セリーヌと泥んこの日
セリーヌ・ベルフォールと初めて会った日は、やけに風が強かった。
隣領の馬車が庭に入り、飾りの付いた小さなブーツが地面に降りた。金色の髪が風に踊り、彼女はちょっとだけ目を細めて笑った。
「はじめまして。セリーヌです」
声が澄んでて、少しだけ偉そうで、でも全然嫌味がない。俺は一歩遅れて会釈をした。父が後ろで「仲良くな」と目で合図する。
「走る?」
「……走る?」
気品ある伯爵令嬢が一秒で泥んこ友達に変わった瞬間だった。
庭から裏の畑、裏門の向こうの小川。靴は終わり、服も終わり、母に後で叱られるのは分かっているけど、足が止まらない。
「ライアンって速いね!」
「セリーヌ、そっちはぬかるみだ、転ぶ――」
盛大に転んだ。泥だらけ。
でもセリーヌは笑った。笑いながら、泥のついた手を俺に差し出した。
「ほら、引っ張って」
小さな手は泥で冷たいのに、握ると不思議と温かい。立ち上がった瞬間、二人でまた笑う。何がおかしいのか分からないけど、笑う。笑うだけでお腹が苦しくなるまで。
小川の石に腰を下ろし、ずぶ濡れの靴を日向に並べる。
風が少し乾いて、肌に心地いい。
「ライアンはね、きっと立派な人になると思うの」
「なんで」
「だって、さっき倒れた時、手、迷わず伸ばしてくれた」
「……それは、転んだから」
「そういうのを立派って言うの」
セリーヌは本気でそう言った。
金色の髪が光って、目がまっすぐで、俺はなんだか背中がむず痒くて視線をそらす。
いつかの母の台詞と、同じことを言うのか、と後になって気づいたのはずっと先だ。
夕方、二人でこっそり屋敷に戻る。案の定、母に見つかった。
「ふたりとも……!」
「ごめんなさい!」(二人同時)
セリーヌは泥だらけのままぺこりと頭を下げ、母はため息をついてタオルを持ってきた。
その後ろで父がこっそり親指を立てて笑っているのを、俺は見た。
あのときの笑顔を、今もはっきり思い出せる。