざわついた。



 昼すぎ、門の方で馬のいななきと鉄の音が響いた。

 屋敷の門番が慌てて走り、執務室に駆け込む。

 父は重い足取りで出てきて、俺たちを見つけると声をかけた。


「ライアン、セリーヌ。ここにいなさい」


 それだけ言って門の方へ向かう。

 父の背中はいつも大きかったが、そのときはどこか重たく、暗い影をまとって見えた。


 石畳を蹄の音が打ち、黒い馬車が門を抜けてきた。

 漆黒に塗られた車体には、王都の紋章――双頭の鷲が金色に刻まれている。

 近くにいた使用人が思わず息をのんだ。

 扉が開き、甲冑姿の兵士と共に、一人の男が降り立った。

 濃い紫の外套をまとい、細身の杖を持つ。目は笑っているのに、笑顔の奥に冷たい光が潜んでいた。


「アルヴェール卿。久しいな」


 父の表情が固くなる。

 俺は母の背に隠れながら、男を見つめた。


「……王都からの使者か」

「いかにも」


 使者はわざとらしく芝居がかった仕草で帽子を取った。

 周囲の空気が冷え込むような感覚があった。


 その日の夕餉は静かだった。

 父は使者と長く話し込み、戻ってきてもほとんど口を開かない。

 母が心配そうに「何を言われたの」と尋ねても、首を横に振るばかり。


「大丈夫よね?」


 セリーヌが小声で俺に囁いた。

 俺は強がってうなずく。けれど、心の奥で何かが軋む音がしていた。


 夜更け。寝室に戻る前、廊下ですれ違った父の顔は、昼間よりさらに険しかった。

 いつもは力強くまっすぐな瞳が、何かに押し潰されるように濁っている。


「父さん……」


 声をかけようとしたが、言葉が喉でつかえた。

 父は俺に気づくと、わずかに笑って頭を撫でた。

 その手は温かいのに、どこか震えていた。


「ライアン。……母さんを、大事にしろ」


 それだけ言って、背を向けた。

 廊下の向こうに消えていく父の背中を、俺はただ見送るしかなかった。



 ――その夜の月は、やけに赤かった。

 まるで炎の色を映しているように。


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